四宮伶二郎の解釈
まてどもこず
第1話 神宿りの銀杏
一、
四宮伶二郎の名を知る学生は多いけれど、実際に彼の姿を見たことがあるという者は少ない。
大学構内では、“名簿に名前があるのに実在していない幽霊学生” として名を馳せ、学生諸君の対オカルト好奇心をくすぐっている。
その正体は、サークル活動に没頭しすぎて学生の本分を疎かにしまくっているだけの、単なる馬鹿なのだけれど。
果たして、オカルト研究に打ち込んでいる自らがオカルト的存在と化していることに、あの自称・超常識人は気がついているのだろうか。
「おや、マキコマレミくんじゃないか」
オカルト研究会の部室(最初に見た時に理事長室と勘違いしたほど豪華な内装だ)を訪れた俺に、奥のデスクから四宮が声を投げてきた。
「……四宮、その人度々登場するけど、実在するのか?」
「何を言っている、お前の名前だろう。記憶を食われたか?」
「俺は小牧だよ、何回言えば覚えるんだ」
「あぁ、そっちか、コマキね、小牧ルリ。可愛らしい名前のくせに、可愛らしさなど毛ほども無い男だ。カワイイのカの字も無い男だ」
全くもって余計なお世話である。
「それで何の用だ。僕は今忙しいから、お前に構ってる暇はないぞ」
彼はカタカタとキーボードを叩いて、ノートパソコンの画面に向かっている。翌日提出の課題レポートだろうか。
……翌日提出のレポート?
「明日が締切日の課題はどの教授からも出てないはずだろ?」
「レポート? 馬鹿かお前は。僕は世界中で今日起きた超常現象を “解釈” しまくっているところだ」
馬鹿に馬鹿と言われてしまった。
馬鹿というのは、毎度毎度、締切後に課題を提出するような大学生を指して言うのだ。
四宮伶二郎がそれである。
そのくせ、入学してから一つも単位を落としたことは無いというのも、彼をオカルト的存在たらしめている要因の一つだろう。
俺はそのオカルト現象を作り上げる手助けをしているわけだから、これについてはあまり非難できない。
「……四宮、超常現象に飢えて日がなネットサーフィンに耽っているお前にぜひ提供したい問題があるんだが」
「ほう?」
四宮はノートパソコンから顔を上げ、興味深そうに笑みを浮かべた。
「聞くだけ聞いてやろう」
「そりゃどうも……お前、“神の木” って知ってるか?」
「御神木のことか?」
「そうじゃなくて、第一グラウンドの隅に生えてる大木だよ。学内中で噂の、願いが叶う “神の木” のことだ」
「馬鹿みたいなネーミングセンスだな、一体どれだけ馬鹿な常識人が付けたらそうなるんだ」
お前の超常識的センスで名付けたらどうなるんだよ、と聞けば、きっと長々とご高説を賜ることになるからやめておいた。
脱線する前に、話をもとにもどそう。
「……その木はもともと、誰にも注目されないただのイチョウの木だったんだ。だけど半年前くらいから、その木の下で願い事をすると実際に叶うって噂がちょっとずつ広まって、今じゃ賽銭箱まで置かれちゃって、学外からも人が願い事をしに来てる。昼休みの長蛇の列を見たことあるか?」
「無いね」
だろうね、だってお前はオカルト部室から出ないもんね。
そういえばこいつ、昼食はいつもどうしているのだろう。学食でも購買でも見かけたこともないし、弁当を持ってくるようにも見えない。頭の中身だけじゃなく、体の作りも超常識的で、飯を食わなくても生きていけるとかだろうか。
「しかし、本当になんでも願いが叶うのか?」
「百パーセントって訳じゃないが、俺が聞いたところ七割は叶ってる」
「どんな願い事だ」
「恋愛成就が大半だけど、成績アップとか、試合で勝てますようにとか、あとは次の講義が休みになるように、とか」
「お前も何か願ってみたか?」
「いや?」
「なんでだ」
「俺は特に叶えたいこともないし」
四宮はそれを聞いて鼻梁をひくつかせた。
「……お前は本当に可愛くないやつだ。まさに “偽善者” だな。お前ほどその呼び名がふさわしいやつを、僕は見たことがない。まぁだからこそ、僕はお前の名前を会員名簿に刻んだわけだが」
四宮の話を聞いて勘違いしないでいただきたいのだが、俺はオカルト研究会の会員ではない。サークル存続のために名前を貸しているだけだ。
オカルト研究会のメンバーは名簿上は十五名、実質一名——つまり四宮伶二郎だけだ。十四名が幽霊会員という、その名に恥じぬオカルチック。
「とにかくだな、小牧。お前、嘘でもいいからその “ナントカの木“ に願ってこい。超常現象を “解釈” するためには実体験が大切だ」
「それなら、お前が直接行けばいいだろ。大体、心から願ってもないようなことを神様が叶えてくれるかよ」
俺が困ったように息を吐くと、四宮は呆れたように首を振った。
「これだから常識人は超常識が欠けていて困る」
超常識——超常現象を解釈するための常識を超えた知識のことだが、そんなのお前以外に持っている奴がいてたまるか。
「超常識人たる僕は、神と対話する方法が分かっている。だが人と神が直接話すことは禁忌だ。万が一にも本当にその木に神が宿っていたら、——神の言葉を直に聞いてしまったら、僕は精神崩壊を起こして、金切り声を上げながらそこら辺の常識人の目玉を鋏で突き刺して回った挙句、内臓が熱を持って一気に膨れ上がり、四散五裂して死ぬだろうよ」
毎回こうして、彼があまりに現実味の無い——超常識的な話をするものだから、四宮が適当なことを言っているだけなのでは、と疑う気持ちは正直ある。
けれど、四宮の超常識が常識人を救う様を何度も見てきた俺にとって、彼の言うことを端から嘘だと否定することもできない。
