第4話 なんでもない日常風景
中学三年の夏、進路希望調査があった。三人は当然のように同じ進路先を提出したのだけど、それを知った奏多の親が難色を示した。
──いくらなんでも浅はかだ。ちゃんと将来のことを考えなさい。
奏多の成績は学校内でもトップクラスなので、地域内の高校ならどこへでも行ける。優李は次いで中の中だけれど、今から対策すれば大丈夫だろう。
問題はオミだった。今のオミが受かる学校となると、奏多と優李はかなりレベルを落とすことになる。本人たちがそれで良くても、親は納得してくれなかった。最初に選んだ学校が電車でしか通えないことも、反対理由の一つだったらしい。万が一身体になにかあったらという親の不安を汲み、奏多は再度志望校を練り直した。そうして終業式直前の今日、
「東宝はどうかな」
と、奏多が学校案内を手にプレゼンを始めたのだ。
昼食後の眠たい空気が漂う屋上で、オミと一緒に耳を傾ける。オミは持ち込んだギター片手に、ぽろぽろと音を鳴らしながら聞いていた。
「東宝?」
「東宝なら自転車で行けるし、ちょっと距離はあるけど、歩いても行ける」
「奏多の父さんたち、納得するかな」
「レベル下げすぎるなって言われただけだし、東宝なら大丈夫だと思う。それにあの人たちは結局、僕のことが心配なだけだから、家から近いところならどこでも賛成するよ」
なるほどと頷くと、隣でオミが低く唸った。同時に低音をぽろんっと一粒奏でる。
「結局、俺ががんばるしかないってことか」
「それはどの学校でも同じでしょ」
奏多の言葉に同意して頷くと、オミは拗ねた顔でそっぽを向いた。
「なー、それより今日どこでやる?」
オミは背中をフェンスに預け、欠伸をしながら肩を回した。それよりじゃないよ。今の自分たちに、進路以上に大切な話題はないだろうに……。
「スタジオは予約してないし、駅前のカラオケでいいんじゃない?」
奏多が呆れ顔で言う。たぶん、自分も同じ顔をしている。
中学に入ったとき、優李たちはバンドを組んだ。あの夏の夜はじめて聴いたロックミュージックに、優李とオミは心を奪われたのだ。奏多を巻き込んで歌い始めるのに時間はかからず、時間と小遣いが許す限り、音楽スタジオやカラオケで練習を重ねていた。
今日もオミは早々に昼食を平らげて弦を触っている。優李もベースを持ってこいと言われていたけれど、誰もいないとはいえ外で音を鳴らせるほど腕前に自信はない。オミがギターに集中しているのを横目に、意識的にゆっくりと弁当を食べる。
ぽろりぽろりと小さな粒だった音が、次第に繋がって列を作っていく。並んだ音符が空に立ち昇っていくような、軽やかな一曲だった。最近完成したと言っていた新曲だろう。これから奏多が歌詞を付け、声を乗せる。優李はオミが同時進行で書いてくれたベースコードを弾くだけだ。
その程度の腕でも、音楽は楽しい。オミの「バンドやるぞ」宣言はまるで「コンビニ行くぞ」程度の軽さだったけれど、いざ始めてみるとすっかりのめり込んでしまった。
はじめて弦を弾いたときの、指先の痺れ。腹の底から声を出す快感。きっと自分は今、世界中の誰よりも人生を楽しんでいる。そんな気がするほど没頭した。小遣いを貯めて自分の楽器を買ったときは、感動のあまり抱きしめて眠ったくらいだ。
けれどいいことばかりでもなかった。活動を通じ、オミが柄の悪い連中と連むようになったのだ。中には大人もいて、最近では夜遅くまで出かけていることもあるようだった。そのせいで起きられず学校をサボる。低血圧でイライラしてすぐに癇癪を起こす。完全なる悪循環だ。元々の喧嘩っ早い性格も災いして、今ではすっかり不良と呼ばれている。
オミの堂々とした振る舞いには今でも憧れている。だけど自由はやりすぎるとただの我儘だ。小学校とは違い、中学校の教師陣はそう甘くないだろう。今のオミでは高校に進めるのかすら怪しい。そもそも進学はしないのではないかとも思っていたのだけど……。
「僕、オミは高校に行く気がないのかと思ってたよ」
優李が黙っていたことを、奏多はなんのためらいもなく口にした。びっくりしてお茶を吹き出してしまい、小さく謝って口元を拭う。
「なんでだよ」
「だって、今のオミ完全に不良じゃん。進学も就職もせずに、グレ街道まっしぐらかと」
言葉の棘どころか、もはやナイフだった。切れ味が鋭すぎてオミも面食らっている。奏多のこういうところが、自分は割と好きだ。
勝手に感心していると、オミは「不良じゃねーし」と言って唇を尖らせた。
「だいたい、一緒に育ったのに、なんなんだよこの差は。自分だけ天才になりやがって」
「僕は天才じゃなくて、ちゃんと毎日勉強してるだけ。努力の賜物なんですー」
「自分で言うか」
馬鹿みたいなやりとりをぼんやり聞きながら、フェンスにもたれかかって空を見上げた。
一年生のときにオミが鍵を壊し、それからずっとここで弁当を食べてきたけれど、この時間も残り一年を切った。今さらだがよく見つからなかったものだ。この学校、管理体制は大丈夫なのか?
