第10話
私のアジトにある浴場はそれはもう広い。
大理石で作られた浴場は地下にあるんだけど、広さは余裕で百人が同時に入れるほど。
お湯は水を生み出す魔石と温める魔石の両方を贅沢に使っていつでも入れる状態に。
お部屋の数は人数に見合わず少ないけど、浴場だけは貴族の浴場にだって負けてないぐらいに広いし綺麗で使い勝手もいい。
でも実は女湯だけなんだよね、こんなに広いの。男湯は結構狭いらしい。
どうして? って思うけど、ライダに聞いたら「設備をよくしたら当主やミラ達が使いやすくなるだろ? 使いやすくなったら、当主やミラ達が結構な頻度で入ってくれるはず……そうしたら、お風呂上がりの当主達が……ッ!」ってことらしい。
下心いっぱいだね。ちょっと気持ち悪かった。でも、広いとゆっくり浸かれるからそれは好き! だから甘んじてライダの下心を許容してるんだ!
そういうわけで、今日は新しいメンバー(仮)とゆっくりお風呂に入ろうとしています。
……入ろうと、したんだけどね。
「……あの、脱いだ記憶がないはずですのに、どうして私は裸になっているのでしょうか? それと、どうしてすでにお湯に浸かっているのでしょうか?」
「……ごめんね、うちのミラが」
すでにお風呂に入っちゃってました。
私の横には頬を染め、戸惑いを隠しきれないソフィアちゃんの姿。
普通、いきなり裸になっちゃったら恥ずかしがるはずなのに、ソフィアちゃんの顔には戸惑いと驚きしか浮かんでいなかった。ちなみに、私はもう慣れちゃいました。
「いいのでしょうか? 私、まだ体を洗っていないのですが……」
「気にするところはそこなんだね……もうちょっと気にするところがあると思うけど」
現状の理解より、粗相を気にするあたり育ちのよさが分かるなぁ。
「大丈夫よ、私が《・・》ちゃんと入らせる前に体を洗っておいたから」
一人で体を洗っていたミラが私達の下にやって来る。
タオルで前を隠し、ゆっくりと私達と同じお風呂に入っていく。
スラリとした体に、程よく肉付きのある太もも。隠しているはずなのにはっきりと浮かび上がる胸には水滴が滴り、絶妙に色っぽい。
……私にはないボディなんだよ。羨ましい。大人って感じがする。
「私が《・・》というのは───」
「うん、ソフィアちゃんの予想通りかな。ミラが魔術を使ったんだよ……」
「す、凄ごいですね……私には何がなんだか分かりませんでした」
そりゃそうだよ。ミラの魔術は本人と本人が許可した者以外の時間を止めちゃうから。ミラの行動は、魔術を受けている者からしたら体感でも一秒ないからね。
「ミラ、初めての人に対してそういうのはやめない? びっくりしちゃうじゃん」
「あら? 私なりに自己紹介をしたつもりなんだけど? どういう魔術を持っているのか───手の内を晒しておく方が信用してくれると思ったの」
ミラが悪びれもなく口にしながら私の横にピタリと張り付いてくる。
ソフィアちゃんは「これが永遠の騎士なのですね……皆が恐れていたのも無理はありません」と若干震えていた。
「ま、まぁ! ミラの魔術には一応制限とかもあるし、そんなに怖がらなくても大丈夫だよ!」
「そうなのですか?」
「えぇ、私は眼球を魔術具にしているから体と魔術が組み合わさった状態なの。だから長時間魔術を行使し続けていると体に負担がかかって魔力が切れる前に体の方がガタくるの。あと、時間を止められる空間は私の一定範囲内だけっていう制約もあったわね」
「だから、他の人に比べたら持続時間が少ないかな? ミラを倒すんだったら、長期戦がおすすめだね」
「あの……そもそも時間を止められてしまえば一瞬で殺されてしまうのですが」
そういえばそうだった。ミラが中々殺せないような強靭な肉体を持ってる人じゃないと長期戦に持ち込むことすらできないね。
いけない、これじゃあ不安を拭えないよ。ここはなんとかフォローしなきゃ……!
