第5話 三文芝居すらできない
日は経ち、あと一時間で休日が終わる。
一昨日電話して以降は一度、榮沢さんから半分まで読み終えたと連絡が来たぐらいでまともに会話すらしていない。積極性を持とうという意志はどこへ行ってしまったのか……自分からなにかを送ろうとすると、経験不足なあまり悩みに悩んで結局何もアクションを起こさないという繰り返し。
彼氏役もこの休日二日間はなにも機能していない。もしかしたら、冗談で言ったことを本気にされて困っているのかも。
ああ、考え方がネガティブだ……。
『ねえ』
そんなとき、また榮沢さんから連絡が来た。椅子から降りてベッドに飛び込み、その続きを待つ。
よし、今度は続けてみせるぞ!
『一昨日の話、忘れてないよね?」
もちろんだ。
そのままそう送ろうとしてトーク画面を開く。
『テスト前で、一昨日多分小笠原くんも知ってくれているいつもの友達と遊ぶ時間が減ったことを伝えたじゃん。じゃあ時間空いているのかなって、私があまり賢くないことも小笠原くんがその逆なこともわかっているんだから、一緒に通話しながら勉強でもしないとかあったら嬉しいなと思って待っていたんだけど、普通の連絡すらないじゃん』
胸が締め付けられるみたいにキュッとした。
やってしまった。前向きにはなろうと意気込んだけど、いざどうすればよいのか、相手に迷惑じゃないかとか考えちゃって結局動きがおろそかになってしまった仇がここで効いてくるとは。
もう減点されちゃったよ、絶対。
余りにも情けなさ過ぎて泣きそうだ。
そうだよね。そういう会話の節々にヒントは隠されていて、そこを上手く拾うことで相手のことを考えていると伝えるものなんだもんね。
慣れてなさ過ぎて全然頭回ってなかった。とにかく弁明じゃなくて、しっかり事実を伝えよう。
『ごめん。あまりにも僕がそういうことに不慣れで気を回すことができていなかったよ。話すだけでも榮沢さんの情報が増えていくはずなのに、そういう視点での考えもまともに出来てなかった』
『ちゃんとわかってくれたなら全然いいんだけど、読んだよって連絡にもありがとうだけだし、急に私のこと興味なくなっちゃったのかなってちょっと不安になったんだから』
なんてことだ。でも、それで不安になってくれるのは嬉しいかも。
こんな僕にさえ相手にされないと気になってしまうぐらい榮沢さんは繊細な子なのかもしれないし、ようやく仮定が作れて助かる。ただ、こういうものを自分から見つけ出さなければならないということは忘れてはならない。
『こういうの一々聞かれるのうざいと思うんだけど、学校以外ではこういう風にメッセージを送ってもいいんだよね』
『その前置きもいらない。提案したのは私なんだから気にしないでよ。もっといっぱいきてくれていいから。今のところ、ノートに書いてあった七割は読み終えたけど、あの主人公はもっと前のめりで格好良かったよ』
つまりお前はまだその域にないと。早くそうなれるように頑張れよということか。
いやいや、全くその通りだ。理想を描くことが好きなら自分で目標を立てられやすいはずなのに無意識で避けてしまっていた。
『わかった。今度はちゃんと誘うから』
『今度とかじゃなくてさ、今からはダメなの? 用事があるとか、いつもの友達くんとの約束があるとか?」
うわぁ、これもミスだ。すぐ実践の意識をつけないと。
次なんてあるのかどうかもわからないんだから、誘えるうちに誘っとけって話だよね。
どうしよう、この文字を打っている榮沢さんがしかめっ面だったら。さすがに優しいとはいえ、うざいタイプの人間には誰でも嫌な気持ちになるだろうし、それを表情に出すか出さないかだけど多分今は家でプライベートだからそう感じたなら顔に出ているに違いない。
『ううん、やろう。ていうか、やりたい。もっと話したいから』
返してすぐ、電話がかかってきた。
「もしもし?」
文字に起こしたせいで僕の気持ちが昂って、つい繋がった矢先に言葉が出てしまった。けれど、音は返ってこない。
「榮沢さん? どうしたのー?」
「あーはいはい。ごめんごめん、ちょっとリビングに飲み物取りに行ってた」
ちゃんと声が聞こえてきたことにホッとする。
もしかしたら実践に移したはいいものの、もうすでに榮沢さんのなかでこいつはないなと烙印を押されてしまったのではと過剰ではあると思うけど、もしもの可能性を考えてしまっていた。
のほほんとした声で、ちゃんと行動で示したことによってさっきまで文字から浮かび上がっていたであろう怒りが消えているように思える。
「榮沢さんって普段は何飲むの?」
