第10話 可愛い可愛い教え子ちゃん

 榮沢さんとの楽しい時間が終わってしまった。いや、榮沢さんじゃなくて紗英さん……うん、凄くいい感じ。

 ニヤニヤしちゃうなぁ。でも、明日会ったときにはさすがに榮沢さん呼びの方がいいのかな? それとも下の名前? 多分前者だよね。隠しておきたいって言ってたもんね。

 二人きりのときだけは紗英さんか。それもまた特別感があっていいかも。そうだ、小説の続き紗英さんも待ってくれていたみたいだから書いちゃおう。情報が色々増えて、紗英さんの考え方も少しは分かってきたし、完璧な部分に生まれてきた穴を文字にするのが楽しみだ。


「龍斗ー、お風呂空いたよー」

「はーい」


 母さんが出るまで待っていた。僕が一番好きな時間、それはシャワーを浴びて湯船に浸かりながらスマホで動画を見漁ったり、電子書籍を読んだりしているとき。だから、今はとても気分がいい。

 脱いだ部屋着を置いて、持ってきた下着をその上に重ねる。いつものパックにスマホをいれれば準備万端。

 シャワーを浴び、髪を洗い終えたときシャンプーの甘い香りと共にコール音が届く。誰だかわからないけど、あとで掛けなおせばいいか。

 とりあえず拒否ボタンを押してトリートメントを手の平で伸ばしていたらまたかかってきた。

 今度は手が空いていないから反応することすら出来ない。もし、紗英さんからだったら申し訳ないなー。一応確認しておこう。


「あー、藤宮か。逆に藤宮の方が出なかったらそれはそれで言われそうだ」


 せっかくの極楽な時間を奪われた感じはするが、日の浅い割に積極的に絡んでくれる藤宮のような存在はありがたい。特に僕みたいな内気な人間からしたら絡みたくても勇気が出ないときに、あちら側から寄り添ってくれるのは相当助かっている。現に修がそんな役割だ。

 それにわざわざ二回も掛けてきたということはテスト勉強で躓いて頼りにしてくれている可能性がある。嫌にならないうちに返事をしてあげたほうが彼女の為にもなるだろう。


「もしもし、どうしたの?」

「いやー、せっかく今日教えてもらったし、家でもやってみようかなって始めたんだけどさ、全っ然わかんなくて困ってんだよね」


 やっぱりだ。まあ、古文なんてパッと理解できるほど単純じゃないし、国語全般が苦手みたいだった藤宮はそれに加えて文章の意図を理解したり、指示語の対象相手を考えさせたり、いろいろと壁が多そうだったもんね。


「てか、今大丈夫だった? 分からな過ぎてイライラしてたから拒否られたのに掛けちゃったんだけど」

「そこは気にしなくていいよ。ほらっ、風呂に入っているだけだから」


 シャワーの音を出してわかりやすく伝える。


「おけおけ。小笠原がそれでいいならあたしは助かんだけど、風呂って静かにゆっくりしたくない?」

「いや、マジでそれな」

「えっ、やっぱり迷惑だった?」


 マズい、ついつい本音が出ちゃった。本音というか、嫌というわけじゃないんだけどプライベートな時間を大事にしたいというか、藤宮と話すのは疲れないから気にもなんないというか、ああなんで自分に言い訳してんだろ。


