第8話 人の物に手をださないで
改札で反対方面の龍斗くんと別れたあと、私と優美は降りる駅が同じなので普通列車に乗って空いている席に座った。両隣が女の人だったからラッキーだ。
「いやー、さすがに今日は頭使いすぎてもうなんもしたくない感じ」
そう言って優美が頭を肩に預けてきた。この体勢になったときは脱力モードに入っているから仕方ないけど貸してあげる。
香水は匂いがきつくて嫌だという優美からはシャンプーと落ち着く家庭の匂いがしてべたべたされても不快感がないのが凄く良いところ。
「多分小笠原くんも同じこと思ってるよ。四人のなかでも下二人の相手をしてたから。絶対に口には出さないけど、わざわざ靴を片方ずつ出したうえに逆に履いてハッとしたように変えてたからね」
「なにそれ、見たかったー」
見なかったふりをしてあげたけど、それでも恥ずかしかったみたいでちょっと頬を赤くしていたところが可愛かった。
夕陽に照らされて優美には見えなかったんだろうな。
「てか、小笠原こっちのペースに合わせて教えてくれるし、聞いたらただ答え言うだけじゃなくてちゃんと覚えさせようって感じがしてやりやすかったよね。今度から毎回お願いしようかな」
「それはさすがに迷惑でしょ。あと優美のこと好きすぎる彼氏くんが嫉妬しちゃうんじゃない?」
優美の彼氏はちょっと束縛気味な子で私には全くといっていいほど良さが分からない。唯一上げるとしたら顔が整っていることぐらいかな。
見た目とは裏腹にこれまでの彼氏遍歴や寧音との恋愛観の不一致なところを見ていると一途だとわかる優美が好きで付き合っているんだから当人同士にしかわからない何かがあるんだとは思うけど、まあ、ここは外野の私がなにを言っても意味ないか。
「あー、あいつね」
そこでスイッチが入ったように言葉の雰囲気が変わる。何かを思い出して感情を込めたようだった。
「あいつはもういいや。こっちに条件つけてくるくせに自分は別の女とわいわい遊んでいるし、構ってほしくて擦り寄ってもなんも反応しないし、無理。てか、この前別れた」
「えっ、マジか」
じゃあ、私が焦って龍斗くんに恋人役頼んだの無駄になっちゃったじゃん。うわー、あっちの気持ち考えるとさすがにすぐにもういいよなんて言えないし、もっと慎重に行動すべきだったかなぁ。いや、別に龍斗くんが嫌ってことはないんだけど、役だしね。でも、この記憶が二人の間に残るっていうのが恥ずかしいというかなんというか。
「彼氏欲しいなーってなりすぎてたのかも。その前のやつと波長合い過ぎてたからあの空気感が堪んなく好きでさ」
うっ、凄く突き刺さってくるなぁ。
スマホを触り始めて私の顔は見えてないだろうからわかるはずないけど、多分後悔がやってきてるよ。
「なに、今からその元カレにLINEでもして慰めてもらおうとでもいうの」
「いや、さすがにそれはないわ。今でもたまにやり取りあるけどあっちからのに返事するだけだし。ただ小笠原に今日はありがとって送っとくだけだよ」
「帰りに伝えたし、わざわざ二回も言わなくてよくない?」
「性分だからそれでいいとは思うんだけどやっちゃうんだよね。まっ、感謝の言葉なんて数回もらっても嫌な気にはなんないでしょ」
言われずともそうだとは思うけど……私も送っておこうかな。こっちだけ何もないと優美と比べて雑だとか思われるかもだし。
あっ、私の方が早く既読ついた。こういうの、なんだか嬉しいな。
『どういたしまして。今日渡したコピーでまたわからない所があったら帰ってからLINEでも電話でもまた教えるから遠慮なく聞いてね』
『助かる!』
『あと、明日は修たちと出かけてるから対応できても十時以降になると思う。それだけ先に伝えとくね』
丁寧で偉いなー、龍斗くんは。ちゃんと理由までつけて送らなくてもいいのに。
「明日は小笠原くん用事あるから勉強会できないっぽいよ」
「うん、知ってる」
「あっ、そうなんだ」
あれ、もしかして私と優美で同じような文送ってる?
