第20話 ご挨拶はまたの機会に

 翌日、なんとか夜まで時間を潰すことに成功した。小説を執筆している間は楽しみが待っているからか筆が良く走り、いつもの五割増しぐらいは書けたんじゃないかな。

 一応のため、夜は早めに食べておいて、軽く髪も整え服は前とは別のものを着れば準備万端。

 今日はお昼ぐらいに楽しみだと藤宮が送ってきたぐらいで特にまだ会話もメッセージのやりとりもなし。

 休日だから両親から用事のことをいじられて、今日は帰ってこなくてもいいぞなんて囃されて、まあ悪い気はしないけどちょっと面倒くさかった。

 十七時二十分。目的の電車に乗るため家を出る。実はこれでも一本早いんだけど、備えあれば憂いなし。

 無事駅に着いて定期圏外の為に切符を往復で買い、立ちながら揺られる。

 想定していた通り、十分前に改札を出た。

 さて、東口か西口か分からないから聞こうか。


『改札出た後どこ向かえばいい?』


 返事はすぐ東口でいいよと来た。

 そうして降りた先できょろきょろする間もなく、藤宮の姿を捉える。

 白の一枚で完結するワンピースだ。


「早すぎ」

「それはお互い様だよ」

「ふふっ」


 黒のハンドバッグを提げて立つ姿は本当に可愛いの一言。


「じゃあ、案内してもらえる?」

「任せて」


 当たり前のことなのに自信満々な表情で胸を張っているところが凄くいいんだよね。

 とにかく、そこから隣に並んで歩き始めた。


「それにしてもまた似合ってるね、その服。シンプルだけど様になってていい」

「ありがと。楽だからこういう時間はこれぐらいがいいんだよね」

「たしかにずっと気を張るのも疲れちゃうもんね。ていうか、白好きなの? 前もそうだったけど」

「あたし、焼いてるでしょ? だからこういう方がどっちも映えるっていうか。もちろん黒のドレスとかもいいんだけど、もう夏が近いからね」


 腕を伸ばして見せてくれる。

 たしかにどちらの印象も残りやすいかも。ただ、このまま良好な関係を続けて別の季節の格好も見てみたいなとも思う。

 そこからはどうやらケーキを買ってくれているみたいで、なにが好きなのかという話題で共にチョコレートケーキだったことから大いに盛り上がり、マンションの前に着くまでの道のりはなんてことなかった。


「それにしても、よくご両親が許してくれたね」


 ロビーの鍵を開け、エレベーターが来るのを待っている間、ふと思ったことを口に出してみた。

 よくよく考えれば、娘が男を自宅に連れてくる。たとえ既に経験があるとはいえ、人が変われば気になるというものなのではないだろうか。それとも放任しているのか。


「パパがいたらまず顔合わせから始まってただろうね」

「ということは今日いないの?」

「でも、ママはいるよ」

「あぁ」

「あれ? やっぱりせんせぇは悪い人なのかな?」

「えっ、い、いや、そういう意味で聞いたんじゃないし、相槌打ったわけじゃないから!」

「焦っちゃって、図星なんじゃない? それに見るからに残念そうだったけど」

「本当気のせいだから!」


 怖い怖い。意識はしてなかったけど、もしかしたら本能でそんな顔になってしまっていたのかも。下手なことで印象を下げたくはないし、ちゃんとしないと。

 目の前で想像以上の反応を見れたのか楽しそうな藤宮は小悪魔みたいだ。


「まあでも、ママもパパも優しいから大丈夫だよ」

「それはわかってる。藤宮見てたらご両親が良い人なのは想像に難くないから」

「嬉しいこと言ってくれるね。それじゃあ、十階までごあんなーい」


 やっときたエレベーターには誰も乗っておらず、止まることもなかったうえに、先の指摘が頭を離れずにどうママにご挨拶しようか思考を巡らせていたからすぐ着いたように感じる。

 出て右手、奥から二番目の部屋の前で止まるとそこには藤宮と掘られた札がある。インターホンと玄関とで多少距離があるタイプのマンションみたいだ。


「ママ、開けて」

「はいはーい」


 あっ、声が聞こえてきた。藤宮に比べたら低い方だ。

 ガチャッと鍵を開ける音がする。思えば、藤宮自身が鍵を持っていなかったのかとなるが、もしかすると必然的に僕とママを合わせるための策略だったり。


「あらっ、こんばんは」

「あっ、こんばんは。今日はこんな時間からお邪魔させて頂いてありがとうございます。小笠原龍斗っていいます」

「ちゃんとしているのね。名前は優美から聞いているわ。龍斗くんでいいかしら?」

「はい、何でも好きなように呼んでください」

「じゃあ、私もせんせぇって呼ぼうかしら」

「はい?」


 ちょっと待って、これ。なんだか空気可笑しくない? 隣にいる藤宮に目をやれば、やってしまったと言わんばかりに口元に手を当てている。でも、これは絶対わざとだ。やられた。


