第4話 最高の条件と最低の役回り

 ベッドに本棚、勉強机とあとは母さんが買ってくれるスキンケアの商品が並ぶ化粧台、白を基調とした部屋は自分でも面白みのないものだなと思う。でも、こういったインテリアへの興味もセンスもないからこれで十分だとも思ってしまう。

 もしいつかここに榮沢さんを誘う、そんな幸せな時間が来るなら所々に色をいれたらどうかとか可愛らしいぬいぐるみでも買っておいておこうかとか考えるんだけど、今のところはそこまでの予定は見えてこない。


『お待たせ! 母さんには勉強中だって話にしてるから、テスト勉強をしているふりをしながら話すね』


 勉強机に数学の問題集と自習ノートを置いて準備万端。今日はいつもより捗りそうだ。


『全然いいよー。じゃあ、かけるね』


 スマホをスタンドに立てて、既に繋がっているワイヤレスイヤホンから着信音が流れてくるをを待つ。

 ワンコールが鳴り終わるより先に通話ボタンを押した。


「こんばんは」

「やっほ。ごめんね、電話が良いなんて我が儘言って」

「そんなことないよ」


 目の前にいるわけでもないのに片手を横に振ってしまっている。


「ありがと。それじゃあさっそくなんだけど、このヒロイン出来すぎなぐらい良い子ちゃんじゃない? 優しくて謙虚で可愛くて、お金に目がくらむこともない。こんな女の子いるの?」


 早々に痛いところを突かれた。

 まだまだ序盤しか読んでいない榮沢さんだから知らないだけだよと言いたいけど、ここからも闇の部分は殆ど出てこない。というのも、現実にいる人をモデルにする弊害でその人のことを僕がどれほど知っているかでキャラクターの密度が変わる。

 当然僕は表の榮沢さん、しかもその一部分しか知らないんだから下手に性悪に書くことなんかできない。好きな相手ならなおさらだ。


「あくまで創作物だから理想を描くのは当然だと思っている部分はあれど、榮沢さんの指摘通りあまりにも出来過ぎなんだよね」

「良く書いてくれるのは嬉しいよ。でも、欠点がない子ってこんなにも面白くないものなんだってわかった」

「だよね。どうしたものかな」


 こうして当人と話せる機会を得られたのは情報の確度を向上させるためにも利点だ。まあ、これから協力して貰えるならの話だが。


「これってただの趣味で書いてるだけなの?」

「いや、そういうわけではなくて……」


 いずれ話さなければならなかったことだが、改めて聞かれると断られたらどうしようか不安になってくる。


「来月末に僕みたいな小説を書きたい人が自分の作品を投稿するサイトでコンテストがあるから、それに応募しようと思っているんだ」

「えー、どうしてそんな大事なものに私の名前使ったの。設定を聞いた以上、ダメだって言われたら出せないんじゃない?」

「仰る通りです。バレなきゃいいの精神でいたのは反省してます、ごめんなさい」


 聞こえてくる声からは怒りの感情は見えてこないが謝っておくに越したことはない。

 それにしても分かり切っていたはずの未来を口にされるのは何とも言えない恥ずかしさを残していくものだ。喋りに対する緊張とは別に、頬が熱くなってしまっている。


「あのさ、そのコンテストでいいとこまでいったらどうなるの?」

「一応、もらえる賞によっては出版できたり、賞金だけだったりだね」


 おや、空気が変わったな。わざわざ聞いてくるということは少しでも興味を抱いてくれているという証拠。まさかまさかの逆転が有り得るのか?


「じゃあ、使えなくなったら厳しいんだ」

「そうなるね。自業自得なのは百も承知だけど」

「ふーん……あっ、いいこと思いついた」


 この状況で榮沢さんにとって良いことというのは僕にとって悪いことの可能映画高い。一瞬の期待は砕け散り、背中に汗を感じながら続きを待つ。


「そのコンテストに使ってもいいし、必要ならモデルとしてお手伝いしてあげてもいいからさ、私の条件飲んでよ」


 なるほど、こうやって脅しが発生するわけだ。まだその内容すら聞いていないのに加害者意識から飲めば許してもらえるという考えが働く。飲まざるを得ない状況を自分で作り上げていってしまう。

 一気に立場が逆転しているのに加害者というレッテルは剥がれない。よくできた仕組みだな。


「断れる立場じゃないし、もちろんそうしてもらえた方が助かるよ。それで条件っていうのは?」


 榮沢さんの趣味も趣向も全然知らないから、なにを要求されるかもわからない。

 そんな状態でよくモデルにしたなと思われるだろうけど、好きだからと言ってアタックできるほどの積極性があればもっと早くに席が前後という絶好の機会を逃すわけないんだよね。

 それに、だからモデルにしているところもあるし。


「恋愛ものなんだったら、もちろん過程が大事でもあるよね。漫画でもそういうの多いし」

「たしかに、どれだけ読者の感情を揺さぶれるかが大事だとは思う。それに所々に共感できるエピソードがあるのは理想とも言えるだろうね。夢を買う人もいるだろうから、叶えられなかった世界線を描くことで希望を再度持たせられたら僕は嬉しいなって考えているよ」

