03 実験体の目覚め
結局朝まで眠れなかったが、朝の時間に藤根の分の食事を受け取ると、医務室まで運んだ。
「おう、俐一。眠れ……なかったな、その顔じゃ」
「いえ……その……はい」
「はは、正直でよろしい」
藤根が手を伸ばし、俐一の頭をガシガシと撫でた。
藤根が見守っていた保護した魔導士は、いまだに生気なく横になっている。
確かにバイタルサインを見れば、ただ寝ているだけだと分かるが、見た目はまるで死体のようだ。
俐一の視線に気が付いて、藤根は肩を竦めた。
「どうしたもんかな。0号実験の被験者なら、多分、オレたちにアクセスできる情報は少ないだろうしな」
「そうですね……。すごく緊張して、どうしていいか分かりませんでした」
「気にすることねえよ、応援がきたら、その方針に従うしかないだろうしな」
「はい……」
相手の目が覚めていれば、まだ、何か話すことができただろう。ただ、保護した魔導士が目覚めない以上、藤根と俐一にできることは監視だけだった。
司令部からの応援は、その日の午前の早い段階でやってきた。
甲板には魔導士隊のヘリコプターがぎりぎりまで降下し、ハッチを開ける。
そこから、チャコールグレーの常装姿の男が、文字通り飛び降りてきた。
周囲の海自自衛官たちはざわついたが、藤根と俐一は驚きはしなかった。相手は魔導士だ、ここに派遣される時点で藤根以上の実力者かベテランであることは分かり切っている。
(──……って、それより……あの人って)
制帽が外れないように手で押さえ、ふわりと軽やかに甲板に着地した魔導士を見て、俐一は目を丸めた。
見目のいい男だ。背はそこまで高くないけれど、スタイルがよく、常装をモデルのように着こなしている。
涼やかな目で周囲を一瞥するだけで、一瞬、空気が引き締まる。それだけの独特な雰囲気を持っていた。
降り立った魔導士が手で合図すると心得たようにヘリは去っていく。
(合流したのは……ひとり……か)
「魔導士隊魔導科より応援に参りました、魔導士科陸上自衛隊協力小隊所属、
「……佐伯……」
藤根がぎゅっと手を握り、そして、息を吐いた。
「今回の海自協力小隊、作戦責任者藤根曹長です」
「存じてます。現場は?」
常装の佐伯と、迷彩柄の作業衣装の藤根の間に奇妙な緊張が走る。つられるように、俐一やその周囲の海自自衛官たちも緊張した空気を出す。
「こちらです」
海自自衛官が佐伯を甲板の右舷に案内する。
保全のために即席のロープが張られていたが、現場も何もない。その場所には墜落の形跡もなければ、何も残っていない。
「……自衛官たちは下げてください」
「分かった」
佐伯の指示に、藤根がすぐ動いた。
(陸自協力小隊の佐伯1尉が……どうして海自の作戦に……?)
協力を求めたのは確かに自分たちだが、同じ魔導士科とはいえ、海自協力小隊の魔導士ではなく陸自協力小隊から応援が来るのだろう。
それも、佐伯亮。
彼は海をじっと眺めて、しばらく黙っていた。
「君が赤塚くん?」
「あ。はいっ」
「もうアイテールも何の変化も見えないんだけど、昨日の状態はどうだった?」
「ええと……昨日は、海の10メートルくらい上を光の道が真っ直ぐと走っているように感じました。魔法使用の痕跡に間違いないかと思います」
「ふうん」
ふうん。以上。
声も、見た目以上に涼やかな印象の声だ。
どうしていいか分からず立ち尽くす利一の横に、仏頂面な藤根が並んだ。
「何か分かるか、佐伯」
「……分かると思うんですか?」
「はぁ……、たくっ。拘束してる魔導士のところに連れていく」
「はい」
藤根と佐伯が並ぶと頭一つ違う。
俐一はふたりのあとを黙ってついて行った。
医務室の中では、医官が例の魔導士を監視していた。
「特に変化はありませんか」
「はい」
普段愛想のいい藤根だが、今は真顔で対応している。医官も戸惑ったようだ。
佐伯はツカツカと、拘束しているベッドのそばに歩み寄り、華奢な体躯を見下ろした。
「確かに、0号事件の被験者に似ていますね」
「似ている……? 佐伯1尉はご覧になったことがあるんですか?」
「例の作戦で、日本から貸与された魔導兵器は私と藤根曹長でしたから」
藤根はむっつりと黙ったまま返事をしなかった。そんな藤根にちらりと視線をやっただけだった佐伯は特に気にする様子もなく、また視線を戻す。
(藤根先輩が0号実験施設から魔導士を保護する作戦に参加してたなんて……知らなかった)
上級魔導士として様々な作戦に関与し、また、「魔導兵器」として貸与されることもある藤根には、守秘義務があって当然だ。
ましてや、ベテラン魔導士となれば、極秘作戦のひとつやふたつに参加していても不思議ではない。
「簡単に調べた程度ですが、0号実験被験者の逃走や脱走の報告はありませんでした」
「じゃあ、0号実験じゃないってことか?」
「そうですね、厳密には。模倣したどこかの国の魔導士の可能性は高いと思いますが」
佐伯は医官からバインダーを手渡される。そこに挟まれた、昨晩からモニターされたバイタルを確認する。
「……本当に寝ているだけ、か」
「この船はかなり沖に出てる、そこまで単独で飛んできたなら、そりゃ寝込みもする」
「死んでいないだけ、すごいことでしょうね。──つまり、この子どもは我が国の脅威です」