「……分かったよ、じゃあ明日暇な時間に行ってみる」
人間が四散五裂する姿は、できれば拝みたくないしな。
俺は用事も済んだので、踵を返して部室を出ようとしたのだが、四宮の「待て」が俺の裾を引いた。
「お前、何故その話を僕に持ってきた? 今度は一体なにを企んでるんだ」
振り向くと、訝しげに俺を睨め付ける四宮と目が合った。
なんて人間不信な——いや、常識人不信な超常識人だろう。人が善意で持ってきてやった超常現象の情報を、素直に受け取れば良いのに。
「……別に何も企んじゃいないって。単に四宮の暇を潰してやろうってのと、ついでにいつもの “解釈” を聞きたいなって、思ってるだけだよ」
そう答えて、俺はドアを開けて部室を出た。
「とことん可愛くないやつだ!」
と、閉まった扉の隙間から四宮の罵声が溢れてきた。
二、
翌日の講義を全て受け終えてから第一グラウンドに向かうと、”神の木“ に続く行列が既に出来ていた。
くそっ、出遅れた。
「はいはーい、“神の木“ に願い事がある皆様〜、最後尾ここですよぉ〜」
最後尾のプラカードを上げ下げしている人物が、なぜか去年の学園祭実行委員のジャンパーを着て楽しげに声を張っている。
俺は彼のところへ寄って行って、「プラカード持つの代わりますよ」と声をかけた。
「あ、すいません」
と、彼は緩くお辞儀をして、プラカードを俺に渡し、ニコニコしながら俺の前に並んだ。
「いや! 違うんすけど! これそういうイベントじゃないんで!」
勢いよくツッコミを入れてプラカードを俺から奪い取った彼は、つい緩んだ俺の顔を見て一歩素早く退き、悔しげに顔を顰めた。
「こ、小牧……ッ! またしてもオレの邪魔をしようというのか」
彼は金色が剥がれた黒いつむじをワナワナと怒りに震わせながら、プラカードの持ち手を折れんばかりに握りしめていた。
「貞原、さてはあの賽銭箱を設置したの、お前だな?」
「なっ、何で分かった」
「お前みたいな商魂逞しい人間が、あんな身近な “金のなる木” を見逃すはずないからな。何かしら動くんだろうとは思ってたんだよ」
「うひひ、褒めても分け前はやらねぇよ?」
一言も誉めていないぞ。
この貞原義晴(さだはらよしはる)という男は、お察しの通り大変おめでたい頭をした非常識人である。
賽銭箱を設置してお金を集めること自体はまぁ法律の範囲内として、それを他人様の敷地内でやるのはかなりまずいと思うのだが、頭でそういう常識的なことを考えるより先に電卓をはじく指が動いてしまうのが彼の悪いところだ。
「そのジャンパー、昨年で学園祭実行委員を追放されたお前が着てちゃまずいんじゃないのか?」
「キーッ! 誰のせいで追放されたと思ってやがる」
今どきそんな奇声を上げて地団駄を踏む人間はお前くらいだぞ、貞原。
「自業自得だろ。実行委員の身分を利用して、妙な商売やるからだ」
「うるせぇ! とにかく今度こそ、オレはお前に勝つ!」
「何をもって勝ちとする気だ?」
「そりゃあ……! そりゃあ、その」
どうやら考えていなかったらしい。もごもごと口を動かして首を捻った後、「か、金持ちになるとか?」と逆に問いかけてきた。
「それならさ、もっと良い方法があるだろ」
「良い方法?」
「あぁ、この行列の先だよ」
「……? “神の木” か?」
「あれは願いが叶う木だぞ? お前も列整備してないで俺と一緒に並んでさ、あれに金持ちにしてくれって拝んだら、叶うんじゃないのか?」
「なるほど! たしかに!」
貞原は合点して手を打ち、プラカードを俺に渡して、俺の前に並んだ。
このチビ、馬鹿で良いなぁ。
どうやって大学に入学したのか、結構不思議なレベルだ。
「良い策をくれた例に、お前に “神の木“ への願い方を教えてやる」
得意げに胸を張る貞原を温かい目で見ながら、「ありがたいなぁ、願い方? そんなのがあるのか、知らなかったなぁ」と幼稚園児を煽てるが如く言ってやると、貞原は照れ臭そうに鼻の下を掻いた。
「木のそばに寄って、できるだけ具体的に願いを喋るんだ。声に出すと叶う確率はグンと上がるらしいぜ? それから、自己紹介も忘れずにな。どこの誰か知らないやつの願いを、神様は叶えられねぇんだってさ。並んでる奴らが言ってた」
「喋る? 心の中で願うだけじゃダメなのか?」
「どうも木に聞かせてやらなきゃダメらしいんだよな。やっぱ考えてることは口に出して、神様とちゃんと話しなきゃ失礼ってことだろ」
神様とちゃんと話をすると精神崩壊を起こした後に四散五裂すると四宮に聞いたばかりだが、貞原ほどの馬鹿が相手なら、神様も同情して助けてくれるかもしれない。
「そんで、後日神様から授かった神託に従えば、必ず願いは叶うんだとさ」
「神託に従えば、ってどういうことだよ。願ったらパッと叶う訳じゃなくて?」
「ちっちっち、甘いぜ小牧」
貞原は俺の前で人差し指を左右に振った。
「そう簡単に叶っちまったら、人間は努力しなくなるだろ? だから神様は確実に願いが叶う道を示すだけで、あとは自分でやらせるんだとよ」
「……神託って、どう伝えられるんだ? 神様から電話でもかかってくるわけ?」
通話画面に神様の名前なんか表示されようものなら、俺は絶対に出ない。切るのも畏れ多いが、間違って通話して体が破裂するのはごめんだ。
「いや、手紙が届くらしい。だから自己紹介には住所も含めろよ」
そのアドバイスをした後は、貞原が願う番だった。自分の設置した賽銭箱に小銭を入れて、木のそばで必死に「金持ちにしてください」と願う彼の姿はちょっと面白かった。
ちなみに、俺が事前に話を聞いた中で、彼と同じく「金持ちになりたい」と願ったやつは二人いたが、そのうち願いが成就したやつはゼロだった。