「いいね、そういうの。使われている身としてはそういう心構えを聞けて安心する。それでもって、条件の話だけど、私の恋人役になってくれない?」

「うぁ……」


 一瞬にして歓喜と絶望が押し寄せてきた。何とも言えない音が出て、どう返せばよいものか妥協案すら出てこないほどぐちゃぐちゃに掻き回される。

 友達として最高の条件だろう。それだけは理解できた。


「今日初めてまともに話した小笠原くんに頼むのもおかしな話なんだけど、せっかくこんな機会を与えられたんだから、いいかなって」

「それは、つまり、僕の小説のためというのは理解できるんだけど、榮沢さんにとってどんなメリットがあるのか、教えてほしいんだけど」


 とにかくひとつひとつ片付けていくことで自分を納得させるしかない。

 言葉に詰まりながらも用件を伝え、答えを待つ。どんな形で返ってきてもそこに今は希望などないとわかっているはずなのに、癒しを求めてすがってしまった。


「恥ずかしい話、私、これまで彼氏いたことなくてさ」


 照れているのか吐息混じりだ。というか、彼氏いたことないって本当に? 傍観者の僕が言うのもなんだけど、こんないい子なのに? 逆にそれだけ付き合いが出来てから欠点が見つかるってこと? いやいや、そんなわけ。

 話の展開につい先程までの暗い感情が吹っ飛んでいく。


「告白は何度かあるんだけど、うまくいかないんだよね。多分面食い過ぎて見合ってないんだと思う」


 これは慰め待ちか? 慰め待ちなのか? とにかくわかんないけど僕が慰めたい!


「そんなことないよ! 僕なんかでいいなら恋人役をぜひ、お願いしたいぐらいだ!」


 勢いよく椅子から立ち上がって身振り手振りを加え、疑似告白のような言葉を並べる。未経験故、何が正解かはわからないけど、その先への可能性を切り開けるのであれば逃げることはしたくない。

 勝手にもう希望はないなんて考えてしまっていた自分が情けない。マインドで負けていたらそもそも五分に持っていくことすら出来ないに決まっているじゃないか。

 これまでみたいにすぐ返事はなく、押され気味なのか受け入れられると思っていなかったから提案を取り消そうか悩んでいるのだろうか。

 息遣いも届かない。まるで遠くの存在かのように感じさせてくる。

 この間が怖い。とてつもなく怖い。熱が冷めた身体はただ立っているだけだ。

 人に想いを伝えることがこんなにも苦しいなんて、世の人々は至難を乗り越えて幸せを掴んでいるのか。


「ねぇ……いや、いいや。うん、ありがと」


 何を飲み込んだんだろう。聞いてみたいけれど、その先が真っ暗な闇では手を伸ばせそうもない。


「ちゃんとどうしてこんなことを頼むのか、小笠原くんの言ったメリットを話そうと思うんだけど、小笠原くんが私のことを知りたいように私も恋人について知りたいの。その相手が誰になるかは分からないけど、本当に彼氏が出来たとき、ミスで嫌に思われたくないんだよね」


 それは一理ある。人間が完璧でないとして、ではなるべく完璧に見せるためにはどうすればよいのか。それは知識でカバーするのが得策だろう。

 初めてのことでも関連するものからおおよその想定を立てて実践に向かうことで、限りなくミスをなくすことができる。

 特に榮沢さんの言ったような場合は、一つのミスで印象が変わってしまう可能性もあるからなおのことだ。まあ、そんな小さなものすら許せない男が榮沢さんの彼氏になるなんてくそくらえって感じだけど。


「わかった。ちなみにこの話は隠しておいた方がいいと思うんだけど、学校では今まで通りの感じでいくの?」

「それでいいんじゃないかな。前より仲良くなって話す関係になったぐらいで。基本的にはそういう部分じゃなくて、こういうプライベートな部分を見てほしいから」


 プライベートな部分か……響きがいいなぁ。

 ついついにやけてしまった。こういうところが榮沢さんの言うミスなんだろうな。自分でも気持ち悪いって思うし。


「じゃあ、とりあえずはそんな感じで。もし、そういうの嫌われるかもって思ったら遠慮なく教えてね」

「うん、わかった」


 ああ、このままお喋りの時間が終わってしまう。あくまで友人という枠を今は超えられないということがこの提案により確定してショックではあったけれど、限りなく恋人に近い形でいられるのだから、もっと楽しみたいよ。

 まあ、榮沢さんからしたらそこまでの気持ちがあるわけじゃないんだから、程よいところで会話が切れるのは当たり前だよね。


「それと私もこの休日はテスト前で皆と遊ぶ時間凄く減ったから本当に小説読んでおくね。小笠原くんも私のこと知って続き書けたらちゃんと見せてよ」

「それはもちろん」

「じゃあ、おやすみ」

「……おやすみ」


 言葉を返してすぐに通話は切れてしまった。ツー、ツーと鳴る音がもう相手がいないことを余計意識させてくる。

 この虚無感はなんだろうか。余韻すら味わうことのできないすっと真顔になる感じ。いや、でもこれから接する場面は多くなっていくんだ。別に榮沢さんの彼氏候補から消えたわけじゃないし、僕が努力さえすれば振り向かせられるかもしれないし、せっかく得た機会を損なうような男じゃそもそも合わなかったということ。


「頑張るぞ!」


 グッと拳に力を入れて鼓舞する。

 いつまでも奥手でいたら何も始まらない。榮沢さんだって誰かに告白するぐらいの勇気を持った強い子なんだ。僕がそんな消極的では気にもかけてくれるわけがないんだ。

 実際、これまで前後だったけどほとんど話しかけてくれたことがなかったのはそれが理由かもしれないしね。イメージチェンジさせるためにも、徐々にでもいいからプラス要素を増やしていくぞ!

 そうして、ひとまずは軽い筋トレから始めることにした。

 腕立て伏せ、腹筋とも十回で息切れする僕なんかじゃダメだと鞭を振るいながら。

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