「でもね? それ以外は本当に普通の女の子なんだよ! 美人で優しいし、私が落ち込んでいるといつも励ましてくれるし、今もこうやって私を膝の上に乗せてきたり、私の胸ばっかり触ったり舐めようとして───してっ!? 何してるのミラ!?」
気づけばいつの間にかミラが私を膝の上に乗せて、胸を舐めようとしてきたので慌ててミラから距離を取……ろうとしたんだけど、ガッツリとホールドされちゃった!?
「はぁ、はぁ……やっぱり当主の肌触りって最高ね。もちもちしていてスベスベ、小ぶりながらもしっかりと弾力のある胸が本当に……舐めちゃいたい」
「ごめんっ! やっぱりミラは怖い女の子だよ!」
フォローしたくてもまったくできないっ! 女の子の天敵だよ、ミラは!
「それにしても……ソフィアも私好みの体をしているわね」
「私ですかっ!?」
ミラが舌なめずりをすると、ソフィアちゃんが胸を両手で守った。
艶やかな金髪から雫が滴り、頬を紅潮させ、両手で隠してしまったことでより胸がより一層強調して……色っぽい。
あれ? さっきまではそんなに大きいな? とか色っぽいな? とか思わなかったのに。
「ミラ、緊急事態なんだよ」
「どうしたのよ、当主?」
「ソフィアちゃん……実は私より大人っぽいかもしれない件について! それと、かなりの着痩せするタイプだったという事実!」
「そんなことありませんよ!?」
「あら、気づかなかったの?」
「フッ……ソフィアちゃんも隠すのは上手いねぇ」
服を着ている時は「綺麗な人だなー」ぐらいにしか思ってなかったけど、今は完全に私の目指す大人の女性に近い体をしているんだよ。
よくよく見れば、水面から見られるソフィアちゃんの体つきは凄い。クビレははっきりとしていて、同じ女の子の私でも喉を鳴らしてしまう程のほどよい肉付き。
極めつけはあのたわわ! ミラより大きい! 服を着ている時はそんなことなかったのに!
「悔しい…ッ! 私にもいつかあのたわわを!」
「え、えーっと……レイシア様も、いつかは───」
「そのいつかが来ないんだよぉ!!!」
私は悔しくてミラのホールドから逃れソフィアちゃんに突進する。
そして、その羨まけしからん胸をぎゅむって鷲掴む。
……ぎゅむ、だって。私はぷにっ、なのに!
「ひゃっ! ど、どうされたのですかレイシア様!?」
「このたわわが! 私の心を! 傷つける!」
「大丈夫よ、当主の小ぶりも大好きだから!」
「なんにも大丈夫じゃない!」
余計にその言葉が私を傷つけるんだよ!
「完全に僻みだから安心してちょうだい、ソフィア」
「僻みだと言われましても……ひゃうっ! そ、そんなに強く揉まないで……んっ!」
ソフィアちゃんの桜色の口から時折胸がドキドキするようなかん高い声が聞こえてくる。
むぅ〜! 色っぽい! 同じ女の子のはずなのに、なんか興奮しちゃうんだよ! 私がそんな声を出しても全然興奮されないのに!
「まぁ、当主の僻みも分かるわね。本当にいい体、第一王子ももったいないことをしたものね」
「……ッ」
ミラの言葉に、ソフィアちゃんの顔が一瞬にして陰る。
先程まで紅潮していた頬が一気に青ざめ、抵抗しようとしていた手が震え始めた。
「そんなに、辛いことだったの……?」
私はそんなソフィアちゃんを見て思わず口にしてしまう。
浴場の空気が波をも許さないほどの静寂として広がる。
少しして、ソフィアちゃんはゆっくりと語り始めた。
「……分からないのです」
「分からない?」
「はい……どうして、自分があのようなことをしてしまったのか。まるで自分が自分でなくなってしまったような、あの感覚は一体なんだったのかが」
分からないって、どういうことなんだろう?
