誰もいないあぜ道で僕は


「さて、ナズナちゃんの事を送ってきますか」



 あの地獄のような時間が終わって数十分。

 お母さんは車の鍵をくるくると指で回しながらそう言う。


 先程まで降っていた雨は幸いなことに止んではいるのだが、辺りはもう真っ暗で流石にこれから徒歩で返すわけにはいかないし、そもそも家に招いたのだからその後の責任はコチラにある。



「蓮はどうする? 家にいる?」



「なんでだよ! 行くよ!」



 何故か置いて行かれそうな僕。

 先程の時間でお母さんとナズナはだいぶ距離を縮めたからな……。



「分かった。分かった。それじゃ行きましょう。ナズナちゃんは道案内よろしくね」



「あ、は、はい」



 何か言葉に詰まるナズナ。

 お母さんの急な行動にビックリでもしたのだろうか?


 ナズナは忘れ物がないか確認した後、僕とナズナとお母さんの三人は玄関に向かい、そして外に出ると車に乗り込む。



「それで、ナズナちゃんの家はどの辺?」



 エンジンをかけながらそう聞くお母さん。



「えっと、とりあえず駅の方へ向かって頂けると」



「分かった。曲がるところ教えてね」



 そう言ったお母さんは車を走らせる。

 街頭の少ない田舎町をどんどん進んで行くと、僕がいつも通るあぜ道への道へと出た。


 ナズナと出会う前まではほとんど通ったことがない道だったが、今は馴染み深い道になっている。



「えっと、そこを左に曲がってもらえれば」



 あぜ道に繋がる最短ルートをナズナは案内する。

 やはり僕の予想通りナズナの家はあのあぜ道の近くなのだろう。


 あぜ道がどんどん近くなってくる。

 そして、それに伴い僕の知的好奇心も溢れてきた。


 ナズナの家はどんな感じなのだろう?



 そう。僕はナズナの家を見たことがない。

 それどころかナズナの私生活の一端も知らないのだ。


 どこら辺に住んでいるのか、どこの中学校を卒業したのか、どんな生活をしているのか。

 過去どころか現在も知らない。


 だから住んでいる家でも知ることができればナズナの一部を知ることができるんじゃないのだろうか。


 僕の思考と共に車はどんどん進んで行く。

 


 そして、あのあぜ道が見えてきたところでナズナはお母さんに話しかけた。



「もう家が近いんでここで大丈夫です」



 ナズナは送迎はここまでで良いとお母さんに言うと、持っていた鞄を持ち車を降りる準備を始めた。

 それに伴いお母さんは車を停める。



「ここで良いの? 遠慮しなくて良いから家の前までは送るけど……」



 流石に予想外だったのだろう。

 お母さんもビックリしているようだ。

 もちろん僕もお母さんと同じ気持ちだ。


「いえ。大丈夫です。ここまで来れば近いですし、家までの道が結構狭いんでここからは歩いて行きます」



 ナズナは驚かせてしまったと気付いたのだろう。

 できるだけの笑みをお母さんに向ける。



「……そう? 本当に大丈夫?」



 ナズナの言葉に少し違和感を感じる僕とお母さんだが、本人がここまでで良いと言っているのだから無理強いはできない。



「はい。大丈夫です。今日は本当にありがとうございました。凄く楽しかったです」



 礼儀正しくお礼を言うナズナ。

 その姿はいつも通りだ。そしてあまり自分を見せないところもいつも通り。



「お母さん。ちょっとナズナをそこまで送ってくるね」



 僕は何か言いたそうなお母さんに僕が近くまで送って行くことを伝える。

 流石にないとは思うが、お母さんのお節介で強引にナズナを家まで送って行くと言いかねないからだ。

 


