第13話 自室に人を呼ぶ際はご注意を

 自宅の鍵を開け、中に入っていく。

 藤宮が靴を並べて邪魔にならないよう端に置いたところを見て感心しつつ、お母さんに見つからないよう先に通す。普段から汚くならないよう掃除を心がけていたことがこんな時に役立つとは。


「飲み物持ってくるから。何が良いとかある?」

「ううん。お茶で大丈夫」

「わかった。じゃあ、待ってて」

「はーい」

「あっ、くれぐれも勝手に探らないように」

「そんなのしないって」


 一応小説の設定集を机の引き出しのなかに仕舞っているから見られては困る。釘はさしておいたし、大丈夫だとは思うけど。

 それよかお母さんに話すついでに麦茶と適当な菓子を持っていこう。


「ただいま」

「あら、早かったじゃない。どうしたの? もしかして振られた?」

「いやいや、別にそんな仲の子じゃないし、振られてないし、そもそもここに来ること知ってるでしょ」

「冗談よ、冗談。それでその子は?」


 想定していた通り興味津々といった様子だ。先に会わせていなくて本当によかった。


「もう先に部屋で待ってもらってる。あくまで今日は勉強を教えるって話だから時間を無駄にはできないんだよ」

「そう、少し残念ね。でも、帰りぐらいはお顔見せてよね。龍斗がどんな子が好みなのか知りたいから」

「だからそんなんじゃないってば。まあ、帰りならいいけど、余計なことは話さないでよ」

「ふふっ、柄にもなく熱くなっちゃって。そんなに邪魔されるのが嫌なのかしら?」


 くそっ、こういうときの親っていうのは酷く面倒臭いものだな。なにもかも見透かしているかのように話してくるのが煽られているみたいで苛立ちを加速させる。

 これ以上いても同じことの繰り返しだろうから早く戻ろう。


「ちょっと待ちなさい」


 お母さんが食器棚の方に向かいグラスを取ろうとしていた僕を呼び止める。


「せっかく来てくれたんだから、あれ持っていってあげな」


 そう言って指さした先の食器棚の下についている引き出しを僕が開けると、見るからに高そうなチョコとクッキーが入っている箱が出てきた。

 これを振る舞ってあげなさいということだろう。たしかに女の子には特に喜ばれそうだ。


「ありがとう」

「頑張んなさいよ」

「だから……まあ、いいや」


 ここまでの対応を見てもまだ疑うかとは思うけど、今までこういうことがなかった分反動が凄まじいのかも。親にしかわからない喜びなのかもね。

 とにかくお盆の上にグラスと箱を乗せ、片手で麦茶の入ったピッチャーを持つ。慎重に進み、なんとか落とさずこぼさず部屋の前に着き、一旦ピッチャーを置いてから安全に扉を開ける。

 その瞬間、僕の目の前に広がっていたのは毎晩僕が身体の疲れを癒すために使っているベッドに寝転び、枕に頭を置いてこちらを向いている藤宮の姿だった。

 ん? うん……ん?

 瞬きしても場面は全く変わらない。藤宮も想定外だったのか固まって動かない。

 どうしたものか、こういうときなんて声をかけてあげるべきなのだろうか。


「えっと…………眠たかった?」


 いや絶対違うのは分かっている! でも、これぐらいしか僕のちんけな脳じゃ出てこなかったんだ!


「うん、そう! ちょっとお腹にものも入ったし、歩いたし、そんなところに気持ちよさそうなベッドがあったからついね!」


 ほらー、藤宮も僕につられてなんだかおかしくなっちゃったよ。とにかく持っていた盆と置いていたピッチャーをテーブルの上に置いて座る。

 まだ隠し持っているエロ本を見つけられた方がマシだった。


「あと、これさ、さすがに枕カバーの中はばれるって」


 オーマイガー!

 ……てか、普通そんなとこ見られると思ってないから! そんな気まずそうな顔されても連帯責任だから! もう何が何だかわかんないよ!


「と、とにかくこっちおいでよ。その手に持ってる本をベッドの上に置いてさ」

「そうするわ。えっと、なんかごめん」

「うん、僕もごめん」


 空気は最悪。雰囲気なんてあったもんじゃない。それでもまたここからファミレスに戻るわけにもいかないし、まずは状況整理から始めよう。

 目を全く合わせてくれない藤宮が隣に座ったのを確認して身体の向きをそちらに向けてから話す。


「初めは藤宮から聞こう」


 というより、詳細を聞くべき相手は藤宮しかいないのだけど。


「どうしてベッドに寝転んでいた?」

「それは……まあ、まずそこからじゃなくてさ、順序があんだよね」


 それもそうか。男の部屋に着いた途端、そのベッドにたとえ疲れていようとも無許可で横になるようなやつではないな。多分、それなりの理由があったんだろう。


「小笠原がいなくなってさ、部屋を見渡したわけよ。何かないかなって」


 その心理は分かる。実際僕も渡木の家に行ったときはそうだった。面白いか面白くないかなどではなく、とにかく興味が湧いてくるのだから抑えようがない。だから、ここはスルーしよう。