この後俺は学生課に行って、賽銭箱が無断で設置されていることを報告するつもりだ。
ちっちっち、甘いぜ、貞原。
三、
俺の自宅のポストに神託が投函されたのは、”神の木“ に願って一週間が過ぎた頃だった。
真っ白な封筒には真っ白な便箋が入っていて、そこにはワードプロセッサーの文字が印字されていた。
昼過ぎ、俺は講義がなかったのでその封筒を持ってオカルト研究会の部室へ足を運んだ。
ソファに寝転がった四宮は中身を読んで、「やはりあれは御神木じゃない、ただの銀杏の木だ」と便箋をクシャクシャに丸めてしまった。
「あれに神が宿っているという常識人どもの “解釈” を否定する気はないが、少なくとも僕とは “解釈違い“だね。神は人間と待ち合わせなんかしない」
「けどさ四宮、ただの銀杏の木が願いを聞いた上で的確な神託を寄越せるか? ……誰かが木に盗聴器を仕掛けて、一個一個の願いを地道に解決してるとか?」
「おい、お前は本当に常識的なやつだな。もっと超常識的に考えろといつも言ってるだろう」
「じゃあ、銀杏の木に実は耳と手が着いてて、ついでに予知能力とかなんかも着いちゃってて、願い事を聞いて、それを確実に叶える方法をワープロで打って出力してるとか?」
「その方がまだ良い ”解釈“ だな」
「……俺は、そっちよりは木に神様が宿ってるって ”解釈“ を推すね」
四宮の超常識的な判断基準は相変わらず理解できないが、訳の分からない方向に考えた方が、彼と ”解釈一致” する可能性は高いことに最近気がついた。
「いや、しかし御神木でないとなると、これはなかなか面白くなってきたぞ」
四宮はソファから体を起こして立ち上がり、部室の隅にあるコーヒーメーカーの電源を入れた。
銀杏に神が宿っているわけではないならば、超常現象は何ら起きていないわけで、てっきり四宮は “解釈” を止めてしまうのではないかと、俺は思っていた。
面白くなってきたとは、これいかに。
四宮は俺の疑問をよそに、優雅にコーヒーカップに出来立てのコーヒーを注いで、こんどは奥のデスクに着席した。
「小牧、お前はさっきの紙っぺらに従って動くのか?」
「そりゃまぁ、嘘とはいえ願った訳だし、せっかく神託も届いたし、応じなきゃ失礼だろ」
「なら僕も同行しよう」
「えっ」
えっ。
今、四宮は何と言った?
「ドウコウ?」
いつもなんだかんだと超常識的理由をつけて部室から外に出ようとしない四宮が?
「お前が何を願ってあんな紙っぺらを得たのか知らんが、要するにお前は明後日の夜、——常識人の ”解釈” で言うところの、神様と会うのだろう?」
「……まぁ、そうみたいだな」
俺が受け取った神託は、あの “神の木“ に委ねられる願いを——迷える学生諸君の話を聞いて神託を与え、次々と願いを叶えている神様からの呼び出しだった。
『明後日の午後十時半、動植物研究会の部室で待ちます』というのが、その詳細である。
動植物研究会といえば、オカルト研究会の下の階に拠点を置いて活動する大手サークルで、理学部の人間が多く所属している。
知り合いがいるので部室に遊びに行ったことはあるが、特に面白いものは置かれていない。虫の標本やサイズの小さな植物が所狭しと飾られた棚で囲まれ、湿った土の匂いがツンと鼻をつく薄暗い場所だ。
前回は冬に訪れたのだが、中央の炬燵で開催されていた “ポインセチア会” なるものに巻き込まれて散々な目にあった。ポインセチアが赤くなる仕組みについて論文を元にプレゼンテーションが行われ、その後黙々と炬燵に置かれたポインセチアのスケッチをやり、お互いに作品を披露し合うという謎の会合は、俺の頭も手指も心もそれまでなかった程ヘトヘトにした後、やっと幕を閉じた。
得たものといえば、いつ使うのだか分からないポインセチアの豆知識だけであった。
それがちょっとしたトラウマなので、できるならもう二度と動植研の部室には足を運びたくなかったのだが、神様に呼び出されたのでは従わないわけにもいかない。
しかし四宮は一体、何にそんなに惹かれているのだろう。
まさか俺が本当に神様と出会うなんて思ってる訳じゃないだろうし、動植研でオカルト現象が起こったなんて噂も聞いたことはない。
「ついてくるのは勝手だけどさ、お前が期待するようなものは何もないと思うぞ?」
「何を言ってる、お前が会う相手はそこらの常識人とは違う」
「神様だからか?」
四宮はコーヒーを一口啜り、苦い顔を俺に向けた。
「それは、だからお前の常識的なつまらん ”解釈“ だろう? おそらく相手は、神というより預言者的な存在だ」
「……ヨゲンシャ? 予知能力を持ってるってことか?」
「馬鹿、それは予言者だ。僕が言っているのは、神と人の仲介役である預言者のほうだ。通常の人間では聞くことの許されない神の言葉を理解し、人間に伝える奴らのことだ」
「……んー、神託を寄越してるのがその預言者だとして、だったらやっぱりあの木には神が宿ってるってことにならないか? だって、神がそもそもいないなら声も聞けないだろ」
「今回お前が会う人物はおそらく ”神の声” を聞いているわけじゃない。だからこそ僕はわざわざ、 ”預言者的な存在“ とぼかしたんだ」
「じゃあ、その預言者的な誰かは、一体何の声を聞いてるんだ?」
四宮は俺の疑問を無視してパソコンに向かい始めた。しばらくすれば答えてくれるだろうと待っていたのだが、一向に回答が得られない。
「おい」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ。
