第3話 文字の表裏
榮沢さんとさよならして家に着いたのが一時間前、それから夕食を食べ終えて風呂に入ったのが十分前、そうして今は湯船に浸かりながらスマホをポチポチ。
防水用のケースに入れて動画を見ながらゆっくり浸かるのが幸せすぎてやめられない。
「はぁ、今日はいつも以上に疲れたな。まさかの形で一番バレたくなかった榮沢さんにモデルにしていたこと知られちゃってから、自分のしたこととはいえ一気に恐怖が押し寄せてきて辛かったー」
救いは榮沢さんにそこまで嫌われたわけではなかったことか。名前を借りただけならまだしも恋愛小説のヒロインとして使われていて、気にしていないなんてことはないだろうけど、僕のことを考えてくれたのか思ったよりも怒られなくて助かった。
もし今日嫌われてこの学年の間にあったはずの話す機会がすべて失われていたら、僕は絶望のあまり不登校になっていたかもしれない。
ああ、自己評価が低いあまり好きな人との理想の存在を書く学生か……それを本人に見られるなんてどれほど情けないんだろうか。
「やっぱり考えたら死にたくなってきた」
今日貸したノートにはその理想が思う存分に解説されているわけで、今日を含めた三日間のどこで読んでくれるのかわからないけど、もし目を通したらその瞬間に嫌われてもおかしくはない。
助かった気でいたけど、正念場は未だ迎えてないんだよね。ここを抜けられればある程度は安定するだろう……と思いたい。
「今日は音楽でもかけてゆっくりするか」
勉強のときや眠れないときに聴くリラックスできる音楽集を再生する。ゆったりと浴槽のなかで足を伸ばして目を瞑ろうとしたとき、通知音が鳴った。
今は七時ぐらいだから多分渡木が書き忘れた板書を見せてくれってところだろう。大学に行く気がないからって理由で安全圏の祭利を前期で合格してあとはぐうたらするとか言ってたけど、本当に授業中寝まくりで今度の中間テストが散々な結果にならないか心配になる。
とりあえず、今は風呂だからあとで写真を送るよと返すか。
通知からLINEを開いてそうしようとしたとき、トーク画面の背景がはっきり見えたことで手が止まった。
一応のため、上部のユーザー名を確認してみる。そこには
こ、これはまさか、榮沢さんなのでは!?
どうしよう、どうしよう、心臓が急にバクバク鳴り始めてうるさい。
『小説とりあえず二十ページぐらい読んだよ!』
ああ、誰かわかるようにフルネームで登録してて良かったと思う日が来るなんて……よくやったぞ、あの日の僕!
さっそく読んでくれたみたいで凄く嬉しいし、二十ページということはイケメン主人公くんがメインヒロインである榮沢さんに話しかけて全く相手にされない辺りかな。ということは、主人公から見た第一印象が書かれているわけだけど。
『カーディガンからひょこっと顔を覗かせる指が綺麗だって、これも私のことなの?』
いぃぃぃやあああああああああ!
どうした僕! なぜそんなことを書いているんだ、そして、どうしてそのことを忘れていたんだ!