気になってちらりと優美の画面を覗くと、文字だけじゃなくて顔文字までつけて返事をしていた。しかも可愛らしいやつ。続けてスタンプまで送られてきているし。
なんか私よりちゃんとしてない? これが素なら私には見せられないってこと? それともあれかな。自分の好きな子がこういうのに嫌な反応するか分からないから使うのをためらっているとかかな。
うん、多分そうだよね。そうに違いない。
「ねね、これ」
私が一人荒ぶる心を落ち着かせているなんてわかりもしない優美がこれ見よがしに出してきたのはさっきと変わらず龍斗くんとのトーク画面。ただ、やり取りは更新されているみたい。
『なんで小笠原ってさん付けしてんの? 同い年だからいらなくない?』
『癖なんだよね。自分でも気付かないうちにとれてるから、多分だけどどれだけ心開いたかによるんじゃないかな』
『じゃあ、あたしからさん付けやめてって言っても変わんないんだ』
『そう言ってくれたら意識的に変えられる』
『ならやめようよ。なんか距離感じちゃうし』
『わかった。これからは藤宮って呼ぶよ』
たったそれだけなのに嬉しそうに見せてくる優美は何が言いたいんだろう。とはいっても、私もまだ榮沢さんなんだけどね。
「仲良さそうで良かったじゃん。もしかして新しい彼氏候補にするの?」
「候補って……別にあたしが選ぶ選ばないの権利持ってるわけじゃないし、小笠原はどちらかっていえば紗英みたいに見た目大人しい方が好きそうだし、それこそ元々勉強を教えようとしたのもそこが理由の一つになってんじゃない?」
「どうだろうね、わかんないけど」
優美はよくそこまで考えられるなー。殆ど合っているようなものだからなおのこと凄い。
「まあでも、良い奴そうなのは雰囲気から滲み出てるよね。逆に良い奴過ぎてそういう対象にならないタイプっていうか、友達としての関係がはまり過ぎちゃう感じ。どっちかっていうと可愛い寄りの顔だからなおさらなんじゃない」
そこまで好印象なんだ。
優美って興味のない男の話には適当に相槌打って返すだけだから、ここまで言うのは相当珍しい。しかも自分から見せてきたぐらいだし、内心気にはなってそう。
実際掘り出し物感があって、素でも今と変わらず気遣いのできる優しい人なら十分なプラス要素になってくる。普段女子と話しているイメージが無さ過ぎたあまり顔に注目することがなかった分、この情報を持っている優美は知れ渡る前にとは思っているのかも。
まあ、自分で言っていた通り龍斗くんは私のようなタイプが好みっぽいから望みがあるのかはまた別の話だけど。
そこからはテストの話とか終わってからどこに行こうかとかそんな話をして終わった。
家に着いてからお母さんに自習していたことを話して遅れた理由を伝える。過保護というか心配性というか、この歳になってもまだそんなことを聞いてくるのはたまに鬱陶しく感じてしまう。でも、それだけ愛してくれている証拠だから嬉しくもある。
ちょうど部活から帰ってきた妹とお母さんの三人でリビングにて夕食を済ませてから自分の部屋に入った。二階建ての一軒家だから姉妹で別々の部屋を持てたのは両親に感謝。
「さて、勉強する前に龍斗くんに名前の話しようかな」
電車での件は気にしてないし、元からそのつもりだっただけだし、なにもおかしなことなんてない。
くまのキャラクターだったり、ウサギのキャラクターだったりのぬいぐるみが置かれているベッドの上に横になってスマホの電源を入れる。
今日も学校に行っている間にお母さんが掃除を済ませてくれていたみたいで部屋が綺麗だ。
『ちょっと勉強前に雑談したいから付き合ってほしいな』
送って数秒で既読がつく。まるで主人の帰りを待つ犬のようにずっとそこにいたんじゃないかと思うほど早い。
今回の用件の内容からしてその方が助かるけど、毎回これだとさすがに辛いかも。面倒くさくなっちゃいそう。
『三十分ぐらいしかできないけど電話にする?』
『そうしよっか』
なにか用事でもあったのかな。ちょうど良い感覚だから私もこのお話しが終わったらちゃんと勉強始めよう。
「もしもし、ごめんね、時間無くて」
「あくまで勉強前の時間だからそれぐらいの方が私も助かるし、気にしないでいいよ」
一々言葉に申し訳なさが詰まっているのは、これも癖なんだろうなぁ。無意識のうちになってしまっているんだと思う。
まあそれはさておき、どんな反応を見せてくれるのか楽しみな名前呼びのことさっそく話してみようかな。
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