「おいってば、四宮」
「教えない」
「なんでだよ」
「お前の企てが分からないからだ。お前がなぜいきなり僕に ”神の木“ についての解釈をやらせようとしているのか、その説明が無いからだ」
四宮はキーボードを叩く手を止め、画面の上端から僕を睨め付けた。
「僕は ”解決“ も ”解明“ もやる気は無い。起きている超常現象そのものを ”解釈” するのが僕にとってのオカルト研究であって、それ以上をやれば、それはオカルト研究では無くなるからだ」
良く良く知っている。
幾度も聞かされた、四宮のポリシーだ。
「……なのに、以前お前が持ってきた現象をイキイキと ”解釈“ したら、どうしてだか『あなたのおかげで解決しました!』と手土産を持ってきた奴がいてな」
彼のポリシーを無碍にしたそんな律儀な常識人は一体どこの誰だ。
そもそも幽霊学生として名を馳せている四宮に関わろうなんて、恐れ知らずも甚だしい。
「……お前は僕の ”解釈“ を今度は何に利用する気だ、小牧ルリ。可愛げのない ”偽善者“ め」
俺は「はぁ」とため息を吐き、「そうだよ」と、彼の言うことを認めた。
「俺は ”偽善者“ だ。だから人を助けて人から感謝されるのはなんだか申し訳なくてさ。感謝の矛先を自分以外に向けるべく、『ありがとう』と言われたら、『どういたしまして』の代わりに『礼なら四宮に』って口癖みたいに返してるんだ」
「な、なんて傍迷惑な話だ!」
「だから、別にお前の ”解釈“ 云々は関係なくて、俺が誰かにシャーペンを貸したり、ノートを写させてやったり、金を貸してやったり、そういう日常のささいな感謝が全部お前に向かってるだけだ。多分その手土産を持ってきたって奴も、俺が悩みを解決したのをお前のおかげと勘違いしたに過ぎないんだよ」
咄嗟に作り上げた言い訳にしては、良くできたと思う。
四宮はしばらく目と口を丸くして固まっていたが、やがて眉間に皺を寄せて俯き、大きくため息を吐いた。
「……今後一切その受け答えは止めろ」
「分かったよ、心苦しいが今後はちゃんと『どういたしまして』と応えることにする」
俺は残念そうに肩を落としてみせた。
四宮は、それに構うこともなくまたパソコンの画面に目を落とした。
「……ところで四宮、グウェン教授は今日体調不良で休みだから、英語のレポート提出は来週になったぞ」
それを聞いた途端、四宮はノートパソコンを閉じて勢いよく息を吐いた。
「それを先に言え。時間を無駄にしたじゃないか」
課題に取り組むことを時間の無駄と言い張るとは、真面目にやっている学生に対してかなり失礼だと思うのだが、——まぁレポートを書くのが時間の無駄かどうかというのも、個人の解釈次第というわけか。
四、
次の日は土曜日で、夕方には家庭教師のバイトをやりに、近所の優等高校生のもとを訪れた。
といっても、今日も今日とて優秀な彼は既に宿題も、予習も復習も、赤本攻略まで終えており(まだ高校一年生であるというのに)、俺が教えられることはやはり何一つないので、二人して駄弁って暇を潰しているだけだった。
今日は全国的に晴れであるから、この部屋が雨になる心配もないが、橘くんはいつも通り傍に黒い傘を置いていた。
誤解を招かないように述べておくと、橘くんの家は近所一綺麗で、雨漏りや水漏れなんかがたまに起こるとかではない。
文字通り、この部屋には “雨が降る” のだ。
それはもうザァザァと、天井から降ってくる。
だから橘くんの部屋には雨具とブルーシートが常備されており、雨が降ってきた時には家具を濡れないように覆い、靴下を脱ぎ、傘をさす。
この超常現象の解決を、橘くんはけれど求めていない。この現象は四宮の助言を得ながら橘くんなりに ”解釈“ をして、そのうえで、このまま手をつけないと決めたのだ。
「うちの高校にもありますよ、そういうの」
”神の木“ の話題を振ったら、橘くんは俺が持参したポテトチップスを一枚口に放り込んでそう言った。
「“神の池” っていうのがあります」
「賽銭を投げ入れて願い事をしたら叶うの?」
「そんな噂もありましたけど、あんまり信じる人はいなかったなぁ……」
さすが、県内屈指の難関高に入学する皆様は、底辺大学のチャラけた学生達よりも余程賢明である。
「橘くんは信じなかったの?」
「僕はそもそも願いたいこともないですし……願い事って、例えば何を願うんですか?」
「んー……成績アップ?」
「だってそれは、勉強すれば良いだけの話ですよ?」
聞いたか、底辺大学のチャラけた学生達。
神頼みしている暇があったら勉強しろ。
「う、うーん、金持ちになりたいとか?」
「けど金持ちになったところで、それって幸せなんでしょうか」
「好きなものなんでも買えるし、遊び放題だし、幸せそうな気はするけど」
「でもあんまりお金持ってたら、周りの人が誰も信用できなくなりそうじゃないですか? 友達とかもみんな、どうせお金のために集まってるんだろ、とか考えちゃいそうですし。他人からの善意が全て欲の裏返しに見えちゃう、というか」
すごい。
すごく先ほどの安易な発言が恥ずかしく思える。
俺も所詮は底辺大学のチャラけた学生の一人であるのだと、自覚する形になってしまった。
「……じゃあさ、あの、ほら、恋愛のこととか」
「れっ、恋愛……っ?」
橘くんは分かりやすく動揺し、声を上擦らせ視線を泳がせて、みるみるうちに顔を赤くした。
ほほう。
年相応なところもあるではないか。
見ていろ同士諸君、チャラけた学生の反撃が始まるぞ。
「橘くん、彼女欲しいとか思わないの?」
「そ、そういう先生は、彼女いるんですか?」
「いないけど」
反撃終了!
