第2話 ちょっと抜けてるぐらいが可愛いけど……

 思っていた通り今月の保険だよりの話をして終わった。これぐらいなら今の時代LINEで済ませて欲しいなー。ローテーションは決まっているんだから、それでも問題ないと思うし。

 まあ、そんなことは一旦置いておくとして、果たして小笠原くんは待ってくれているのかな。落ち着いて考えてみたら理由をつけることには成功したけど、お友達くんに遊びにでも誘われたら帰っていてもおかしくはないし、なんだかこれで私一人だけ残っていたらそれはそれで虚しいというか、腹立たしいというか。

 頼む! 残ってて!

 平静を装いながら強い気持ちでそう祈って教室のなかを覗くと今度はノートらしきものを広げて楽しそうに筆を走らせている小笠原くんが座っていた。良かったぁ。


「お待たせ」

「あっ、ううん、全然今日は暇だったから大丈夫だよ」


 内容は詳しく見られたくないみたいでノートをすぐに机のなかに仕舞っている。それに今日が暇だっていうことはここに残っている時点で分かっているからわざわざ口に出さなくていいのに。

 この調子だと名前の件も相まって優勢は崩れなさそう。今日のところはどんな子なのか見でもいいかもね。


「じゃあ、ゆっくり話せるね。いつも誰も来ないし」


 自分の席で振り向く形に座る。こういうことを好きな男の子にやられるといい雰囲気で楽しいのかな。


「それで、待ってる間も書いてたんだ。本当に好きなんだね」

「本を読むこと自体が趣味だったから、その延長線みたいなものだよ。こういう本に関わること自体が好きなんだ」

「いいね、そういうの。飽き性の私からしたら羨ましい」

「でも、よく韓国ドラマの話とか俳優さんの話とかしているの、あれは趣味みたいなものじゃないの?」

「よく知ってるね」

「あっ」


 やってしまったと言わんばかりに口元に手を当てる小笠原くん。

 普段、ここで皆と話しているの聞いてたな、これ。盗み聞きみたいな感じだからつい口走っちゃって焦ったんだろうなー。気持ち悪がられるなんて思ってるのかも。


「別にいいよ、それぐらい。私の名前使ってることに比べたら全然だし」

「ていうことは、やっぱり勝手に使われて怒ってる?」


 まるで被害者のように不安そうに見つめてくる。誰がどう見ても小笠原くんがヤバイはずなんだけど。


「まあ、怖いなとは思ったけど、珍しいからっていうのは分かるよ。それに勝手に私の絵を描いていたみたいな話でもないからね」

「それはさすがにヤバすぎでしょ」


 いや、小笠原くんも十分ヤバくはあるからね? 許してもらったからって便乗するのは違うよ?


「ただ、私の名前を使うのはいいとして、一方的になのは気に食わないんだよね。名前使ってるだけなのかも怪しいし、調査のためにその小説を読ませてほしいな」

「いや、それはさすがに……」


 恥ずかしさから遠慮願いたいという言い方なのかと一瞬思ったけど、これは図星でどうしても逃れたい証拠なのでは? ここは詰めてみよう。


「見せられないような小説書いてるの? そこに私の名前使ってるから見られたくないとか?」

「断じてそんなことはしてないけど、でも、その……ちょっと近いと言いますか」


 あれ、空気感おかしくなってきたなぁ。

 バツが悪そうに俯いているし、急に口調変わったし。手もモジモジしだした。


「僕が書いているのは恋愛小説なんですよ。それで、榮沢さんはヒロインで、設定も学生で……なんというか、投影してしまっている部分は否めないというか、まあ、そんな感じで……本当にすみません!」


 おでこをしっかり机につけて全力の謝罪だ! 私に詰められたらメンタル持たないかもしれないから先に勢いで押し切って耐えようって算段のやつだ、これ!