さあ、ここから始まりだ。意識して先の言葉を拾ってみる。エピソードトークをするのが互いを知る意味では有効的かもしれないが、今はとにかく榮沢さんに話の流れに乗ってもらって雰囲気をつくることを重視したい。
ワイヤレスイヤホンでもしているのか、ちょうど飲み込んだ音が微かに聞こえてきた。
「紅茶だね。お母さんが好きだから小さい頃から飲んでるんだよね」
「好きな品種あるの?」
生憎、精通しているわけではないので答えが返ってきたところで話を広げることは難しいが。
「どうなんだろ。お母さんに聞いてみないとわからないな。いつもお任せで作ってもらってるんだ。これ食べるからって言ったらさ、じゃああれねって感じでやってくれてそれで美味しいから凄いんだよ!」
ちょっと早口になって母親自慢をする榮沢さん……正直可愛いです。声も高くなってて点数高すぎる。
「いいなぁ、そういうの。僕は基本お茶だからそういう嗜みがないよ」
「ジュースとか珈琲も飲まないんだ」
「ないね。嫌いってわけじゃないから皆といるときは飲むけれど」
そういうときにまで自分を貫くほど空気が読めないわけじゃない。
「明日、家から何個か持って行ってもいい? 何が合うかはお母さんに聞いてメモしておくから、一回試してみてほしいな」
「本当? 楽しみだな。小説を書いている合間に頂くよ」
「どれが良かったか教えてね。好きじゃなかったやつも含めてさ」
興奮が声色から伝わってくる。それほど紅茶が好きなんだろう。
好きなものの布教に勤しむのは誰でも同じで、好きの共有による喜びは一際大きい。
「そういえば勉強はしないの? テストに向けて」
「するのはするよ。榮沢さんもするなら今から一緒にやる? わからないところあったら教えてあげられるから」
「頭が良いのはわかったけど、教えるのとは別じゃない? 大丈夫?」
「学校ってさ、授業中にどうしても先生だけじゃ見きれない場合あるじゃない。そのときに頼まれることが多かったから場数は踏んでいると思うよ」
「なら安心ね」
自慢っぽくてあまり言いたくはないんだよね。どうしても男という存在は自分の凄さを人に語りたくなる面倒臭い習性があると考えているから、同性でさえ聞いていて鬱陶しいのに女の子に話したいとは思わない。
ただ、ちょっと褒められたかった気持ちと、これからその実績に見合う実力を見せて少しでも振り向いてもらいたい気持ちが出てきた。
「特に苦手な教科はあるの?」
「その聞き方からして、どんな返事が来ても教えられるんだ」
「まあ、筆記試験ならね。九十以上の点数が欲しいなら別だけど、暗記さえしっかりすれば六割からそこまでの間の点数は無難に取れると思うよ。だから、僕が教えるのはその方法になるかな」
小学生の頃からいかに無駄なく勉強して自由時間を得るかという点を考えて、結局のところ高校までは暗記でどうにかなるんじゃないかという結論に至った。その場しのぎのように見えて記憶の片隅には残っているから引き出すことも難しくないところが特に良い。
歳を取るにつれてどうしてもそういった知識が欠落していくなかで、それまでにどれだけ貯金をつくれるかが大事だと思うからなおのこと自分には合っていた。
その後、人に褒められることでより多くの幸福を得られると知って、こういうタイプにはこの形式が合うんじゃないかと、あくまで個人の意見に過ぎないが考えてみることもある。
「ちなみにどれぐらいの点数が欲しいの?」
「六十はあったらいいなって思ってる。先生に聞いてみたら、テストも成績表も赤点は四十未満で各学期ごとの成績に反映されるのは二回あるテストの合計を半分にした数の八割と、二十点満点の平常点だって教えてくれたから。余裕を持つとしたらそれぐらいは欲しいかな」
「大学進学は考えてないの?」
「栄養系の専門には行きたいと思ってるよ。でも、関係ない内容も高校じゃ勉強しなきゃだから、その邪魔にならない程度の点数を目指したいんだよね」
ちょっと甘く見ているところはあるし、前に僕の点数を聞いた時の反応から察するに根本的に抜けているところがあるんだろうな、榮沢さんは。単に馬鹿なんじゃなくて、思考が追い付いていない感じ。よく言えば真っ直ぐに動けるタイプだけど、その分想像力が欠如していて行き当たりばったりな展開ばかり。
すこし僕が苦手なタイプではある。
僕の大親友である修が女の子に対してそれに近いタイプで、彼女がいるのに他の女の子といちゃいちゃして了承済みなのかと思えば後にバレて別れてるパターンを何回か見た。ちなみに高校に入ってから既に一回別れている。だから、楓恋とは二度目の恋人関係というわけだ。