「いたことあるんですか?」
「高校の時はいたなぁ」
「どんな感じですか、その、人と付き合うって」
もじもじと俯いて恥ずかしそうに尋ねてくる橘くんのために、高校の時のことを思い出してみる。
「んー、どんな感じ、か……」
高校一年の秋から付き合った二つ年上の彼女は、今思えばかなり謎めいた女性だった。
彼女としたことといえば、毎週水曜日の夜、高校の近くに建つビルの屋上で開催されていた、映画の野外鑑賞会を観に行くくらいだった。
世間一般でいう恋人らしいことは、何一つしていない。手すら繋いだかどうか怪しい。
それでも、俺は結構彼女と楽しくやれたと思う。
「……それは付き合ってみないと分かんないかも、人それぞれだし」
「……先生、強がりで『いた』って言ったんなら早めに訂正してくださいね」
橘くんが疑いの眼差しを向けてきた。
一体、橘くんの中で俺はどういうイメージなのだろう。
彼女なんて一生できないような印象なのだろうか。
断固、抗議しなければ。
「いたってば、本当にいたんだよ」
「なんだか幽霊を見たって言い張る小学生みたいですよ、先生」
「……まぁ、信じるも信じないも任せるけどさ。橘くんは好きな子とかいないの?」
「うっ、好きな子……好きな子ですか」
なかなか良い反応だ。
これはひょっとせずともいるな。
「同じクラス? それとも先輩? 早くバラしちゃったほうが楽だぜ? なぁ橘くん」
「い、言いません。自白の強要は許されませんよ、黙秘権を行使します」
橘くんは俺の前に手のひらを突き出して、もう片手でポテトチップスを摘んだ。
「それより先生、さっきの話に戻りますけど」
「橘くんの好きな子の話?」
「先生、怒りますよ」
むっとする彼の顔を見ると、なんだか余計に嗜虐心が高まってしまうのだが、これ以上やると俺の尊厳に関わる気がするので控えておこう。
「その、願いが叶う “神の木” のことです」
「興味あるの?」
「うちの高校にある “神の池“ もそうですけど、一体、誰があぁいう、俗に言うパワースポットを作り上げているんだろうと、ふと疑問に思ったんです」
「作り上げてる、……っていうか、たまたま木やら池やらに願ってみた人の願いが叶って、その人から別の人へ、そこからまた別の人へ……って噂が広がっただけなんじゃないの?」
「うーん、僕としてはその、“たまたま木やら池やらに願ってみた人” の考えが理解できなくて……だって先生、例えば近くの公園にあるパンジーの花に、手を合わせて拝んでみようなんて気になりますか?」
確かに、そう言われてみればそうだ。
神社に祀られている御神木ならまだしも、公共施設の敷地内に生えている植物に対して願いを叶えてもらおうなんて発想はまず湧かない。
「これは、僕の “解釈” なんですけど、——スピリチュアルもオカルトも無い、単なる常識的解釈なんですけど、—— “神の木” も “神の池” も、できるだけ多くの人の目を惹くために誰かがそう仕立て上げたんじゃないかって気がするんです」
「……だけど、校内の木や池に人の目が集まったところで、商売になるわけでもなし、」
商売をやっていたやつもそういえばいた気がするが、
「誰になんの得も産まれないんじゃない?」
「損得だけで動いているとは限らないじゃないですか。何か、首謀者にとっては崇高な目的があるのかも」
「……橘くん、陰謀論者みたいになってるよ」
考え込んでいた橘くんはハッと我に返って、それからお菓子を摘み、噛み砕いて、無邪気な笑みを浮かべた。
「けど先生、陰謀論者ってちょっと楽しそうじゃないですか? 自分の巧妙な嘘—— “解釈” 一つで、ある意味世界中を動かせるんですから」
この有能すぎる優等高校生がもしも陰謀論者になったら、口先ひとつで本当に世界を変えてしまうような気がする。
俺はなんだか背筋が冷えた。
どうか彼が健やかで真っ直ぐに育ちますようにと、明日神様に願うべきだろうか。
五、
翌日の午後十時過ぎ、部室棟にはいつも通り未だに明かりが灯っていた。
日曜日だというのに朝から夜まで課外活動をやってるのは四宮くらいだ。一体あいつはいつ家に帰っているのだろうか。まさか部室に住んでるんじゃあるまいな。
俺がわざわざ四階まで四宮を呼びに行った時、彼はまたパソコンを叩いていた。
「またオカルト現象でも探してるのか?」
「違う……小牧、お前は植物か人間、どっちだと思う?」
話が驚くほど見えない。
「俺が植物か人間かってことか?」
「違う、お前は行間を読むということができないのか?」
お前みたいな超常識人の行間を読めと言うのは無理難題なんだが。
「今回の現象、植物が特殊なのか、あるいは人間が特殊なのかと言う話だ」
「待て待て、どうあがいても俺にはお前の行間は読めない」
「はぁーーー」
四宮はわざとらしくため息を伸ばした。
俺はため息一つでここまで人を苛立たせることができるやつを、他に知らない。
「一昨日、話をしただろう。今日これからお前が会う預言者は、そこらの有象無象とは異なっていると」
「神の言葉が聞けるからだろ?」
「お前の稚拙な “解釈” で言えばそうだ……そうだな、分かった。お前の常識的な脳で理解できるように話をしてやる」
四宮は椅子から立ち上がり、パソコンを閉じて、俺をまっすぐに見た。
「預言者は神の言葉もヒトの言葉も理解できるわけだが、お前がこれから会う彼あるいは彼女は、人間側だと思うか? それとも、神側だと思うか?」
「……人間であってほしいとは思うね。だって相手が神だったら、話した途端に四散五裂するんだろ?」
「いや、精神崩壊してから四散五裂だ」
何にせよ豪快に死ぬことに変わりないのだし、順番はどうでも良いと思うのだが。
「それに人の形に収まっている神なら、話しても問題ないだろうと思うが、……まぁ、それは今置いておこう」
四宮はデスクから俺の方に歩いてきて、「もう約束の時間だ、行くぞ」と先に部室を出た。
どうやら彼の “解釈“ が聞けるのは、相手に会ってからになりそうだ。
俺と四宮は階段を降りて、動植研の部室を叩いた。だがそもそも電気がついていないところを見るに、待ち合わせの相手はまだ来ていない。
案の定中から返事は無かった。
「もう十時半だよな」
「そうだ、中に入って待てば良いじゃないか」
「俺は動植研じゃないし、鍵持ってないから入れないぞ」
俺が話終わらないうちに、四宮は目の前の扉を開けた。鍵はかかっていなかった。