「そこまでしなくてもいいって」

「いや、僕が百悪いので!」


あっ、これはチャンス。


「じゃあ、謝罪ついでに読ませてくれるよね?」

「えっ?」


 私が引いてくれると思ったのか、顔をあげて驚きの表情を見せてくれる。逃すわけないでしょ。


「小笠原くんが今、自分で百悪いって言ったんだよ? なら、謝罪じゃない償いの証が必要じゃない?」

「それは、そうかもしれないですけど」

「それに私のことモデルにしてるってことでしょ? どんな風に小笠原くんから見られているのかも気になるんだよね」


 こういう作品を書く人が他人に見られることを毛嫌いするパターンは何度もドラマで見たことがある。大抵は自信がない場合が多いけど、今はちょっと展開が違うからなー。

 単に嫌われたくないっていう感情が働いているんだろう。


「じゃ、じゃあ、加害者側の僕が提案するのもなんですけど、絶対に人に話さないっていうのとここで付き合いを切らないっていうのを約束してもらえますか?」


 やっぱりそういう感じだ。

 普通に小説を書こうと思えるってだけで私からしたら凄いし、モデルとして近くで観察できる人を使うのも一理あるし、そこまで心配しなくてもいいと思うんだけど、そういうわけにもいかないのかな。


「もちろん言わないよ。気になったとこは聞くけどね」

「わかりました。じゃあ、これ渡すからまた月曜日にでも返してね」


 目の前で読まれるのはさすがに嫌みたい。この意思は変えないぞってもう机の横にかかっているリュックを持って背負おうとしている。

 私も学校に長くいるのは好きじゃないし、読むのも遅いだろうし、ここは一緒に帰ろう。


「小笠原くんは帰り、電車?」

「そうだよ。梅谷方面なんだよね」

「マジか。私、逆だ。まあ駅までは一緒だし、行こうか」

「行こうってなにが?」


 見当もついていないようで、首を傾げて聞いてきた。この場合、答えはひとつしかないと思うんだけど。


「なにって一緒に帰ろうって意味だけど、用事ないでしょ?」

「あー、ああ、うん、全然ない。良し、帰ろう!」


 理解してくれたかと思えば今度はすぐに教室から出ようと立ち上がる。テンションの波がよく分からないけど、まあいいや。

 今日は楽しかったし、せっかく貸してもらったんだから小説も最後まで読んでみよう。教室の戻ってきたときに開いていたところはノートの三割程度だったからそこまで時間はかからないでしょ。


「それにしても、こういう経験って滅多にできないだろうね。その分ちょっと嬉しさもあるんだ」


 階段を下りて自分のロッカーの前で靴を履き替え、置いて帰る教科書を仕舞って話しかける。五十音順だから、ちょうど私の足もとでしゃがみながら小笠原くんも靴を出す。


「そう言ってもらえたら、僕も助かるよ。本当はもっと慎重に扱うべきものだったとは思うけど」

「今までもああいうふうに書いてたの?」


 邪魔にならないように少し横にはけて話を続ける。見下ろして話すとつむじが見えた。


「見つかったら終わりだとはわかっていても、情報を仕入れられるのは基本教室内だからね。ノートに書いているから先生にもバレにくいし」

「それでいて、ちゃんとプリントも書いてはいたよね。今日のやつは穴埋めじゃなかったから、授業聞いてないとちゃんとは書けないと思うんだけど」


 まだテストが行われていないから小笠原くんがどれだけ頭がいいかなんてわからない。眼鏡キャラみたいな外見の印象があると予想できるけど、そういうわけでもないし。

 そういえば、この前希望者には入試の採点結果を教えてくれるって先生が言ってて、私は皆と聞きに行ったな。ダントツで下だったけど……。皆、今では遊んでばっかなのに、ちゃんと受験前は頑張ってたんだなってなんだか自分が空しくなっちゃったの覚えてるわ。


