第9話 豊かな感情が死に様を描く

「ねぇ、ちょっと言いたいことがあって」


 その瞬間、スマホ越しでも息を呑んだのがわかる。もしかしたら提案を取り消されるとでも思っているのかな。

 ちょっと遊んであげよう。


「私さ、せっかく小笠原くんとこういう関係になったじゃん。まだ数日しか経ってないし、知識を得るための何かをできたわけじゃないんだけど」

「けど、なに?」


 珍しく割ってきた。

 小さいけれど芯のある声。流れでその先を聞くよりも自分で覚悟を決めてからというようにも思えた。

 案外ここぞってときには力を発揮できるタイプなのかな? いや、それもそうか、目の前に本人がいるにもかかわらず自作小説のモデルとして使っていることを内密にしようとしていたぐらいだもんね。

 肝は据わっているに違いない。


「実は気になる人が出来たんだよね」

「ぅぅ……」


 そんな気はしてたって感じかな。聞きたくなかったことに対して自分で前に進んだから引くことなんてできない状態。でも、安心していいよ。そんな事実ないから。


「だからって今の関係をやめたいわけじゃなくて、むしろそのために何より重要なものになったっていうか、もっともっと来てほしいんだ」

「い、いいの? その人がもし学校の人なら下手に勘違いされるようなことはしない方がいいと思うんだけど」

「たしかに言う通りだと思う。でも、大丈夫だから。これからもよろしくね、龍斗くん」

「えっ……」


 誰にでもわかるぐらい驚いたような声を出す。すこしだけ音が高くなったところから考えて喜びを隠しきれていない。その素直さが龍斗くんの良いところではあるんだろうな。


「私、好きな人とは下の名前で呼び合いたいんだよね」

「えっと、それはつまるところ」

「そうだよ。龍斗くんはその好きな相手を演じていくわけなんだから、こういうところも真似て欲しいの」

「あー、なるほどね……はは、そうだよね。必要だよね」


 これまた声に感情が乗っているからショックを受けたことが容易に伝わってくる。本当に好きでいてくれているんだって感じられるのは嬉しい。

 無意識だとは思うけど、ここまで表現してくれていると不思議とこっちまでその気になってしまいそうで恋の力の強さを改めて実感した。

 まあ、まだ全然足りないけどね。


「ほらっ、龍斗くんも呼んでみてよ」

「……わかったよ」


 想像よりも受け入れが早い。こういうときのドキドキした気持ちも記憶に残してあとで記録として書き起こすのかな。

 そのとき、私がどんな表情をしているのか妄想して描かれると思うと見てみたくなる。意地悪な小悪魔なのか、純粋な乙女なのか、そういうところに龍斗くんの趣味が出てくるうえに私に知られるとわかっていても作品として完成させるために配慮なんてできないだろうから、人に晒したくないようなところを覗き見できるのは楽しみ。


「ふぅ……」


 深呼吸までしてすごく緊張しているんだ。


「さ、紗英さん、今日からよろしくお願いします」

「どうしてそんな畏まっちゃうの。さん付けは徐々に外していってくれればそれでいいけど、そこまで丁寧に話されると距離感じちゃうよ」

「ごめんごめん。どうしても慣れないからさ、初めはどうしてもこうなっちゃうんだよね。もっと自然になるよう頑張るよ、紗英さん」

「うーん、さん付けには私が慣れるようにするよ」


 多分、今私はつまらなそうな顔をしていると思う。

 この会話のことじゃなくて、呼び名のことでもうすこし緊張して照れてくれるかなって期待していたから、すこし反応が薄く感じちゃう。


「じゃあさ、あと二十分は余裕あるから龍斗くんの考える恋人と話してみたいことを実践してみようよ。私が学べることがあるかもだし」

「そういうの助かるかも。実際、どういう会話が間を持たせられるのか経験が少ないからさ」


 途中で羞恥心に耐えられなくなってしまうかもしれないけど、一生懸命話してくれる様子を見せてくれたらそれでいいや。


「そういえば、紗英さんのくれた紅茶ひとつ飲んでみたよ。オーソドックスなアールグレイだけど、お義母さんが配慮してくれたのかな? 一種類ごとに二つ用意されていてとりあえずは紅茶単体で飲んでみたら凄く美味しかったよ」