「パッと見た感じ雰囲気があったのは化粧台とベッドだったんだけど、化粧台にはちゃんと普段から肌のケアしてんだなーぐらいの情報しか無くてすぐに終わった。だから、ベッドに大物がいるんじゃないかなって踏んだわけ」

「はいはい。それで?」

「こういうときの定番ってベッドの下とか掛け布団のなかとかじゃん。でも、なんだかそういうのはバレやすいから小笠原はしないだろうなって思ったの。それで適当に枕を掴んだらはっきりとした形のある感触がして、これだって思ってウキウキで取り出したらあれがあって……」


 なるほどね。あまり認めたくはないが藤宮の行ってきた一連の流れは分かる。誰でもそういうことをしてしまうかもしれない。多分僕はする。相手が男ならね。

 ただそれで本当にエロ本を引き当てられたこっちの気持ちよ。しかも表紙にでっかく、ギャルで陽キャなあの子が突然僕の言いなり雌犬になったんだがとか書いてるし、本当最悪すぎん? なにこれ、えっ? 悪夢にも程があるって。

 そりゃ俯くことしかできないわな、藤宮も。これはもう見つかった僕が悪いですよ、百悪いですよ、ええ。


「まあ、んで、その、あまりにもなタイトルだったからちょっと気になっちゃって読んでたらせんせぇが来た感じ……かな」


 うん、今せんせぇ呼びやめようか。なんだかいけないこと僕が指示しているみたいだねー、傍から見たらねー。どうしたものかな。それに気になって読んだのはさすがに意味が分からないよー。ちゃんと聞き逃しはしないけどさすがに今そこを問い詰める勇気はないし。

 ああ、本当最悪だ。どうしよう……絶対嫌われたし、本当に最低な結果を引いてしまうと紗英さん含めた他の子達にも話されるかもしれない。そんなことはしないと信じているんだけど、今は信じ切ることができない。

 ……でも、とにかくここは僕がちゃんと謝ってこの場を収めよう。


「まずは僕から言わせてもらいたいんだけど、こんな雰囲気にさせてしまってごめん。それとこの本の表紙は偶然これだっただけで、これが目当てではないってことだけ言わせてほしい。一応ね」

「う、うん、わかった」


 互いに下を向いてばかりだ。ただ、もう謝りはした。これからどう流れが運ばれようと知ったこっちゃない。もう好きにしてくれ、神様。


「あたしからもごめん。まさかこんなことになるとは思ってなくて……。そりゃ、せんせぇもこういうの気になる年だし、もっと配慮すべきだったっていうか、もっとちゃんと状況把握すべきだったっていうか、ただこれだけはちゃんと言わせてほしいんだけど、別にこれで嫌いになったとかはないし、さすがに今日はお別れかなって感じだけどまたもう一回今度は学校でもいいから勉強教えてほしい……な」

「藤宮がそれでいいなら、僕はもちろんやらせてもらうけど……本当に良いの? もしかしたら口先では偶然とか言ってたけど本当はこういう子がタイプでそれ目当てで買っているかもしれないんだよ?」


 つい感情がぐちゃぐちゃになって顔をあげて必死に訴えるよう早口になってしまった。

 それに対して藤宮も顔をあげてようやく目を合わせて言葉を返してくれる。


「多分。本当にそう思ってる人はそんなこと言わないし、あたしは小笠原のこと信頼してるから、大丈夫。私のことも信じて」

「……わかった」


 なんとも説得力のない話だったが、見えない何かが僕に反論の意を唱えさせなかった。このままいけば、無事収拾がつくだろうという気が何故かしたんだ。


「それじゃあ今日は帰るね」

「うん、ごめんね。無駄足になっちゃって」

「謝るのはもうなし! てか、本当は言おうと思っていたけど、悪いのあたしだけだし。また明日ね」


 これで話はお終いと立ち上がった藤宮はそのまま持ってきていたバッグを肩にかけ、部屋から出ていく。見送るために僕も後ろをついて行った。

 玄関で靴を履き、本当にお別れの挨拶。


「まだ気まずいとは思うけど、明日普通に話しかけてね。あたしもそうするから。変な感じ残したくないし」

「できるか分かんないけど頑張ってはみるよ。それなりに傷は負っているんだ」

「だよね。あたしも同じ立場であれ見られたら死にたくなると思う」

「そんな気にさせたのは君なんだけど?」

「ふふっ、ごめんって」


 なんとか少しでも取り戻そうと僕も藤宮も努力はしようとした結果、ようやく笑みが生まれた。これだけで救われる。


「じゃあね」

「うん、また明日」


 この温かい空気が若干戻り始めた頃合いで藤宮は扉を開けて出ていく。そうして最後、なにかを思い出したかのように閉めようとしていたそれを顔がちょうど見えるぐらいだけ開けて口を動かす。


「ギャル好きのせんせぇ」

「……藤宮?」

「ふふっ、じゃあね」


 余裕が出てきたのか悪戯っぽくそう言って扉を閉めた藤宮の表情に心を奪われてその後を追うことすら出来なかった。

 自業自得な部分があるとはいえ、先程まで最悪の修羅場にいた人間とは思えないぐらい嗜虐心を見せつけてくるとは。いや、そこまでのものではないのかもしれないけれど、僕の心を乱し悩ませているのは間違いない。

 …………あとであのエロ漫画読んでみようかな。

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