「ふふっ、冗談よ。さあ、中に入って。優美、部屋まで案内してあげなさい。飲み物とかは私が持っていくから」

「はーい。じゃあ、行こっか」

「藤宮、あとでいろいろ聞かせてもらうからね」

「まあまあ、いいじゃんいいじゃん」

「全然よくない!」

「ふふっ、わかったよ」


 なんとかママとの顔合わせは終えて、雰囲気は悪くなさそうだ。あと、当然のように綺麗なのが凄かった。ショートへアの似合う大人の女性って感じで。


「あっ、今ママの顔見て何か考えてたでしょ」

「いや、まあ言われ慣れているでしょうけど、綺麗だなって」

「ありがとうね。でも、それ以上は後で私が優美に怒られちゃうからダメよ」

「ママ、そういうの言わなくていいから! あと、小笠原はママの言うこと聞くように!」

「あ、ああ」


 結局ママが言ったことは必要なことだったのかどうか、どっちなんだよってかんじだけど、まあ照れてる藤宮が見れただけで十分か。

 そうして、玄関で靴を脱ぎ、お客さま用の可愛いくまちゃんスリッパを借りて藤宮の後ろをついて行く。

 マンションだけど3LDKで奥行きがある。そのなかでLDKに入るための扉に一番近い部屋が藤宮用みたいだ。


「一応綺麗にはしてるけど、あんまりじろじろ見ないでね」

「それはもちろん。既に一回過ちを見ているから安心して」

「それもそうだね」


 笑っているけど、犯人はあなたですからね。


「それじゃあ、どうぞ」


 開けられた扉の先からはもう良い香りが漂っている。

 置かれているインテリアや家具ひとつひとつに注目するわけにもいかないので、特に気になった箇所を聞いてみよう。


「ベッド、あれダブル?」

「ううん、セミだよ。ちょっと余裕あって寝やすいんだよね」

「だろうね。動物のぬいぐるみが何個か置いてあるのに全然スペースあるし」

「てか、一番最初にそこ目をつけるのなんか嫌だ」

「いや、それは前振りがあった上に奥側とはいえ、扉から真っ直ぐの場所にあるんだから仕方ないでしょ」


 これはもうどうしようもない運命だ。百発百中、この流れならベッドに気を取られる自信がある。


「まあ、そうだね。それで他には?」


 わざわざ自分から求めてきたということは何か見つけてほしいものがある可能性が高いのではないか。

 一応二カ所あるカーテンの色が統一されて水色なことや丸テーブルの脚先が肉球を模しており、テーブルには白猫の可愛らしい顔が描かれていることに目をつけていたが、これを求めていたとは思えない。

 こういうとき、なにに着目すべきか。それは榮沢さんに以前言われたように、言葉のなかに散りばめられたヒントを探せというもの。

 そもそも今回この埋め合わせが決まったのが昨日の夜。そこからした話と言えば実は僕が偶然街で見かけた藤宮と一緒にいた男は元カレだったということ。ただし、藤宮は僕が見つけていたことを知らない。

 そうして愚痴を聞いたわけだけど、そういえば唯一褒めていた部分があった。それは元カレじゃなくて共に向かった写真展に飾られていたプロの作品。

 そうだ! 写真だ!


「写真だよね」

「どの?」


 どの……ハッ! よく見たら机に飾られているものとベッドの枕上にあるスペースに置かれているものがある。

 パッと見た感じ、綺麗に撮れてそうなのは空に浮かぶ飛行機雲のベッドだ!


「あの飛行機雲はとても鮮明に──」


 いや、待てよ。鮮明に? なんだこの違和感。何かまだ忘れているような。


「鮮明にどうしたの?」


 ヤバイ。さすがに時間をかけすぎて藤宮がしびれを切らしてきている。

 ただ、この残るもやっと霧がかかったような違和感を…………そうだ、思い出した。

 そう、たしかに言ってたんだよ。霧とはまた別の曖昧なものの良さがどうたらって!


「鮮明に撮られているけど、どうもサンプル品みたいな感じがあって、それに対してこっちの机にある写真は被写体の周囲をぼかすことで、この世界に取り残されたかのような悲壮感が漂っている。多分夜の森林辺りで撮られたんだろうけど、月の光も殆ど入っていないからなおのこと孤独が強調されていて、素人が見ても凄い目を惹かれる作品だよ。昨日、こういうものが販売されていたのかな?」


 さあ、どうだ。正解か? それとも不正解か?


「……凄いね、小笠原! よくわかってんじゃん!」


 うぉぉぉぉぉおおおおお! 引き当てた! これは正解を絶対的に引き当てている!

