第21話 掌の上で踊らされていたというわけか

 藤宮が落ち着きを取り戻すまで十分程度。その間、気を紛らわすために世間話を挟んでおいた。


「も、もう大丈夫」


 これまでの態度を含めた僕の想定では、こういったことに藤宮は慣れているものだと思っていたがあくまで僕たちはまだ高校生になってまだ一ヶ月。恋愛経験豊富だとしてもお子様の恋愛だったというわけか。ここまでの冒険はあまりしてこなかったみたいだね。

 そう考えると、僕には余裕が生まれてきた。何も下手に出ることはない。普段であればたしかに経験値の差で圧倒されてしまうけど、ここならイーブンなのだから。


「じゃあ、こっちおいでよ。今日はこの前の埋め合わせでしょ? 勉強するんじゃないの?」

「わかってる。でも、隣は無理…………いや、別に嫌いとかじゃないけど今は無理だから……ね?」

「そこまで言うなら、そっちにテーブル持っていくからそこで進めていこう。それでいいね?」


 僕の問いに対して藤宮は頷きを返す。

 あー、できることならこれまでせんせぇという言葉を使って幾度か遊ばれた分お返しをしてあげたいけど、今やったら嫌われる可能性もあるのでやめておく。あと、この空間を手放したくないし。


「それじゃあ、今日は現代文から始めようか」


 そうして始まった勉強会。時間にして言えば一時間半ほどだろうか。

 途中、さすがにこの場に慣れたのか藤宮が分からない所を見せてくるために近付いてきたり、最終的には隣に来て一々手を煩わせなくていいようにしたりしていた。

 ちょっと残念なところはあるけれど、やっぱり隣に居てその表情を確認できる方が僕も安心するし、反応が分かりやすくて助かりもする。


「はい、終了。どうだった? 大まかには理解できたかな?」

「うん。古文に比べたら全然マシだね」

「ちゃんと解き方が分かるとそういうものだよ。さぁ、僕が言うのもなんだけど、せっかくだしケーキ今から食べない?」

「食べる! あたし持ってくるから待ってて!」

「ありがとう。でも、フォークやお皿も必要だろうから僕もついて行くよ」


 そう言って立ち上がり、ご褒美がもらえることに感情を抑えきれていない藤宮の後を追う。

 まだ二十一時前だから時間には余裕があるし、ちゃんと味わって帰ろう。

 ママさんには誤解させるようなこと言っちゃったけど、泊っていくわけにはいかないからね。


「藤宮、どれ持っていけばいい?」


 リビングに入るとママさんは自分の部屋にいるみたいで僕たち以外の姿が見当たらなかった。

 如何せん食器の収納場所が分からないので教えてもらおう。


「あー、じゃあ、そっちはあたしが持っていくからこのケーキが入った箱持って先に部屋に帰ってて」

「ありがとう。そうするよ」


 既に冷蔵庫の中から取り出していたようで渡された箱を大事に抱え、部屋に戻ってテーブルの上に置く。それから正座して待っておくことにした。

 なんとも仕事のできない野郎になってしまったが、知識の差があるからここは大人しくしておく方が吉だ。

 間も無くして必要なものを一式とアメニティバッグのようなものを持った藤宮が帰ってきた。


「どうしたの、それ」


 先に食器をテーブルの上に置いて二人分、それぞれにひとつずつ分けているところに問うてみる。


「ああ、これは、はい」

「えっ、僕に?」


 急なプレゼントだ。別に誕生日でもなんでもないのに。

 中を覗いてみようとしたがチャックが閉められていて無駄だった。


「とりあえず、開けてもいい?」

「いいよ」


 許可を得たところで想像がつかない。さっきも言ったように見た目はアメニティバッグそのものだ。ただ、感触はいくつものラインナップがあるようには思えず、タオルのように大きな布が入っている感じがする。

 それにしてもタオルをもらったところでどうしようもないし、むしろすこし困るぐらい。

 果たして何が出てくるのかこれ以上は埒があかなそうだったので実際に目にしてみる。

 チャックの先端をつまみ引くと、それは徐々に姿を現し、やはりタオルのようにモコッとした生地が見えた。


「これ、どうすればいいの?」


 一応その意図を聞いておかないと受取づらいからね。


「どうするって出してみたら一発でわかるよ」

「そっか。じゃあ、そうしてみるね」


 ここまで遠慮気味ではあるが、なにかしら意味を込めてプレゼントされたものなのだから嬉しくないわけがない。当然ワクワクしている部分もある。

 柔らかい感触だ。まさに目の前で箱から好きだと言ったチョコレートケーキを取り出し、僕の皿に取り分けてくれている藤宮が着ているような……ん? 着ているよう、な?