盗まれるようなものがないとはいえ、なんと不用心な。
漂うのは土のツンとした匂い、それに混ざって、花の甘い香りが鼻腔をついた。
暗い部屋の中にその姿を隠している植物達は、明かりの中で見るのとはまた違う、不気味な雰囲気を纏っていた。
ポインセチア会の嫌な思い出もあるし、できれば入りたく無かったのだが、俺は仕方なく室内に足を踏み入れ、電気のスイッチを探した。
「つけないでください」
突然女性の声がして、俺は「うわっ」と声を上げて肩を跳ねさせた。四宮が驚かせようと高い声を出したのかと彼を見遣ったが、彼は静かに部室の奥を睨め付けているだけだった。
四宮の視線の先に目を凝らすと、そこには人影があった。暗くて顔形は分からないが、小柄な女性のシルエットだった。
「扉を閉めて」
四宮のほうが出口に近いのに動こうとしないので、俺が代わりにドアを閉めた。
「あなたが、小牧ルリさんですか」
奥からそう尋ねられ、俺は「はい」と返事をした。
「あなたが ”神の木“ に願っていたこと、本当ですか?」
「……はい」
嘘だが、嘘だと言うと罰が当たりそうで怖いので、嘘を重ねた。
「そちらの方は?」
「四宮伶二郎だ。この小牧ルリと同じことを願うつもりだったのだが、なかなか “神の木” に行くことが叶わなくてな。代わりにその辺りのパンジーに願掛けをしておいた」
デタラメだ。
俺が何を願ったか知らないくせに。
大体なんだその取ってつけた願掛けは。
「なるほど、そうですか……後で確かめておきます」
「それで、お前は誰だ。こちらは名乗ったのだから、お前も当然名乗るべきだろう」
相手が神かもしれないとさっき話したばかりなのに、四宮は決して怯むことなくそう問いかけた。
逆鱗に触れて体が破裂するのがこいつは怖くないのか? あるいは、すでに相手が神ではないと看破しているのだろうか。
「私は、……一年の鷺沼千里(さぎぬまちさと)です」
「学部はどこだ」
「理学部生物学科です、動植物研究会に所属しています」
「なぜわざわざ小牧を呼び出した? 他の人間ともこうやって直接話をしているのか?」
「いいえ。こうしてあなた方に来ていただいたのは、私の願いとあなた方の願いが同じだからです。あなた方の願いは、私に協力すれば叶えることが出来ます。ですから、あなた方のお力をお貸しいただきたいのです」
「……具体的には何をすれば良いんですか?」
俺がそう尋ねると、彼女の影がもぞりと動いた。
「人々の願いを叶える手伝いをして欲しいのです。私が “神の木” に宿る神様の御声を聞きますので、それに従って動いていただきたいのです」
「それが、どう俺の願いを叶えることにつながるのか分からないんですけど」
と言いつつも、なんとなく想像はついていた。
俺が木に告げた願いを叶えるためには、あの銀杏の木が “神の木” としてより一層注目を集める必要が有るのだ。
それこそ、どこぞのせこい学生よろしく、学校自体があの木を使って金儲けをやろうと企むくらいに。
学校に、あの木は有用だと認めさせるくらいに。
「…… “神の木” に願う人間は、予想以上に多くなりつつあります。私はこの手で彼らの願いが叶うよう導いてきましたが、まさにその手が回らなくなってきたのです。私の協力者は何名かいますが、それを含めてもまだ足りない。ですから、私はこうして同志を集めているのです…… ”あの銀杏の木を、切り倒させるわけにはいかない“」
グラウンドの端にある ”神の木“ ——銀杏の木は、グラウンドの拡張工事に伴い伐採される計画がある。
それを知っている上で、俺の願い事は『この銀杏の木がいつまでもここに生えてますように』だった。
絶対に叶わないし、神託なんか出しようもないだろうと思って願ったことだったが、まさか叶えるために協力しろと言われるなんて予想だにしなかった。
「なんでそこまでして、鷺沼さんはあの木を守りたいんですか?」
「それは、あの木に神が宿っておられるからです。だから、あれを切り倒しては災いが訪れます」
「違うだろう」
口を挟んだのは四宮だった。
「あの木には神が宿っているんじゃない」
四宮の ”解釈“ が、始まる。
四宮は超常識的に、”神の木“ を解釈する。
「あれはただの銀杏の木だ。お前は神の声を聞いているんじゃなく、単に木と話をしているだけだ」
「木と話をするのが常識みたいな言い方をするな」
思わず突っ込んでしまった。
鷲沼さんは何も返さず、四宮の言葉に耳を傾けていた。
「小牧、お前は本当に常識的だな。あくびが出るほど常識的だ。この世にある植物は全て人間の言葉を理解している。知らんのか」
知るわけない。
それは超常識ではあるのかもしれないが、常識ではない。
「反対に、普通の人間は植物の言葉を聞くことができない。だが鷺沼千里、お前は普通ではない。常識人ではあるやもしれんが、超常識的な能力を持ち合わせている人間だ、……植物の言葉を聞くことができる存在なのだろう」
「……私は、神の言葉を、」
「木に宿っている神の言葉を聞いている、ならば『僕がその辺のパンジーに願掛けをした』と話した時、『後で確認しておきます』と返すのはおかしい。僕の言葉を聞いたのは鉢植えのパンジーであって、銀杏の木ではないのだから」
一拍。
俺も鷺沼さんも何も返さなかったので、四宮が続ける。
「お前はあの銀杏の木が聞いた話を集めて、まずどこの誰が何を願ったかを知る。大抵は恋愛に関する願いだと聞いたが……学生達の秘密の会話など植物には筒抜けだ。例えば誰が誰を好きで、誰と誰が付き合っていて、誰がどんな相手を求めているか、木も花も全てを聞いている。お前はその植物達、あるいは先ほど話していた協力者の情報網を駆使して “神託” を作り、人間達に配っているというわけだ」
「…………そう、です」
鷲沼さんが、震える声で四宮の言葉を肯定した。
「そうです。私は、植物と話をすることができます。気味悪がられると思って、黙っていました」
「周りは超常識の欠けた人間どもばかりだからな。超常識人である僕にとっては、そう驚くような能力でもないが、妙なものを見るような目で見られたこともあったろう、さぞ辛かっただろうな」
字面だけ見ると四宮は彼女を気遣う大変良いやつなのだが、終始平坦な口調で喋るので、相手に本気で同情していないのが丸分かりだった。
「さて、では本題に移るとしよう」
「……本題?」
本題は今終わったところでは?