そう言った刹那、佐伯はバインダーを振りかぶった。
そのまま振り下ろして、拘束された魔導士の横っ面をひっぱたく。乾いた音が響き、意識を失っていた頭はおもちゃのようにガクンと揺さぶられる。
「おまっ、何やって!」
「これでも起きないか」
「佐伯!」
再び佐伯が手を振り上げようとしたところで、藤根がその手首を掴んだ。
「何やってんだ!」
「見て分かりませんか、刺激を与えてます」
「はぁ?!」
佐伯が腕を引いても、藤根はびくともしなかった。
怒りに任せて声を張り上げる藤根の前でも佐伯は一切委縮していない。
「このまま、目覚めるのを待つつもりだとでも?」
「だとしてもそのやり方はねえだろ!」
「そんなに大きな声で叫ばなくても聞こえています」
「はぁ!? なんだ、そのイヤミな敬語は!」
佐伯は返事の代わりに、左足で藤根の腹を強く蹴り飛ばした。
「~~~っ!」
藤根は正面から、距離を取るように蹴り飛ばされ、医務室の壁に激突した。
「ふ、藤根先輩!」
「赤塚曹長、藤根曹長に邪魔をさせないようにしなさい」
「え、あの」
俐一から見て、藤根はバディであり先輩でもある。魔導士としても3級の自分から見て、2級の藤根は上位の存在だ。
しかし、佐伯は。
佐伯は1尉であり、1等魔導士……そして、応援のためにひとりでこの船に来た。
「藤根先輩、すみません」
「俐一!」
体勢を立て直されてしまえば、藤根を抑え込むことは難しい。俐一は黙って、藤根を後ろ手に拘束した。
「おい、離せ!」
「どこの国籍の魔導士とも知れない人間が、日本領海を警備中の海上自衛隊の哨戒船に乗り込んだ。日本で哨戒船を海自が取り入れてから、いいや海上警備を海上保安庁が担っていた時代から見てもはじめての事件です」
「それがなんだよ」
「……相手は『兵器』ですよ。単独で数百キロは飛行できる魔力を持っている、目的によってはあまりにも危険だ。ですよね、赤塚曹長」
「答えなくていい、俐一!」
「答えなさい、赤塚曹長」
「……拘束は妥当だと、考えています。それで勘弁してください」
俐一は答えると、藤根を押さえる手の位置をぐっと高くした。少しでも動けば肩が外れる。実践的な拘束だ。
佐伯はその様子を見て、満足した様子もなければ、何の表情を浮かべることもなく、またベッドに向かい直った。
そして、今度は、バインダーで軽く──と言っても、先ほどに比べては、だ──何度か頬を叩いた。
『いつまで寝ている』
何語か、よく分からなかった。ただ、響きとして中国語に近いことは分かる。
上級魔導士は日本語のほかに、英語、そして第三国語までの習得を努力義務とされていた。恐らく佐伯の第三国語は中国系統の言葉で、つまり、司令部はこの魔導士が中国語圏から飛来したと考えているということだ。
『目的を知る必要があるんだ、目覚めてもらおう』
佐伯は、横になった魔導士の顔の上に、手のひらをそっと広げた。医務室に漂うアイテールたちが歌うようにざわめき出し、その手の方に流れ込むのを感じる。
(……魔法だ……)
あまりにも自然に、あまりにも繊細に、佐伯は手のひらにアイテールをあつめて、気を失ったままの魔導士の額に魔力を注いでいく。
一瞬、魔導士の体の輪郭がドクンと大きく跳ね、膨張した。それを何度か繰り返す。
佐伯に注ぎ込まれたアイテールが、魔導士の中でエネルギーに変えられているのだ。
「……治癒……魔法……?」
呆然と俐一が呟くと、藤根はぼそっと「違う」と言った。
「治癒じゃねえ、魔力のねえ一般人には使えないし、体の傷にも使えねえからな」
「でも、今佐伯1尉がされてるのって」
「魔導士の中に枯渇した魔力をアイテールで補完してる。詳しい理論は分かんねーけど、アイツの得意としてる魔法のひとつだよ」
「すごい……一つ間違ったら死にますよね」
「そうだな。だが、作戦中にも失敗したことは見たことねぇよ」
その言葉通りの結果になった。
ゆっくり魔導士は目を開けた。起き上がろうとして、手足の拘束に気が付いた。
「……っ!」
『私は日本国魔導士隊魔導士科所属の魔導士、佐伯という。あなたの身柄は日本国魔導士隊によって拘束されている』
「……にほんご、わかる」
『だが、母語はやはり北京語か? 広東語? 台湾?』
佐伯のあやつるイントネーションが、いくつか変わる。相手も目を丸めた。
「ちがう……でも、いわない」
「なら、日本語で質問させてもらおう」
すっと佐伯はジャケットの内側から拳銃を取り出した。
それを拘束したままの魔導士のこめかみに向ける。
「おいっ! お前、何してんだ!」
藤根が吠えて身を乗り出した。拳銃が出てくるとは思っていなかった俐一も、流石に藤根から手を離してしまう。
だが、佐伯はこちらを振り向きもしなかった。
「お前は誰だ。何の目的をもって日本に侵入してきた?」
「ぼくのなまえは、エリオール……ママたちがつけてくれた。たすけて」
「助ける?」
「けんきゅうじょ、つぶれた。ぼくだけ、にがしてもらえた……おねがい、たすけて」
エリオールと名乗った魔導士の、アーモンド型の美しい目から、きらりと光る涙が零れた。
「おねがい……」
人工的に二次性徴を喪失させられたその声は、やはり高く澄んでいた。
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