「はい、そこで手を止めないで一気に引く!」


 ひとつの疑問に思考を奪われていたその瞬間、そう言って僕の手を掴み、一思いに引っ張った藤宮。

 やられた! そう思ったときにはもう遅かった。


「じゃじゃーん! 私と色違いのおそろでーす! もちろん下は普通のパンツだから安心してね!」

「ぐわぁぁぁ、ハメられたぁぁぁああ!」


 天を仰ぐようにして顔をあげる。

 まさかこんなトラップがあるなんて思ってもいなかった。


「ハッハッハッ、リアクション大きすぎ! マジ最高なんだけど!」

「いやだって、これ……あぁ」

「なに? あたしとお揃いなの嫌?」


 絶対イエスなんて言うわけがないとわかって質問してきてるよ。もうマジでやられた。


「凄く嬉しいけどさ、これもらってどうするの? 家帰って着て写真でも送らせるつもり?」

「んな面倒なことしなくても、今すればいいじゃん」

「はい? 今?」


 本当に藤宮の言っていることが意味わからなくて聞き返してしまった。


「そう、今。だって、今日うち泊まっていくんでしょ? ママがそう言ってたよ」


 ああ、ママァァアア! そうじゃないよ! そういうことはやっちゃダメだよ!


「い、いや、それは僕が間違えたっていうか、お義母さんの誤解っていうか」


 とにかく今からでも藤宮の誤解を解けば、ごめんごめんと言って回収してくれるはず。まさか藤宮までウェルカム状態なわけないし、そうだとしたら説明がつかないし。

 身振り手振りを加えて一先ず先程の出来事を一部端折って話す。その間、二回ぐらいは頷きを返してくれた。


「わかった? つまり、僕はお義母さんの言ったことに対して失礼にならないよう注意していたら、間違えて返事をしてしまったっていうわけ」

「えっ、じゃあ、小笠原はここの居心地は悪いし、褒め言葉もウザいって思っていたし、ましてや泊まるなんてこと有り得ない話だって言いたいの?」

「いやいや、そうじゃなくてさ、最後の泊まる部分だけ間違えちゃって」

「あっ……もしかして、あたしのことがそこまで好きじゃないから、一緒の部屋で寝るのは無理だってこと?」


 ああもう、絶対分かって言ってるよ。声量が尻すぼみになっているのが演技している証拠じゃないか。とにかく否定しないと。


「全然そんなことないって。僕は藤宮のことが好きだし、ここで一緒に寝ることも厭わないからっ!」


 …………なんだ、この今日何度も味わったかのような違和感は。なにかを間違えてしまっているような、この引っ掛かりを覚える感じ……はっ!

 顔をあげて藤宮を見たその瞬間、全てを察した。

 勝ち誇ったかのような表情。それはつまり、本来僕に否定させたかったことを完璧にこなしたという証。


「へぇ、やっぱり大胆なのねぇ」


 後方から聞こえてくる悪魔のような囁き。恐る恐る首をそちらの方に向ければどういう意図かは考えたくないけど、スマホをこちらに向けて持っているママさんがいる。

 ああ、逃げ道を塞がれた。これは巧妙な罠だったのか。


「ほらっ、小笠原、もう一回今の言葉言ってよ」


 それはつまり、僕が藤宮のことを好きだということ。愛の告白。

 そうだ、ただの愛の告白じゃないか。何を恥ずかしがることがある。別にお義母さんに撮られたからといって何の問題がある。どうせお義父さんには全てバレるんだ。

 それに藤宮がそもそもどう思っているのかさえ聞いていない。


「そ、そのまえに返事が欲しい」

「えー、ダメ。ちゃんと勢いじゃなくて、落ち着いてもう一回言ってほしいんだけど」


 くっ、これ以上のあがきは無駄なのか。というか、普通に目の前の藤宮が可愛すぎてもうどうにでもなれって感じです。これでもし付き合えるならそれはそれで結局ハッピーエンドじゃないかって話だ!

 いけ、僕ッ! 攻めるならここしかない!