そんな昔からの付き合いが無ければ一生関わることのない人間だけど、友情には熱くていつも僕が一人にならないよう傍にいてくれた優しい心の持ち主。そういうところがモテている一因でもあるのだろう。
「ちなみにテストまで残り十日ぐらいでしょ。まだ手は付けてない感じ?」
「全然だね。あっ、でもテスト範囲はちゃんと見たよ」
「それは大抵の人がもう済んでいることだよ。まあ、その他に入っていなかったのは良かったけど。それで、さっきの質問にまだ答えてもらってないけど、もしかして、どの強化も平均的に低い?」
「えっ、いやいや、さすがにそこまでは……ねぇ」
この尻すぼみ方は図星の証か。でも、助かった。一点劣化型だと既に苦手意識がついていて吸収力が悪かったり、集中力の低下であったり、難点がつきやすい。
それに対して平均型というものは似たようなマイナス効果が付与されることもあるが、以前より前に進んだと感じられる回数も多くなってモチベーションの維持がしやすいという利点がある。
今回のようにそこまで高くない壁であれば、躓くこともまあないのでさらに効率を上げることができるだろう。
「覚えている限りで構わないんだけど、中学三年時の基本的な五教科の平均点数をそれぞれ教えてもらえると助かるな」
「あー、それは…………ほらっ、全然今とやってる内容違うし、意味なくない?」
「残念だけど、まだほとんどが中学の総集編にしか過ぎないから意味がないなんてことはないよ。それにちゃんと答えてくれないと教えようにも方法が見えてこないから困るんだ。聞かれて恥ずかしいと思うかもしれない。でも、なにかを得るためには何かを犠牲にするのは当たり前の話だから」
「それはそうだけど……。想像以上でも馬鹿にしない?」
「ああ、しない。約束するよ」
「じゃ、じゃぁ」
初めの頃の元気はどこへやら、いつの間にか立場がしっかり逆転していて声が小さくなっている。それほど自分のなかで自信を持てない部分なのだろう。学力はこういった場で簡単に周囲と比較できる指標になるからグループでいることの多い女の子にとってはなおのこと嫌なのかも。
まあ、そんなこと言われても聞かずには進められないのでどうしようもないけど。
一応のため、メモを取りやすいよう椅子に座って机のうえに紙とペンを用意する。
「大体どれも三十から四十ぐらいだったかな」
「なるほどね」
よくそんなものでうちの学校に合格したなと一瞬思った。恐らく受験勉強に集中している間、こちらを疎かにした結果なんだと思いたいぐらいには酷いから。
なんにせよ、ちょっと弱気になっているところが可愛くて仕方ない。
「とにかく国語関連と数学二種、日本史はこれ以上範囲が増えることはないから問題集の答えを暗記しよう。それと小テストもね」
「そんなのでいいの?」
「そう、そんなのでいいんだよ。大体こういうテストって漢字だけで十点は取らせてくれるし、自分の意見を書くパターンは割合問題が多いと思う。特に進学校程力を入れているわけじゃないからね」
ほーと息を漏らしている様子からわかるように感心してくれているみたいだ。
どれもこれも中学の先輩が二年生にいるから教えてもらったことだけど、得た知識は自分の物だからわざわざ説明なんてしなくてもいいよね。
「何回も解けばいいってこと?」
「そうそう。印刷している分があるから明日、僕も渡すよ。今日のところは小テストで出た漢字を適当な紙でいいからそれぞれ十回か二十回書いておくといいよ」
「わかった!」
「それと数学は教科書に載っていた公式を同じように書いておくこと。いきなり多く詰めこもうとしても容量が持たないから、これからは毎日回数を減らしてやっておくと楽だよ」
「それで覚えられたらいいんだけどね。どうしても、自信がなくて」
失敗経験が頭をよぎったのか、また弱音を吐く。こういう顔を今まで僕は知ることができなかったからすこし喜んでしまっていることは内緒だ。
「初めは仕方ないよ。まずはやってみて一回模擬テストみたいなので成果を見てみよう。そうすればこの方法で合っていたかどうかもわかるし、自信もつく可能性が高い。ひとまずここは僕を信じてみてよ」
「そこまで言ってくれるなら、無下にすることはできないね」
誰かに背中を押してもらいたい性格なのかな。わざと弱い面を見せて勇気づけて欲しいんだろう。あざといというやつか。うん、見事にニヤニヤですよ。
自分が必要とされている気分になれてウィンウィンだ。
「さあ、早速始めようか」
普段よりトーンが高くなったのがバレていないことを願おう。
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