そうだよともそうじゃないよとも言い難いじゃないか……。
とにかく友達に追加して既読はついているから返信しないと。
『萌え袖だってことが言いたくて、そういう言い回しにしたんだ。可愛い女の子の特徴のひとつだと思うから、その条件に当然の如くはまっていますよってことで』
『なるほどね。じゃあ、たまにそうしているときは可愛いなって思ってくれているんだ?』
なんだ、なんだ? 榮沢さん凄く気にしてないか? いや、そりゃそうだよね。自分がモデルって聞いて長所としてどこが挙げられているのかは気になるよね。
それに僕が自分で思うって送っちゃったわけだし。
『否めないです、はい。あっ、でも、注視してることはないからね! ちらって見えたときに可愛いなーって思うってことで!』
榮沢さんとわかってから一気に体温が上昇したみたいだ。のぼせてきたせいで変なことを言ってしまっているのかどうか判断が怪しくなってきた。
これは一旦頭を冷やすためにも出たほうがいいかも。
『ごめん、今お風呂だからここからはまたあとで返信する!』
これでいいだろう。とにかく出よ……ん? なんだこれ。
『小笠原くんって腹筋割れてるの?』
『まあ、ちょっとだけなら』
そんなわけあるかって感じだろうけど、確かめる方法ないんだし、これぐらいの嘘は許されるか。
『えっ、本当? 今、お風呂場なら鏡あるよね? ちょっと写真で撮ってみせてよ』
そんな甘いことはなかった……。絶対これ、見透かされて言われてるよ。そんなわけないって。当然だよな、鍛えているようには見えないし、特別体育の授業で活躍しているわけでもないし、あまりにも情報が皆無すぎる。
ここは大人しく事実を伝えよう。
『ごめんなさい、見栄張りました。太ってはない普通の身体です』
『だろうと思った。でも、割れてなくても筋肉ついてたら格好良いなってなるよね』
うぅ、僕は微塵の格好良さもないちょっと勉強ができるだけの男です、ごめんなさい。これイメージダウンしてないかな、榮沢さんのなかで。絶対してるよ。最悪だー。
『まぁまぁ、とにかくのぼせる前にお風呂出なよ。またやり取りできるようになったら教えて。打つの面倒だから、電話できるとなお嬉しいかも』
で、電話! やばっ、絶対今ニヤニヤして気持ち悪い顔になってる。
『わかった。そこまで時間かからないから、待ってて』
『はーい』
このやりとりが出来ただけで小説が見つかって良かったと思えるの、僕チョロすぎかな。いやでも、好きな子とこんなふうにプライベートで話せること自体、内気な僕からしたら本当に夢のような話であって奇跡に近い。
頑張って小説書いててよかった。
それから風呂場で身体を拭いたり、ボディクリームを塗ったり、一連の作業を終えてリビングに入った。
夕食の食器が並べられた食洗器は仕事中みたいだ。奥ではL字ソファを贅沢に使っている母さんがいる。見ていたテレビからこちらに視線を寄越してきた。
「アイス、買っておいたから好きなの選んで食べて良いわよ。スプーンは食卓の上にある袋のなかに入ってるから」
「ありがとう」
幸いなことに僕の家庭は三人で暮らすには十分な収入がある。元々共働きで僕が成長して困るようなことが無いよう頑張ってくれた結果なんだとか。素直に嬉しいし、感謝しかない。
冷凍庫を開けると、ストロベリーとバニラと抹茶が二つずつ仕舞われていた。
「じゃあ、ストロベリーを一つもらっていくね。あと、僕これから友達と電話しながら今度のテストに向けて勉強するから、絶対入ってこないでね」
「ふーん、わざわざ警告してくるなんて珍しいわね」
そういうことをする深い関係の友人が少ないことを知っている母さんになんて嘘をついてしまったんだ。下手に探られないうちに誤魔化さないと。
「いや、高校で出来た子だから、修と違って母さんのこと知らないし、僕も恥ずかしいからさ」
「それもそうね。終わったらLINEでも送っておいて頂戴」
「わかったよ。それじゃあ、アイスありがとね」
再度お礼を述べて、なるべく自然な足取りで部屋から出ていく。
一人っ子のおかげで自分の部屋を与えられたことがここで活きてくるとは思わなかった。玄関から正面に進んだ先が今いるところなわけだけど、入ってすぐ左手にある僕の部屋とは離れていてもし、多少声が漏れてしまっても聞こえはしないだろう。
父さんが帰ってくるのは今の時期忙しいみたいで十時を越えるだろうから、これで大きな心配はなくなった。
ああ、榮沢さんと電話しながら僕の書いた小説の感想を聞くなんて、恥ずかしさよりも喜びが勝っちゃうなぁ。
ウキウキで質素な自室の扉を開けてなかに入っていく。
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