ソフィアちゃんの口にした言葉が、私には理解できなかった。
「へぇ……ソフィア。あなたは自分が起こした事件は自分の意思でやったことではない《・・・・・・・・・・・・・・・》、とでも言うのかしら?」
「へ? どういうこ―――」
「そういうつもりはありません、自分の意思はあったように思えます。ただ……その意思が、私の意に反するものだったのです」
むっ! なんか黙っておいた方がよさそうな雰囲気! これは余計なことを言わない方が話は進んでいくわけだね! っていうか、よく言ってることが分かんなかったし。
という空気を感じてしまったので、私はソフィアちゃんから少し離れてミラの近くに寄った。
するとミラが私を足の間に挟むように抱き着いてきた。くすぐったいけどあったかい。
「この際聞いておくけど、あなたは『子爵家の令嬢を殺そうとした』という罪があるという認識でいいのよね?」
「はい、それは事実です」
「それはどうしてかしら? 正直、事情を知らない私達からしてみればあなたが子爵家の令嬢を殺す動機も理由も分からないのよね」
公爵家であるソフィアちゃんは立場も爵位も周囲からの評判も価値も子爵家の令嬢さんよりかは上のはず。妬む理由もないし、自分の手を汚してまで殺そうとする理由が見当たらない。
仮にそういう理由があったのだとしても、言い方はあれだけど暗殺でもすればいい。
部下やそれこそ私達みたいな悪党に依頼をして、自分の手を汚すことなく殺せばよかった。なのに、ソフィアちゃんは自分で殺すという手段を取った。しかも、パーティーという公衆の面前で。まるで見てください《・・・・・》とでも言わんばかりに。
貴族のトップとして十数年間過ごしてきて……いや、普通の人間であっても人の目がある場所で堂々と殺人なんてしない。
保身やそれ相応の実力があればまた話は変わってくるんだけどね。
「殺す、つもりなどなかったのです……」
「へぇ……」
「確かに、妬みや嫉みがなかったとは言いません。彼女の素行は目に余るものがありましたから……婚約者である私よりも第一王子の寵愛を浴び、まるで自らが妃なのだという態度は私の立場を脅かすものでしたし、私を差し置いて―――というのもありました」
ですが、と。ソフィアちゃんは私達に向かって勢いよく琥珀色の双眸を向けてきた。
まるで「自分の気持ちを分かってほしい」って。不安な子供が安心を求めるために縋ろうとしているみたいに。
「私はそこまでの感情はなかったのです! 殺そうとしてまで、始末しようとまでは思っていませんでした! で、ですが……あの時の私は自分が自分でなかったような、意思はあったのですが……理性という枷が一瞬にして消え去って「こうしなければ」という何かが入ってくるような感覚を覚えたのです」
「ふぅん……」
「私がした行動なのは間違いありません。償うつもりは、もちろんあります……ですが、どうしても納得できないのです。納得することができれば……」
「なるほど、だから逃げ出したんだね! 自分が納得できていないから!」
「それにしても、よく王宮の地下牢から逃げてこられたわね。あそこって、王国で一番警備が厳重じゃなかったかしら?」
王宮の地下牢は王国で捕まえた悪党の中でも凶悪な悪党を収監する場所で、王国騎士をはじめとした実力者が警備に就くようになっている。
更に造りは強固。地下深くに牢屋があるため外からの侵入も困難。正面突破をしようとしても、各階に配置されている騎士や警備隊を突破しなきゃいけない。
一人二人ならまだなんとかなるとは思うけど、何人も相手にするとなればほぼ難しい。
悪党界隈では「王宮の地下牢に入れば、生涯陽に当たることはない」と言われているほど。
そんな場所から、ソフィアちゃんはよく抜け出してこられたなって思う。
前もミラと話したけど、逃げてこられたのはソフィアちゃんが実力者を蹴散らすほどの実力を持っていたか、それとも外部の人間が協力してくれたか。
ソフィアちゃんが今ここにいるのは、どちらかの理由があるからだと思っている。
「逃げてきた……というよりも逃がしてくれた、という表現が正しいと思います」
「随分な曖昧な表現ね。それはつまり外部の協力者がいたってことかしら?」
「外部の協力者……などはいない、はずです。何せ、私の味方につくということは王族に歯向かうということでもあり、罪人に加担するという罪を犯すことにもなりますから」
「ふぇっ? でも、誰かが逃がしてくれたんでしょ?」
「恐らく……気がついた時には牢は開いていて、警備の人達は皆倒れていましたから───」
それから、ソフィアちゃんはその時あったことを話してくれた。
