3.ネコ婆さん。

  街外れのその空き地は、まさに猫たちの楽園であった。

 茶トラ、サバトラ、白、三毛、ぶち。

 数十匹はいるだろうか。

 ファーストがその空き地に入るやいなや、たくさんの猫たちが尻尾を立てご機嫌でにゃあにゃあと集まって来た。ファーストの足もとを、ぐるぐる8の字に回ったりし始める。

 ファーストはしゃがむと、一匹の三毛を両手で持ち上げた。


「悪いな。食い物は持ってねえんだ」


 まるで返事するみたいに、三毛は「にゃあ」と鳴いた。その間もどんどん集まってくる猫たちにファーストが少し戸惑っていると、奥のほうから声がした。


「あんた、悪い奴じゃないみたいだね」


 最初は猫が集まってできた山が、喋ったのかと思った。だがその山は、のっそりと起き上がる。山になっていた猫たちが、不服そうに脇に避けた。


「ここの猫は善人と悪人を区別できる。それだけ懐かれるあんたは善人だ」


 猫の山から出て来た老婆はファーストにそう言った。ファーストはゆっくりと三毛を地面に下すと、三毛はもっと甘えたいように「にゃあ」と鳴いた。


「あんたがネコ婆さんか?」

「あたしをそう呼ぶ奴らは多いね」

「猫を探している」

「猫ったってここにはたくさんいるよ」

「この猫だ」


 ファーストはネコ婆さんに写真を飛ばす。受け取ったネコ婆さんは、零れ落ちそうな大きい目で、写真をじっくりと見た。


「今どき印刷の写真なんて、古風だねえ」

「その猫に見覚えは無いか?」

「あるよ」

「教えてくれ」

「ときどきここに来るんだ。ふらっとね。気品のある子だけど、飼い猫じゃあないみたいだ。あたしは『スカーレット』って呼んでる」

「スカーレット?黒猫なのにか」

「首輪が赤いからね」

「なるほど」


 そう言って優しく微笑んだファーストの表情に、ネコ婆さんは思わず赤面した。この男の不意に険の抜けた表情は、老若男女を惹きつける魅力を備えている。ネコ婆さんもそれに当てられたと、思ったそのときだった。


 バタム!


 遠慮なく、いやむしろ威嚇の意味を込めて閉められた、宙に浮くタイヤのない車エアビークルの扉。その音に、ぞろぞろ降りて来た三人のガラの悪い男に、猫たちは一斉に敵対心を剥き出しにして威嚇した。


「どうやら、善人じゃないほうが来たみたいだねえ」


 三人の男をネコ婆さんは睨みつける。ファーストは立ち上がると、ネコ婆さんを制した。その瞳は、先程までと違い、刃物で抉るような殺気に満ちた。

 三人の男は、ここにネコ婆さんと猫しかいないつもりで現れた。だから、この刺すような殺気を放つ男のことはイレギュラーだった。その圧の強さに少し怯みながらも、三人の男はネコ婆さんに近づくと言った。