「あたしに気ぃ使わなくていいよ。自分でもうちょっと頑張ってみるし、他の問題でもやっとくしさ。終わったら教えてよ。じゃあ、また後でね」

「あっ、ああ……」


 通話が切れてしまった。これは僕の方が気を遣わせてしまったかもしれない。

 多分だけど藤宮の雰囲気からしてやる気が削がれたなんてことはないとは思う。だからこそ良かったものの、ここでスイッチをオフにさせてしまっていたら申し訳なかったな。

 とにかく染み込ませたトリートメントを洗い流し、身体も綺麗にして入浴タイム。

 せっかく引いてくれたのだからまだお風呂に入っている状態で掛けなおすのもなんだけど、いつものようにくつろぐ気も起きない。

 …………今日はもう出よう。

 諸々のことを済ませて部屋に入る。机の上で古文の教科書と問題集を開き、今からいけるとメッセージを送った数分後、藤宮からこの短時間で三度目の電話が掛かってきた。


「ごめん、ちょっと問題解いてたから気付くのに時間かかっちゃった」

「僕が待たせた時間に比べればなんてことないよ。それより、どこを教えてほしいの?」

「問題集の今日やってない方」


 テスト範囲は二作品分しかないから該当ページを開くのは簡単だ。

 難しさで言えばこちらの方が感情剥き出しな分、分かりやすくなっていると思うけれど、その感情の単語が現代語訳できないから難解に思えているパターンかな。


「じゃあ、まずは文章の中で意味を知らなかった単語をひとつひとつ調べていこうか」

「はーい」


 返事はいいね。ただ、普段から深夜まで起きている僕からすればまだまだ楽な時間とはいえ、既に十時を過ぎようとしている。

 声からして余力はありそうでも頑張りすぎては意味ないし、今日のところは早めに済ませてしまおうかな。


「そういえばさ、明日からお昼までじゃん。明後日、すぐ行くの?」


 微かにペンを走らせる音とスマホに顔が向いていないすこし遠い声からして意識はしっかりと復習の方に向いているようだ。

 初めは調べものから始めるため僕が暇だとわかって話を振ってくれたのかも。


「どっちでもいいよ。一緒に食べいく?」

「えっ、二人で?」


 それもそうか。つい流れで誘ってみたけど、多分学校帰りは紗英さん含めた四人で駅までは行くわけだ。それを割ってまで僕が藤宮を連れて行くのはさすがにまずいよね。


「やめとこっか。僕も修たちに捕まりそうだから、あとで──」

「いいじゃん!」

「──あっ、そ、そっか。じゃあ、行こうか」

「いこいこ。でも、ファミレスは味気ないなー」


 まさか乗り気になってくれるとは思っていなかった。

 あんまり気にしないタイプなのかな、人の目とか……なるほどね、既に彼氏がいるから僕の存在が近くにいても問題ないってことか。単に知り合いとご飯食べに行くだけっていう話だもんね。

 それにしても味気ないのは分かる。僕も女の子とせっかくの二人きりでご飯を食べに行くのにそんなダサいチョイスはしたくない。一発目ぐらいは見栄を張らせてほしい。相手も高嶺の花の存在である藤宮さんだし、なおのこと。


「僕が知っている店でいいなら、一つあるよ」

「マジ? なになに、どんな店?」


 ひとつしかないんだけどね。それも今度好きな人と行く予定の思い出になるはずの場所。

 そんなものをここで使って良いものかと言われれば、楽しみは本番まで取っておけという話にはなる。だが、紗英さんがいつかの彼氏の為に練習をするように、僕もせっかくのチャンスを棒に振らないようにする為、練習しておきたい。

 注文でしどろもどろしたくないし、店内の一連の流れを一度でも見ておくことでミスを限りなく失くしたいんだ。


「紅茶の専門店でさ、選んだ種類に合う洋菓子をセットで出してくれるところなんだけど」

「へー、あたしからはちょっと遠いところかも。そういうの、紗英の方が好きだよ?」

「それはわかっ……てはいなかったな。一応知れて良かったよ。でも、今は藤宮と行きたいって話だから」


 危ない危ない。もうすこしでへまをするところだった。知った上で誘っていたら違和感があって詰められかねないからね。言葉狩りされると焦って言ってなかったはずのこともぽろっと出してしまいそうだし。