ただの銀杏の木を、鷲沼さんが超常識的能力を駆使して “神の木” に仕立て上げていた。
それで今回の “解釈” は終わりではないのだろうか。
「お前は人間か? それとも植物か?」
そういえば先ほども、四宮はそれを気にしていた。
「……人間です。理学部生物学科に所属していると、お話ししたでしょう?」
「あぁ、そうだ。鷺沼千里は人間だ。では聞くが、いつから植物の声を聞くことができるようになった?」
「生まれつきです。生まれつき私は植物の声を、」
「残念だが」
四宮は彼女の言葉を遮る。
「植物の声が生まれつき聞こえるのは限られた家系の人間のみだ。サギヌマはそれに当たらない。なのに、お前には確かに植物の声が聞こえている。それは “事実“ だ。現象として起きていることだ。だから、僕はそれを僕なりに “解釈” するまでだが、——鷺沼千里は、植物に寄生されているのではないか? となれば、器は人間でも中身は植物なのだから、植物と会話ができることに説明がつく。今話をしているお前は、鷺沼千里に寄生した植物だと、僕は考えているんだが」
突飛な発想すぎて——超常識的すぎて、俺にはただの妄想にすら聞こえる話だけれど、どうやら目の前の彼女にとっては、そうではないらしかった。
小柄な女性の影が、暗闇の中でゆらりと立ち上がる。
「……想定外です。まさか我々の存在を知る人間がいるとは」
彼女が一歩、こちらへ踏み出す。
「……電気をつけろ」
唖然としていた俺は、四宮が呟いた言葉を瞬時に理解することができなかった。
「は?」
「電気をつけろ!」
叫ばれて反射的に動かした手が、壁のスイッチを探す。
背後で何か重たいものが床に叩きつけられた音がして振り向こうとしたが、その前に指先がスイッチを捕らえた。
カチリ。
LEDが白い光をパッと放つ。
俺がようやく振り向くと、そこにはいたいけな女子大生を組み敷く四宮の姿があった。
鋭い視線で悔しげに唇を噛む鷺沼さん、その両手を床に押さえつけて彼女の腰に乗っかる四宮。
これは危険だ、色々と。
俺は急いで四宮を彼女から引き剥がそうと現場に駆け寄った。
「鷺沼さん! 大丈夫ですか!」
「……おい、お前が刺されるのを庇ってやったのに何故コイツを心配するんだ」
呆れて息を吐く四宮から、鷺沼さんの手に目を移すと、そこには刃を剥き出しにした太めのカッターナイフが握られていた。
俺が驚いたのはそれだけではない。
焦茶の長髪から覗く彼女の両耳には、花が咲いている。
外耳道孔から外へ向けて赤い花びらが開いている。花弁は百合の花に似ているが、その表面はホログラムシートのように、光の反射によって色が変わって見えた。
「……ていうか、四宮、暗い中で良く抑えられたな」
「俺はお爺様から特殊な訓練を受けているから、暗闇の中でもある程度闘える」
お前の爺さん何者なんだよ。
というか、何と闘うつもりで訓練受けたんだよ。
「離せ人間! 正体がバレたからには、貴様らを生かしておくわけにはいかない」
「落ち着け。別に僕たちはお前を排除しようとしていない。鷺沼千里の体は勝手に使えば良い」
それは鷺沼さんが可哀想なのでは?