「でも、日本史で内容も殆ど教科書には書いていることだったし、あとは自分で感じたこと書きなさいタイプだったから、始まって10分もしないうちに終わったよ」

「えっ、すご!」

「いやー、内職に慣れすぎてるだけだから、何も褒められるようなことじゃないよ」


 それほどでもないと後ろ髪をいじりながら照れている。ちょっとかわいい。

 正面からしっかりと顔を見たことがなかったけど、さっきの時間を思い返せば、丸みのある顔で目は大きかったし、えくぼが出やすいみたいでわかりやすかったし、なにより肌が綺麗で可愛い要素は多かった。

 前髪が長くて隠れ気味だからわかりづらかったのかな。あと、全然髪がパサついてない。案外そういうところもケアしているんだ。


「どうしたの?」


 さすがに視線が気になったみたいで顔をあげて問うてきた。すこしかかっている髪の隙間から覗く瞳が綺麗。


「ううん、なんでもないよ。ていうか、それでもこなせるのは羨ましいよ。この前の試験の結果ってどれぐらいだったの?」

「あー、たしか147だったかな」


 えっ、低すぎない? 流石に何が何でも低すぎない? 逆に私、馬鹿にされてる?


「恥ずかしがらなくていいよー。私も全然低かったし、ちゃんとした数字教えてほしいな」

「えっと、どういうことかよくわかんないけど、嘘じゃないよ」


 むしろこいつは何を言っているんだとでも言いたげな様子。目の前で起きている状況が理解できていないような……あっ、なんとなくわかった気がする。馬鹿な私と賢い小笠原くんの間で何がすれ違っているのかが。


「も、もしかして、小笠原くんって前期?」

「あー、そういうこと」


 その質問で納得がいったみたいで、ポンと手を合わせた。


「まあ、そうだね。さっきの反応から察するに榮沢さんは後期だったみたいだけど」

「あっ、今ちょっと馬鹿じゃんとか思ったでしょ!」

「いやいや、これは不可抗力だって! さっき自分で低いって言ってたし!」

「それでも認めるのは違うよ! そこはそんなことないでいいじゃん」


 恥ずかしい、恥ずかしい! 自分で馬鹿晒しちゃったよ。

 これで相手も同じならまだしも前期で147点って殆ど満点じゃん! そんな人の前で本当に恥ずかしい……。

 ああ、頬が熱くなってるのが良くわかる。耳まで真っ赤だよ、これ。


「確かに僕も隠しておくべきだったことはごめんだけど、高校入ったらまた皆新しい知識を得ていくんだから、受験の結果なんてあんまり関係ないよ。どこで壁にぶつかって滞るかなんてわからないしね」


 優しい言葉がなおのこと私の心を抉っていく。


「ほらっ、この前あった漢字の小テストなんて僕、こんな悲惨だったし」


 そう言ってロッカーのなかから出して見せてくれた用紙には1点と赤字で書かれていた。10点満点とはいえ、あまりにも低すぎる。

 ただの励ましの言葉というわけではなくて、実際に勉強をしていないとこんなものだよと自分を犠牲にしてでも見せてくれたところは凄く嬉しい。


「あ、ありがとう。ちょっと元気出た」

「なら良かった。さあ、この話はもうこれぐらいにして僕達互いのこと全然知らないし、そんな話でもしながら帰ろうよ」

「そうだね」


 小笠原くんはこれまであまり印象になくて、強く感じたものが今日見た小説だったからちょっと変わってて面白い子なのかと思っていたけど、気遣いは出来るし、話してて会話が止まったり関係ない話ばかりで不快感があるなんてこともないし、いい感じ。

 とにかく彼氏が欲しいって願いを叶えるにはそれなりに適していると思う。

 それに私のことモデルにしているってことは、ちょっとは気になってくれているってことかもしれない。もう少し様子見て、問題なかったらちょっと匂わせてみようかな。

 それから最寄り駅までの道のりでどこの中学だったとか、お互いに好きな小説やドラマのおすすめの話をした。その時間にはいつもの三人とは違う楽しさがあった。

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