「おい優李。おまえだって余裕あるわけじゃないだろ。自分には関係ない、みたいな顔してるけどよ」
「あのねえ、優李はオミと違って、全力を出さずして今の成績なんだから余裕だよ。オミと違って」
「二回も言うんじゃねーよ」
優李が口を挟む間もなく会話は続いていく。二人を眺めていると、本当に大きくなったなぁ、と親戚のおじさんみたいな感想が湧いてきた。
オミはぐんと背が伸びて体格も良くなり、男っぽさが増した。完全なる校則違反の金髪と赤目は継続中だ。優李がもういいよと伝えてみても、オミは黒に戻そうとしなかった。自分のせいでオミが変な目で見られるのは申し訳ない気持ちになるけれど、案外本人も気に入っているのかもしれない。
奏多も背が少し伸びた。だけど三人の中では一番低い位置で止まったようだ。二年生時の身体測定と今年の結果がまったく変わらず、本人はショックで閉口していた。しかし小学生の頃のようなあどけなさは消え、妙に色気のある顔つきになった。本人は女々しい顔だと嘆いているけれど、女子よりよっぽど美人だと一部の男子から騒がれている。
「でも実際問題、オミはこのままじゃどこの高校も受かんないよね」
正直すぎる奏多の発言に、オミはついに真顔で黙ってしまった。
「……まあ、でもまだ夏だし。夏休みに集中的に勉強すれば、無理ではないかもよ」
優李が助け舟を出してみると、オミは「そういえば」と思い出したように言う。
「母さんが夏期講習のパンフ見てたわ。息子の行く末が心配だっつって」
「他人事のように言ってるけど、その息子ってオミだよ?」
優李のツッコミを無視して、オミは困り顔をした。
「でも夏期講習なんて俺、続く気がしねぇよ」
「優李も一緒に行けばいいんじゃない?」
「え、俺?」
奏多からの急な指名に驚いた。
「優李が落ちることはまずないと思うけど、行っておいて損はないじゃん。それに確かに、オミ一人じゃ心配だし」
「奏多は?」
「僕は行かない。夏休みには家庭教師呼ぶから」
「家庭教師?」
初耳だ。オミも聞いていないらしい。
「なるべく家の中にいてほしいって。めんどくさいよね」
「あー……なるほどね」
憂鬱そうにため息を洩らす奏多に、優李は言葉を濁した。奏多の親が心配性なのは仕方がない。ただ、最近は確かに少し過保護すぎる気がしている。
もう少し自分たちのことも信用してもらえたら、奏多は自由を得られるのに。優李の中には、奏多の親に対する小さなひっかかりがある。口にしたことは今までに一度もないけれど。
しかしオミはたびたび奏多の親と言い争っているようだ。幼い頃からの付き合いなのでそれで両家の仲が悪くなるようなことはないけれど、安室家は中立立場として少々気まずい思いをしているのも確かだった。
「それなら、俺たちは俺たちでがんばろう」
微妙な空気を察して優李がそう締め括ると、奏多は「がんばれー」と笑ったけれど、オミはなにも言わずにむすっとしていた。こういうとき、ほんの少し胸のうちに靄がかかる。自分だけでは納得してもらえない。オミは奏多も一緒でなければ嫌なのだ。蔑ろにされているみたいでモヤモヤする。けれどそう思うこと自体が、とんでもなく傲慢な気もする。
うまく説明のつかない嫌な気分が心を支配して、ふと表情を失った。そんな自分を見られたくなくて、また空を見上げる。ぽっかりと白い雲が浮いた夏の青が眩しくて目を細めた。優李が憂鬱さを感じたとき、空はだいたいよく晴れている。
「あ、チャイム」
「やべ」
予鈴が鳴って、オミが慌ただしく片付けを始めた。とっくに荷物をまとめていた優李と奏多は、早くしろよと急かしながらオミを待つ。立ち上がって背伸びをすると、肌に突き刺さる日差しがいっそう強く感じられた。
階段を下りるときは必ず、オミが奏多の下にいる。授業に遅れそうでも絶対に急がない。奏多の片手が空くように、荷物はオミが必ず持つ。それが自分たち幼馴染の、なんでもない日常風景だ。
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