褒めたことは永遠に消えない

 キリカ様は言った。

 

「褒めたことは永遠に消えない」

 

⌘⌘⌘

 

 アリーシャさんは、はっきりいうと、仕事ができない。彼女の後ろにはドンガラがっしゃんという言葉が付きまとう。

 

 その時も盛大な音を撒き散らして、水を溜めた掃除のバケツをひっくり返していた。

 キリカ様はエメリーヌさんとコゼットさんに着替えさせられた後、責務の為に部屋を後にしていたからよかったけれど。

 いつものすまし顔を崩して、僕の顔を気まずそうに見ながら言った。

 

「いやでも、お皿は割った事ないから」

「そういう事では……」

「ごめんごめん。いやー、私と違ってスヴンは結構なんでもできるよね、助かるよぉ〜」

「お褒めに預かり嬉しいです」

「ふっふっふ、キリカ様の教育はうまく言ってるみたいね」

 

 によによとしているアリーシャさんの視線に所在なくなって、照れながら目を逸らした。

 二人で水浸しの床をモップと付近で丁寧に拭く。

 

 ふと、先日のコゼットさんとの会話が思い出された。僕は思い切ってアリーシャさんに尋ねる。

 

「アリーシャさん。キリカ様は、昔と違うと、聞きました」

 

 僕の問いかけに、いつもは脳天気に話すアリーシャさんが真面目な雰囲気を作って言った。

 

「昔の話を聞きたいの? あんまり女性の過去をほじくり返すもんじゃないよ」

「……申し訳ありません……でも……」


 キリカ様のことなら、なんでも知りたかった。

 

「知りたいんです。教えてくれませんか?」

「……。まあいいや、アンタなら。キリカ様のことをもっと知ってもらいたいしね」

 

 アリーシャさんは壁にある、大きな肖像画を見上げた。キリカ様と先王、そして国王様と王妃様。

 

「今スヴンが知っているキリカ様になる前は、宮廷内でも彼女は恐れられていて、誰も手につけられなかった。でもね、生来から賢く、聡明なお人だったんだよ。だから、今の姿が彼女の本来の姿なの」

  

 なんだかホッとして、肩の力が抜けた。

 

「ただ、キリカ様は亡くなった先王の代わりとなるために躍起になって、段々と追い詰められていったの。どんどんと人に対して厳しくなっていった。お若い身で、国中からの期待に応えるために必死だったんだと思う」

 

 僕の想像以上の苦労が彼女にはあったのだろう。

 

「そして、決定的な出来事が起こった。一番信頼していた摂政に裏切られてから、別人の様に変わられたの」

「……」

 

 ルナルドル。キリカ様が初めて首を刎ねた人。

 書庫で見つけた王宮の歴史書にあったので、名前は知っていた。

 

「大変信頼していて、当時あまり褒めないあの頃のキリカ様でもいつだって自慢の種だった」

「……キリカ様は、処刑したことを、今はどう思っているのでしょう」

 

 呟きに近い言葉が出た。キリカ様のことだったら何だって知りたいのだ。

 

「キリカ様は言っていた」

 

⌘⌘⌘

 

 キリカ様は言った。

 

「褒めたことは永遠に消えない」

 

⌘⌘⌘


「たまたま摂政の話が出たんだよ。ふとした会話の流れでね。その時はあたししかいなくて、キリカ様は思い出話をしてくれた」

 

 すっかり綺麗になった床に目を落としながら、長い日々に思いを馳せているようだ。

 

「その時に、彼を褒めたことそれ自体は永遠に消えないと言ってた」

 

 アリーシャさんはモップの柄の先端に重ねた掌と顎を乗せて言った。

 

「彼を処したことを後悔しているかどうかは、キリカ様だけが知る所。アンタにならいつかは話してくれるかもしれないけど、自ら訪ねるのはマナー違反だからね」

「はい」

 

 アリーシャさんは足元のバケツを拾い上げると、人差し指にバケツの取っ手を引っ掛けて朗らかに笑った。

 

「もっと知りたいでしょ? キリカ様の話。まってて紅茶をいれてくるね」

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