「小笠原ってさ、中学の頃、人気だったの?」

「いや? 特に。告白されたこともないし、成功したこともないしね。どうして?」

「なんてことないけど、小笠原って可愛い顔してんじゃん」

「んなっ」


 あまりにも唐突で変な詰まり方をしてしまった。風呂上がりに飲もうと思って口に近付けていたお茶に息が吹きかかり顔に跳ねて最悪だ。


「そんなことないよ! 僕なんかより藤宮の方がもっと可愛い顔してるし、断然モテてるでしょ」

「そりゃ、男と女じゃ可愛さの基準が違うからそう思ってくれてるだけで、まあ、モテないとは言わないけど冗談抜きにいい顔してるよ」

「ハハ、ありがと。まあ、褒められて嫌な気はしないし、わざわざここで嘘つく意味も分かんないから真摯に受け取っておきますけど、唐突過ぎだよ」


 苦笑いしか出ない。まさか藤宮からそんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかったから。


「そだよね。あたしも褒められて嬉しいよ」

「ん?」


 僕何か言ったっけかな……あー、可愛いってお返しした部分か。間違ってないし、特に否定するようなことでもないな。


「ふふっ、まあ、なんでもいーや。んで、そのお店、行きたいの?」

「ダメ、かな?」

「そういう聞き方は良くないなー。行きたいならはっきり言いなよ」


 くっ、こういう聞き返しをすれば大抵が仕方ないという感じで頷いてくれるからいつもの流れで口にしたけど、藤宮は許してくれないみたい。ただ、質問に質問で返すのは良くないとわかっているからこそ、ちゃんとそこを指摘してくれたのは嬉しいかも。

 話しが長引くのは僕にとってあまり得意なこととは言い難いから、そういう本当にキャッチボールしているだけの会話は苦手だし。


「わかった、行きたい。前から気になってたから雰囲気見てみたいんだ」

「そっか。じゃあ、行こ」

「本当? 嬉しいなー。今から楽しみだよ」

「ふふっ、あたしも」


 僕につられているのかもだけど、藤宮の声もさっきより高くなっていてお世辞での言葉ではないことがよく分かる。このテンションだと練習でも雰囲気作りには困らなそうだし、ちゃんと会話術みたいなのを予習して出向こう。

 明日、修にいろいろ聞いてみるのが最適解かな。


「そういえば、さっきから声近くなったけど、ちゃんと勉強してるの?」

「し、してるってば! それに興味引くような話し始めたの小笠原だし」

「そうだったかな? まあ、いいや。急に話変わるんだけど、藤宮は今日何時まで起きてる?」

「んー、これ解いたら寝るよ。正直、今も眠い」


 タイミングよく欠伸が聞こえてくる。これはわざとだろうけど、言っていることに偽りはなさそうだ。思っていた通り、今は無理をしているみたいだからここからは真面目に教え始めよう。

 二十分ほどかけてそこから質疑応答の時間を取った。

 日を跨ぐ時間が近くなるにつれ集中力が切れていったけど、目標は達成できたから良しとする。


「うぅ……もうげんかーい」

「よく頑張りました。今日はゆっくり寝てまた明日この復習でもやっておいてね」

「はぁーい。今日はありがとね、せんせぇ」

「その呼び方やめてって言ったよね。凄く恥ずかしいから」

「ふふっ」


 体力の限界が近付いて適当になり始めたとき、急に藤宮が呼んできたあだ名みたいなもの。同級生にそういう特殊な呼び方をされるっていうのは小説の経験として得ではあるけど。どうしても照れが勝ってしまう。

 ただ、からかっている藤宮はご機嫌な様子だ。意地悪な笑みを浮かべているに違いない。


「皆の前じゃ言わないからさ、こんときだけ親しみ込めてじゃ、ダメ?」

「まぁ、それなら……」

「じゃあ、決まりね。また明後日楽しみにしとくよ、せんせぇ」

「はいはい。おやすみ」

「おやすみ」


 ハァ……。要領はいいし、相変わらず素直に疑問に感じたことを口に出してくれるから変に間ができることもなくて助かるし、そういう面での問題は何一つないんだけど、ノリが前のめり過ぎっていうか、常に押されてる感じでいつもより力が入っちゃうね。

 まあ、そこが藤宮の良いところでもあるから本人にわざわざ言うことはないんだけど。

 それにしても、先生か。

 中学生とか小学生ぐらいの歳の子が出てくるようなラノベか、女性向け系統でしか見たことなかったけど、教師じゃない身からするとむず痒い感じがしちゃうな。

 いつか飽きた頃にはやめてくれることを願っておこう。


「さて、僕もここから頑張りますか」


 自習用ノートを開いて既に暗記している部分の抜けがないか再チェック。それから新しい箇所を数個また記憶して今日のところは終わり。

 実はと言うと藤宮の欠伸が移ったのか、珍しくもう眠い。

 部屋の電気を消してベッドに入ると心地よさとの相乗効果で眠気が強くなる。

 ふぁー、今日は気持ちの良い睡眠が出来そうだ。

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