「えっと、だから……」

「そういうのもなし。ストレートに一言で」

「わ、わかった」


 すぅ……と思い切り息を吸う。


「僕は、こんな僕にも明るく接してくれて、こんな僕のために怒ってくれて、こんな僕に部屋着を見られるのが恥ずかしくて照れちゃうような、そんな藤宮が好きッ!」


 吸い込んだ分以上吐き出したんじゃないかと思うぐらい、息が荒い。見つめ合う藤宮の表情がどう変化してくれるのか早く見たい。でも、彼女は意地悪で、すっと顔を耳元に寄せてきた。


「優美、だよ?」

「あっ、あっ、えっと、だからそんな優美が大好きッ!」

「ふふっ、そっかぁ」


 えっ、それだけ? やだやだ返事が欲しい。そんな曖昧なものじゃなくて、はっきりとした言葉で欲しい。僕のことが好きだって、そう言って欲しい。

 表情を確認しようにも見えるのは小さな耳と、綺麗な肌、それから艶やかな髪。

 すこしだけ浮いた僕の腕はどうしていいものかわからず、宙にぶら下がったままだ。

 早く、早く、頼む!


「もう、焦りすぎだって。ちゃんと言ってあげるから、今はもうちょっとお預けね」

「えっ、どうして?」

「どうしても。さっ、ケーキ溶けちゃうから食べよっ」


 パッと離れていく優美。

 気が付けば背後の気配もなくなっていた……って、そんなことはどうでもよくて! これ本当にお預け喰らっちゃうの? えっ、どうなの、どうなの?


「ほら、そんな手を前に着いて口開けて待ってたら犬にしか見えないよ?」

「い、いや、そんなことは今どうでもよくて──んっ!」


 刹那口のなかに広がるチョコレートの甘い香りと味わい。それからスプーンの感触も。


「フォークじゃ危ないからね。どう? 美味しい?」


 スプーンを引いてくれないからまともに咀嚼できず、うんうんと頷くことで返事をする。そうしたら、満足そうに引いてくれた。

 いろいろと言いたいことはあるけど、ちゃんと味わって飲み込んでから話を再開する。


「わかった。もう答えは待つから、さっきのお義母さんのことだけ教えてよ」

「あー、あれはあたしもわかんない。なにか面白そうなことが起こるって思って張ってたんじゃない?」

「なにそれ、本当? 本当だよね?」

「安心して。そこで嘘はつかないから。だから、早くそれに着替えてきて一緒に食べよって」

「……わかった。じゃあ、着替えてくるよ、優美」

「はーい。行ってらっしゃい」


 そこは名前で呼び返してよ……。

 そうしたらまあOKだろうって思えるし、このずっと残ってる靄が晴れてくれるのに。まさかここまで引っ張って断るなんて未来はないだろうと九割五分は信じているけど、残りの五分が五分の癖に激しく主張してくるんだ。

 そのせいで頭のなかから優美の顔が離れない。喜ばしいことには変わりないけど、どうにもこうにも納得のいかないこの感じ。

 あぁ、このずっと気になって気になって仕方なくなってしまう感情の渦巻きがあの写真の魅力でもあったのかな……。僕は孤独や悲壮感だと言ったけど、人によっては見え方が違う。そういう良さがあったんだって今ならわかる。


「はい、着替えてきたよ」

「可愛いじゃん! 凄く似合ってるよ! 一緒に写真撮ろ」


 ただ、目の前でこうも僕のことを褒めてくれて、肩が触れるほど近付いてきてはスマホを構える優美を見ていたらなんでも良くなってきた。幸せそうなこの表情を見られていたらもうそれはそれで正解なんじゃないかとさえ。

 それからは一旦返事のことを意識の端に追いやって、今あるこの状況を楽しむようにした。そんな風に覚悟したら泊まることに対して否定的になる理由もなかったので存分に甘えさせてもらうことにする。朝早くに家に帰って制服を着ればテスト初日だから問題はないし。いや、テストがあること自体は問題なんだけど、僕に関して言えば点数は取れるから。

 一応、こういうときはお父さんに連絡しておこうと思いLINEを送ったらすぐに『男になれよ!』と返ってきた。何言ってんだか。さすがにそれはありえません。普通に僕がお義母さんに用意して頂いた布団で寝て、優美がベッドで寝るので。


「明日、勝手に一人で行っちゃダメだからね。ちゃんとあたしも起こしてよ」

「わかってるよ」

「ならよし。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみ」


 優美が入り口近くにあるスイッチを押すと電気が消える。

 こちらに近付いてくる足音が通り過ぎるかと思われた所で一旦止まった。


「どうしたの? 寝なよ」

「んー、それはもちろんなんだけど、これぐらいはいいかなって」

「これぐらいってなに──っ!」


 その瞬間たしかに頬に柔らかい何かが触れた感触がした。加えて近くに息遣いも。


「おやすみ」

「あ、あ……」


 ああ、もうっ! どうして最後にまたこんなモヤモヤさせてくるんだぁぁあああ!

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