「僕はただ “解釈” をやりたいだけだ。お前をそこから引き摺り出してしまっては、それは “解決” になってしまう。僕はせっかくおきている超常現象に手を加えることはしない、決してな」
四宮はそう言って、なぜか俺に釘を刺しでもするように睨め付けた。
鷺沼さんは訝しげに眉を寄せて四宮を見ていたが、自分に害を与えないと分かったのか、手に持っていたカッターを離した。それを見て、四宮も彼女の上から退ける。
「……とすれば、恐らくお前が言っていた協力者というのも “寄生植物” に寄生された人間だろう。何人いる?」
「五人だ」
「ふふん、良いじゃないか。近くにあと五人も紛れているのか、探すのが楽しそうだな」
「おかしな人間だな、我々のような存在を前にして恐怖も無しとは……貴様、一体何者だ」
鷲沼さんが、打ち付けた背中をさすりながら起き上がり、四宮にそう問いかけた。
「さっき自己紹介は終わっただろう、僕は四宮伶二郎、超常識人だ。そこの小牧みたいなつまらん常識人とは違って、超常識を持ち合わせている。お前達のような存在も、僕にとっては当たり前だ。当たり前園クラッカーだ」
間違ったギャグも爺さん譲りだったりするのだろうか。
前園って誰だよ。
「しかし、これでまた “解釈“ すべきことが出てきたわけだ。お前は先ほどあの木を守りたい理由について、『あの木に神が宿っているからだ』と言った。だが結局それは嘘だった。ならば、お前達 ”寄生植物“ があの木を守りたい本当の理由は何か?」
「それは」
「待て、絶対に言うな。僕が ”解釈“する。違ってようが当たってようが、お前は何も言うな」
「えぇ……」
四宮の言葉は、未知の植物すら困惑させていた。
彼にとって大切なのは ”真実“ ではなく、あくまでも ”解釈“ なのだ。
その姿勢は常人には——常識人には、理解できないものだ。少なくとも俺には分からない。
常識人は常に正しい答えを求めてしまう。
テストを受けたら誰だって、自分の考えが正解なのか、あるいはどれだけ正解に近いのかを知りたがる。
答え合わせをやらないままではいられないのが常識人の性だ。
けれど四宮伶二郎にとって、——この超常識人にとって、”正しい答え“ など不要なのである。”正しい答え“ を知ることは、それはオカルト研究ではないと、彼ならば言うだろう。
「そもそも人間に寄生する植物というのは、地球上では聞いたことがない。最近日本上空での未確認飛行物体の情報は無かったし、異世界の入り口が開いたという噂も聞かないから、異星や異界から来た可能性は低い。となれば、どこぞの研究機関で秘密裏に開発されて逃亡中とか? なるほど、ならばあの銀杏を使って “神の木” ブームを作ったのは人を集めるためか。要するに防犯のようなものだな。いつ機関のエージェントが来ても衆目の中で作戦行動は取りにくいだろうし、万が一危険が迫った時、お前たちが別の人物に乗り移って器を変え、身を守ることが容易くなる。他に考えられる理由とすれば、単に同じ植物としての仲間意識で銀杏の木を救おうとしているとか、……うん、まぁそのくらいだろう」
四宮は長々一人で語り尽くした後、満足げに深く頷いて、くるりと出口へ向いた。
「さ、僕は帰るぞ」
「ま、待て!」
唖然としていた鷺沼さんが、四宮の背中に声を投げる。
「なぜそこまで分かっていて、我々を排除しようと動かない? 我々は貴様ら人間に害を成す存在なのだぞ。こ、このまま、何もせず放っておいてくれると言うのか?」
「馬鹿め、何度言わせる気だ。僕は ”解釈“ するだけだ。”解説“ も ”解決“ も ”解明“ も、やってたまるものか! 逃げるなら好きに逃げれば良い、侵略するなら好きに侵略すれば良い。僕は探偵でも警察官でもヒーローでもない、あんな常識人どもとは一線を画す、超常識人なのだからな。まぁ、さすがに自分の身が危険に晒されれば対処はするが」
「き、貴様は、我々の味方なのか……?」
気の抜けた鷲沼さんの質問に、四宮は口角を上げて、ハッキリと返答する。
「それは、お前の “解釈” 次第だ」
六、
それから、——。
残念ながら “寄生植物“ の思惑通りにはいかず、銀杏の木は予定通り切り倒される運びになった。
人が集まるとはいえ、本当に神が宿っているわでもないのに、噂に踊らされて木を残しておくのは馬鹿らしいと、学校側は判断したらしかった。
四宮にそのことを一応報告したが、特に興味もなさそうに「ほーん」と返事をしただけで、ずっとパソコンに向かって、なにやら作業をしていた。
課題かオカルトニュース検索のどちらかだろう。
「まぁそれならそれで、 ”寄生植物“ 諸君も他に生きるための戦略を立てるだろうさ」
「……四宮、お前ってさ、万が一地球が滅びることになっても、絶対に ”解釈“ 以外はやらないのか?」
「なんだ急に」
急、というわけではなく、毎度思ってはいたのだ。
俺は今回、超常識的な存在が知らず知らずのうちに身近に迫っていることが分かって、かなり危機感を感じた。自分の住んでいる場所が他のよく分からない生物に侵されていくのは、普通怖いものだ。
なんとかしなければ、と、常識人ならば考える。
「……地球が滅びることになったら、か……うん、僕はやはり事態を ”解決” などしない。地球が滅ぶ際に起きている現象をできるだけ ”解釈“ して、 ”解釈“ しながら地球と共に滅びるだろうさ。それが一番面白い」
やはり、超常識人の考えることは、俺には分からない。
俺は常識人であるから正しい答えを求めてしまうし、同時に ”偽善者” であるから、事態の解決方法をどうしても探ってしまう。
そういえば、鷺沼さん以外の五名——五体の “寄生植物” に、俺は大体当たりをつけていた。夜に誰もいない銀杏の木に寄り添って口を動かし、別れを惜しむ人物はそういない。
彼らは夜になると各々耳から違う種類の花を咲かせていたが、昼間は周りとなんら変わりない姿だった。日光が苦手なのか、四宮の “解釈” に沿って話すのなら、夜に活動的になるよう研究機関に作られたのか。
俺の常識的な頭では、その辺を予想することくらいしかできない。こういうことは、四宮然り、超常識的存在の専門家でないと結局、対処できないのだ。
俺はひとまず四宮に「今回もありがとな」と軽く礼を言って、オカルト研究会の部室を後にした。
家庭教師のバイトもあったので、そのまま俺は帰路に着いた。
駅のホームで、電話をかけようとした手を一度止める。
どこで、なにが俺の声を聞いているか分からないなと思い直して、用心のために、俺はメールで今回の “神の木“ 現象について報告することにした。鷺沼さんと他五名については対処を依頼して、それから俺はスマホの画面を暗くした。
次の電車までは少し時間があるので、俺は待合室まで行って座って待つことにした。平日の昼過ぎとあって待合室には誰もおらず、隅に観葉植物の鉢植えが飾られているだけだった。
嫌というほど冬に目に焼き付けたそれが、ポインセチアであることは一目で分かった。
俺はその隣に腰を下ろし、それから緑色のポインセチアに、試しに声をかけてみた。
「ごめんな、俺は “偽善者” だから、植物に支配された人間をそのままにはしとけないんだ。四宮がやんないって言うなら、俺が “解決” するしかないんだよ」
ポインセチアは何も返さなかったし、もちろん赤くなることもなかった。
ただ、葉っぱを触っていたら手を切ったから、ひょっとすると少し、ポインセチアは怒っているのかもしれなかった。
四宮伶二郎の解釈 まてどもこず @matedomo
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