「そうね。分かったわ。それじゃここで待ってる。ナズナちゃん。今日来てくれてありがとうね。またいつでもいらっしゃい」



 僕の提案に納得してくれたようだ。

 無理に送って行くと言ってもナズナは拒否するだろうし、これが最善だと思う。



「はい! 今日はありがとうございました」



 ナズナはもう一礼すると、あのあぜ道がある方へと歩き出す。



「しっかり送ってきてね」



 そう小さな声で僕に言ってくるお母さん。

 やっぱり心配していたようだ。


 僕はお母さんの言葉に頷くと、ナズナの後を追う。




 真っ暗で街頭も無いあぜ道で二人。

 僕とナズナは歩く。



「キミもここまでで良いよ。もう遅い時間だし」



 ナズナはスマホの懐中電灯の機能を使い足元を照らしながら声色を低くしてそう言う。

 声色的に僕に送らせてしまったことへの罪悪感があるのかもしれない。



「いや、送って行くよ。って言ってもすぐそこまでだけどね」



「そう。ありがとう」



 お礼を言うナズナ。

 そして広がる無音の空間。


 田舎の。それも周りには田んぼしかないから仕方ないのだろうが、この静寂はどうも居心地が悪い。

 しかし何か言おうと思っても言葉が出ないのだから、この静寂を受ける他無かった。



 二人の足音だけが聞こえるあぜ道。



 そこでふとナズナは口を開く。



「今日はありがとう」



「どういたしまして」



 暗くてどんな表情を浮かべているか分からないが、この静かな状況でのナズナの声はとても優しく、それでいて暖かい気持ちにさせられた。



「それにしてもキミの家族は良い人達だね」



 思い返すように呟く。



「そうなのかな? 産まれた時からだからあんまり分からないよ」



「確かにね。でも間違いなくキミの家族は良い家族だよ。それにお父さんもお母さんもキミそっくり」



 ナズナは笑う。



「そう? あんまりそんな感じはしないけどなぁ」



「似てるよ。変に優しいところもそうだけど、お父さんがプラモデル作ってる時の顔とかキミそっくり。そりゃキミみたいな息子ができるよ」



 僕は恥ずかしくなって黙ってしまう。



「それにね。私みたいな他人にもあんなに優しく接してくれたのは嬉しかったよ」



「……そっか。まぁお母さんはお節介焼きだからね」



「そんなことないよ。私は嬉しかった」



 僕の言葉に首を振るナズナ。

 そして嬉しそうに口を開くと、言葉を続ける。



「今日はありがとう。家に誘ってもらったこともそうだけどフワラーガーデンも凄く楽しかったよ」



「それは僕もだよ。久しぶりに行ったけど凄い楽しかった」



 お互いに今日の感想を言い合ってあぜ道を進んで行く僕達。

 そしていつもあぜ道に着くとナズナは足を止めた。



「あのね。急にこんなことを言うのも変な話しなんだけど、実は私、花って嫌いだったんだ」



 ナズナの急なカミングアウトに僕は固まってしまう。

 もしかしてフラワーガーデンに誘ったのは迷惑だった?



「えーと、あの。ごめ――」



「ああ、もちろん今は違うよ。今日は凄く楽しかったし、誘ってくれたのは嬉しかった」



 僕の感情を読んでかフォローをしてくれるナズナ。

 お互いの空間に静寂が走る。

 

 なんて言えば良いのか分からないし、ナズナの言いたいことが分からない。



「実はね、私はキミに会うまで……いや最近まで花って大嫌いだったんだ。綺麗に花壇に植えられた花。沢山の人に愛される桜の木。今日のスイレンもそうかな? とにかく大切に育てられた花が嫌いだった。愛される花が嫌いだった……雑草は誰にも愛されないし、咲くことはあっても花壇に植えられている花ほど綺麗にはならない。なんなら、その美しさを奪ってしまうのが雑草だからね」



「雑草……」



 ナズナの口から度々出るワードに僕は反応する。

 一体ナズナの言う雑草とはなんなのだろう……。



「でもね。キミに出会って花は良いものだと思えるようになったんだよ」



「そっか……」



「うん。今は花が大好きだよ」


 

 暗いから表情は分からないが、声の感じからしてナズナの顔を読み取ることができる。

 きっと彼女は笑顔を浮かべている。



「だから……。今日はありがとうね。本当に楽しかった」



「うん。僕も楽しかったよ」



「そっか。ならまた今度行こうね。それじゃ、私はそろそろ帰ろうかな。送ってくれるのはここまでで良いよ。それと、今日は誘ってくれてありがとう。またね」



 そう言ったナズナは僕に背を見せて歩き出す。

 自宅まで送って行くつもりだったが、ナズナの様子を見るに、本当にここまでで良いらしい。


 先ほどの言葉の意味はまだ良く分からないが、今日を楽しんでくれたのならば僕としては嬉しい限りだ。

 また明日。このあぜ道に来よう。そしてナズナと会って話そう。


 僕は明日の予定を決めると、ナズナとは逆方向。お母さんの待つ車に向かうのだった。

 



 そして翌日。

 

 いつものように自転車で見慣れた道を走る僕。

 あいにくの曇り空の中ただただ走る。


 いつもの道を抜け、いつもの所を曲がる。


 するとあのあぜ道が見えてくる。

 岩肌が露出した山。

 もう青葉になっているソメイヨシノの木々。

 すくすくと育っている苗達。

 

 散々見てきた景色を横目にナズナがいるであろうあのあぜ道に足を進める。

 

 そしていつも彼女と居る場所に着いた僕は口を開いた。



「ナズナ……」



 誰もいないあぜ道で一人。

 僕は彼女の名前を呼んだ。

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