 わかりやすくテンションがあがって一歩近付いてきた藤宮の恐らくシャンプーであろう香りが凄くいいんだから。


「あたしはさ、滅多にこういう悲しい雰囲気があるものって買わないようにしているんだけど、もちろんそれは作品が悪いんじゃなくてそういうのに感化されやすいからで、まあそれでそんなあたしでも欲しいなって思えるぐらい魅力的で!」

「一回落ち着いて。このままの勢いで来られたら僕、扉まで追いやられちゃうから」

「ああ、ごめん。でも、これだけは知っておいてほしくて」

「もちろんそれは嬉しいよ。全然知らなかった藤宮の一面が見れたわけだから。でも、その前に座ってから話そう。お義母さんが飲み物持ってきてくれたときに邪魔になっちゃうし」

「そ、そうだね」


 冷静になだめられたことで恥ずかしくなったのか、焦った様子で数歩中に入ってクッションの上に座る。

 どうやらその隣にもう一つある黒のものに僕が座ったらいいらしい。トートバッグを邪魔にならないよう端において腰を下ろす。

 それにしてもこういう状況は未だに慣れない。その近さをどうしても意識してしまうから。


「あっ、そうだ。あたし部屋着に着替えてくるからちょっと待ってて」


 顔を見れば照れたままで目を合わせてくれず、そそくさと部屋から出ていった。

 さて、ここまで可愛さしかないがそれでいいのだろうか? もし天使が肌を焼いたらこんな姿をしているんじゃないかと思わせてくれるぐらいだから心配になる。実際白が好きみたいだし。


「はぁ……天国だ」

「あらっ、そんなに居心地よかったかしら?」

「あっ、お義母さん、すみません。つい独り言を」


 どうやらちょうど藤宮と入れ替わりで来ていたみたいだ。

 正座して一応頭を軽く下げておく。

 お義母さんは膝を折って手に持っていたグラスとジュースが置かれているお盆を一旦テーブルの上に置いた。


「別に悪いこと言われたわけじゃないから気にしなくてもいいのよ。それに独り言が出てしまうぐらい気を緩めさせられる場所ってことでしょ?」

「言われてみればそうかもしれませんね」


 なんともポジティブな方だ。こういうところはしっかりと藤宮に引き継がれているんだろうな。

 それにしても本当に美しいうえに髪型との相乗効果か格好良さまで備わっている。そういう点では可愛い成分多めな藤宮とは違うかも。


「また顔見て、そんなに女の子が好きなの? 龍斗くんは」

「い、いえ、もちろん好きな人は一人しかつくりませんし、そもそも経験も全然ありませんし」


 何を焦ってるんだ、僕は。ここはもっと堂々としないと。


「ふふっ、確かに初々しさが醸し出されているわね。男の子がこんなこと言われるのは嫌かもしれないけどお顔も相まって可愛い子」

「ありがとうございます。全然嬉しいです」

「そう? なら良かった。優美が戻ってきて仲良くしてたら拗ねちゃうかもしれないから、私はもう行くわね。ケーキもジュースも遠慮しなくていいから好きなだけ食べて」

「あっ、はい。頂きます」


 立ち上がり部屋から出ていこうとして、なにかを思い出したかのように「あっ」と声に出してから僕のことを見る。


「夫が帰ってくるのは明日の朝九時頃だから、それまでには帰るようにね」

「は、はい。助かります」

「そう、助かりますね。ふふっ、見かけによらずなのね、龍斗くんは。じゃあ、楽しんで頂戴」


 ……ん? あれ、これマズくない?

 僕やっちゃったよね。つい失礼のないように、断るなんてことないようにという意識で泊ってもいいけどバレる前に帰るのよみたいな言葉に、助かりますって返しちゃったよね。

 見かけによらずってそういうこと? 楽しむってそういうこと? えっ、僕本当に最悪な言い間違いしちゃったね。

 ああ、これもう今日で藤宮家出禁かもしれません。

 部屋から出ていく前に口元に手を当てて面白がっていたから絶対に忘れられることはないだろうし、もしかしなくてもパパさんに話されるやつじゃん。


「た、ただいま」


 そんななかでやってきた藤宮。

 モコモコした薄ピンクと白のボーダーであるルームウェア。大きめなサイズでショートパンツと合わせているから凄く短く思える。

 言わずもがな可愛いし、さっきまであまり見えていなかった肌が徐に姿を現したこととママさんとのやり取りのせいでパンツとの境界線が際立って見える。


「どうかな?」


 極めつけは顔をすこし横に逸らし、照れている顔を隠したいのか萌え袖で口元に手を当てているこの立ち姿。

 ちらちらと僕の反応を待っているのがわざとでもなんでもいいから可愛くて堪らない。


「その、凄く似合ってるし、綺麗な肌だし、とにかく百点満点を優に超えていると思うよ」

「本当?」

「嘘なんかつかないよ。僕の顔見てくれたらわかると思うけど、多分赤くなってる」


 その言葉に誘導されるようにこっちを向いて目が合った。


「うん、やっぱり顔も見えていたらより可愛いね」


 その瞬間、耳まで真っ赤にする藤宮。こんな可愛い生き物が現実にいて良いものなのかとさえ思わせてくれる。

 あとヤバいかも。この、自分の言葉で恥ずかしくなってくれたことがはっきりとわかったときに感じられる名前の分からない感情が癖になっちゃう。


「……バカッ! うるさい! こっち見るな!」


 そんな無茶を口にして僕の横を通り過ぎ、ベッドに置かれていた枕を掴んだ。そうして、身体をこちらに向け、胸の前でその枕を抱きしめている。

 多分この現場を傍から見ればあまりにも甘すぎて胸焼けするだろうけど、当事者にとってはただただ幸せでしかない。

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