ソフィアちゃんが事件を起こしてしまったのは、第一王子の誕生パーティーの時らしい。
初めは何事もなく進んでいたんだけど、ダンスが始まる寸前───子爵家の令嬢さんとすれ違った時に、自分の意思に歯止めが効かなくなってしまった。
それで首を絞めてしまった。本気で、間違いなく殺そうと。
それから、ソフィアちゃんは取り押さえられ地下牢に放り込まれた。
面会には家族が来たらしいんだけど……どうやら、勘当を告げるものだった。ソフィアちゃんの親友さんも来たけど、唐突なことと家族から縁が切れてしまったことが重なって、精神的に参っちゃってそのまま気を失うように眠ってしまったんだって。
そして、目を開けたら───牢が開いていて、警備も倒れていた。
「目を覚ました時は戸惑いましたが……私は納得できず、どうしてあのようなことをしてしまったのかを知りたかったのです」
「だから逃げてきちゃったんだ」
「……はい」
ソフィアちゃんが語り終えると、浴場にもう一度静寂が広がる。
多分、ソフィアちゃんが言ってくれたことは本当なんだと思う。嘘をついている様子もないし、私達に嘘をつくメリットもないからね。ソフィアちゃんも、自分の身に何があったのかを詳しく知らなくて、どうしてこうなっちゃったのかも分からないんだ。
「うーん……ソフィアちゃんが逃げてき理由とかは分かったけど、どうしてそうなっちゃたのかは私でも分かんないね。ミラは何か分かった?」
「私も今の話だけではなんとも言えないわ。少なくとも、ソフィアを取り巻く環境には『第三者』の意図があったってことは確かね」
「そうだよね、じゃなかったらソフィアちゃんが逃げられるような環境なんて作らないもん」
王族や王国側が罪人を逃がすメリットもない。家族がソフィアちゃんのために逃がしてくれたってわけでもないと思う。じゃなかったら勘当なんてしないからね。
つまり、何者かが逃げてくれた方が都合がいいって思ったからそうした。そういうことなんだと思う。
「ソフィアの話を信じるのであれば、ソフィアの理性が外れた現象───それはほぼ間違いなく魔術によるものだと思うわ。でも、変ね……精神操作系の魔術だとすれば意識なんて残らないはずなのに」
「ソフィアちゃん、身近にそういう魔術を使う人に心当たりある?」
「いえ……私もその可能性は考えたのですが、心当たりはありません」
うむ……となれば、現状で分かることはないって感じだね。
困ったなぁ……できるだけソフィアちゃんの力になりたかったのに。
「あ、あの……気にしないでください。これは私の問題ですから」
「何言ってるのソフィアちゃん! これは乗りかかった船、ここまで来たら私も協力するよ!」
「ですがっ! レイシア様にもご迷惑が……」
「ちっちっちー……分かってないなー、ソフィアちゃんは!」
私はミラから離れて、ソフィアちゃんを見下ろすように立ち上がる。
「ここでソフィアちゃんの問題を解決すれば、ソフィアちゃんは私に恩を感じてくれる! そしたら、ソフィアちゃんは恩を感じてきっと私のファミリーに入ってくれる! そうなれば、私のファミリーは戦力拡大人員増強完了───そう全ては私のためなんだよ!」
「は、はぁ……?」
「つまり、我が当主はソフィアが見過ごせないから助けてあげたいってことよ」
「ちょ、ちょっとミラ!? なんてことを言うの!?」
そんなこと言ったら私が優しいみたいじゃん! 悪党だよ!? いずれおじさんみたいな大悪党になる女の子だよ!? 優しいって思われたらダメなんだよ!
「本当のことじゃない」
「そうなんだけど! そうなんだけど、もぉ〜!」
私は余計なことを言うミラをポカポカと殴る。
だけど、ミラは微笑ましそうな顔をしながら私の胸を触って───どこ触ってるの!? 私、怒ってるんだけど!?
「ふふっ……」
そんなことをされていると、不意にソフィアが小さく笑った。
「どうやらレイシア様は、噂に聞く悪党とは違うみたいですね」
「あら、どんな風に思ったのかしら?」
「随分……お優しい方です。初めてお会いした時に感じた印象と、変わりません」
「むかー! ソフィアちゃんまでそんなことを言うんだ! 私は優しくないんだよー!」
それから、私達は気の済むまでお風呂に入っていた。
ミラがからかってきたり、私はソフィアちゃんに私という悪党がどれだけ極悪非道な女の子なのかをじっくりとお話した。
でも、ソフィアちゃんはちっとも信じてくれなかった。若干ミラがいつもする反応と似ていた気がする。ま、まぁ……仲良くはなれたと思うよ?
時折見せてくれたソフィアちゃんの笑顔は……綺麗だったから。
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