「それは良かった。ちなみにその提案をしたのは私だよ」

「そうなんだ、ありがとう。おかげで興味が湧いてさ、今度僕の最寄り駅近くにある喫茶店まで一緒に飲みに行かない? そこ紅茶の専門店みたいで、今まで敷居が高い場所だなって遠慮してたんだけど、紗英さんとなら行ってみたいなって」


 これはデートのお誘いなのかな? それともこの設定上の話? 私からそこを問うのはなんかやだなー。

 ていうか、演技みたいな口調というわけじゃないけれど、役になりきっているみたいにスラスラ言葉が出てくるものね。これが電話口だからなのか、それともあくまで妄想を形にしているから意識が別の方向に向いているのか分からないけど、普段からこんなふうに自信ありげに話してくれると助かるんだけどなー。

 とりあえず、話の流れに乗ってみよう。


「いいね。どんな雰囲気かわかる?」

「一応お店のホームぺージを見たんだけど、洋風で落ち着く内装だったよ。アンティークな雑貨が多くて可愛らしい雰囲気もあった。ちなみにメニューが全部セットになってて、好きな紅茶を頼んでそれに合う洋菓子をインストラクターの人がいくつかおすすめしてくれるみたいだよ」

「それいいね。プロみたいな人ってことでしょ? そういうところって雰囲気だけでも楽しめるから憧れるなー。でも、そういう凝ったことしてる店って高いんじゃない?」

「僕もそう思ってたんだけどそこまでだったし、行くなら僕が出すから気にしないで」

「本当? ありがと」


 うんうん、奢ろうという考えがしっかりと植え付けられているのは良い証拠。

 別に自分で出すつもりではいたけど、わざわざ言ってくれたのを断る必要もないし、甘やかしてもらえるときは存分に甘えちゃいたいし、それで龍斗くんも満足できるならウィンウィンだよね。


「じゃあ、テストが終わる週の日曜日にでもどうかな?」

「スマホにメモしておくね。どんな格好してくるのか楽しみだなー。そこで初めて私服姿見てみたいかも」

「そんな期待されるようなものじゃないよ。自分で言うのもなんだけど、センスないから真面目に選んだことないし、恥ずかしくないようにはしているつもりではいるけども」


 たしかに想像がつかないなぁ。シンプルに白黒を合わせた感じもあるし、逆にこの見た目を活かしてダボっとした可能性もなくはない。自分じゃなくて親に買ってもらっているなら後者の方があり得たり。

 そう思うと本当に楽しみになってきた。ここまで予想して結局ダサくてもそれはそれで面白いし、隣に並んでそんな店に入るのはちょっと恥ずかしいけどそれも経験だし、うん、楽しみだな。


「こういうご褒美があるとテストも頑張ろうって思えるからいいよね。紗英さんはどうかな?」

「わかるよ、そういうの。もちろん私もモチベーション上がったから、今からやってこようかな。また明日学校でね」

「わかった。頑張ってね! じゃあ、また」


 可愛いなー、龍斗くんは。素直に言葉を受け取ってすぐ感情に影響する。それが声に出て周囲の人間にも伝わっていく。本当に可愛くて、ウザい。

 良いことだとは思う。ただ、ここまで表に出されるとこっちまで反応しなきゃならない感じがして今までも幾度かあったように面倒くさくなっちゃう。多分、これが龍斗くんの素じゃないんだろうけど、隠された中まで引きだすほどの熱量が私にあるかと言われればまあないよねっていう話。

 今回の約束は龍斗くんの本音っぽいからそれに付き合ってちょっとしたら役もお終いかな。付き合いを切るのはもったいないからあくまで友人の関係に戻る流れで行こう。付き合わせた分、さすがにパッと捨てるわけにもいかないし。小説のことは頑張っているみたいだから引き続き使わせてあげようか。

 バッグから今日もらったファイルを取り出す。なかには数枚の紙と赤の暗記シートが入っている。これで何度でもやり直せるから便利らしい。こういう気が利くところは本当いいんだけどね。

 さて、頑張りますか。

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