「猫を探している」

「お生憎さま。あんたたち尻尾を振る猫は、ここには一匹もいないよ」

「何い?」


 あからさまに不機嫌になるガタイの良い男を、その後ろにいる少し偉そうな男が止める。そして偉そうな男は一歩前に出た。


「悪いことは言わない。猫のことを話すんだ」


 偉そうな男はそう言って、ジャケットの裾からブラスターをちらつかせた。


 その瞬間。


 突風が吹いた。

 猫たちが驚き、見上げる程の速さで、ファーストは偉そうな男の顎にスタンロッドの光刃を突き付けていた。そのあまりの速さに、三人の男は震えた。


「な、何モンだてめえ」


 それでも高圧的な態度を取ろうと頑張る男に、ファーストは、


「俺の名はファースト」

 と、告げた。


 三人の男は空を見る。それから記憶にあるその名に行き当たったとたん、一様に汗を噴き出した。


「ふぁ、ファーストだと?」

「バカな、まさか奴がこんなところに?」

「だが、今の動きは――」

「「本物かあーっ!!」」


 三人は同時に悲鳴にも似た声をあげると、ガタガタと震え上がる。その様を、ファーストは無情に見つめた。


「失せろ」

「「はあーいっ!」」


 我先にと逃げ出す三人。だがそれを、直ぐにファーストが止めた。


「待て」

「「は、はいっ!」」

「お前たちの世界に広めろ。今後、ネコ婆さんに手出しする奴は、俺に手出しするのと同じことだ、と」

「「わ、分かりましたあっ!」」

「行け」

「「ひいいっ!」」


 ほうほうの体で逃げ出す三人の男を見て、

「あっはははは!」とネコ婆さんは大口を開けて笑った。


「あんた、見た目がいいだけじゃあないね!」

「何てことはない。猫と婆さんは好きなだけだ」


 そう言ったファーストを、ネコ婆さんは値踏むようにじろりと覗き込んだ。いや、疑うまでもないか。この男は安心だと、猫たちが言っている。


「あそこだよ」


 ネコ婆さんは、おんぼろビルの剥き出しの鉄骨の上で香箱を組む一匹の猫を指差した。他の猫たちより一段と気位が高そうなその黒猫は、いつからか、じっとファーストのほうを見下ろしていた。


 首輪が、燃えるような真紅色をしていた。


 すとん、とスカーレットは地面に降り立つ。他の猫たちが道を開け、ファーストへと一直線になった道を、スカーレットは堂々と進む。


「みゃあ」


 ファーストの前まで来てスカーレットは鳴くと、付いて来いと言わんばかりに路地裏へ向かって歩き出した。


「付いて来いってことか?」


 ファーストの呟きに、ネコ婆さんがこくりと頷く。その頷きにファーストは微笑みを返すと、「世話になったな」と言って手を振り、スカーレットの後を追う。


「礼には及ばないよ」


 ネコ婆さんは去っていくファーストの背中を見ながら、「良い男はいるもんだねえ」と言った。

 猫が「にゃあ」と、それに同意した。


          ○


 陽の光が差すことはない、薄暗い、時折スチーム管から煙を吹いたり、変な湯気が立ってたりする、そんな人気のない路地裏。そこをしばらく進んだスカーレットは、ピタリと足を止めた。

 ここで止まれと言った顔を向けるスカーレットに、ファーストは歩みを止めた。

 深淵を思わせる瞳で、ファーストを見つめるスカーレット。不意に、異変は起きた。


 ぐにゃと、猫の体が曲がる。

 ぬるりと、猫の手足が人の手足の形、大きさに伸びる。

 ぐぐぐと、猫の胴が大きく伸び上がる。

 ばさりと、長い黒髪を振り上げたとき、そこには、一糸纏わぬ美女の裸身があった。

 女の体を、首輪から伸びた特殊形状記憶の布が、ドレスの形になって包み込む。


 スカーレットという名の猫であったものは、深紅のドレスを着た女になった。


「こんにちは、色男さん」


 男を惑わせる鈴の音が、女の口から洩れた。

 こんにちはの代わりに、ファーストは軽くカウボーイハットを持ち上げた。


「変身能力か――」


 顔色一つ変えないファーストのことを、不服そうに、女は大きな目で睨む。それでもファーストは、怯むことなく続けた。


「生まれつき以外の変身能力は違法だ。そして猫に化ける星人は聞いたことがない」


 淡々と語るファーストの細い顎を、そのラインにそって女が赤く長い爪でなぞる。


「私の変身と裸を見て、眉一つ動かさないなんて失礼だわ」


「生憎と」そこで初めて、ファーストは女の目を見た。「この表情は生まれつきなもんでな」


 本当はあと数秒、女の全裸の時間が長かったら、表情に出ていたに違いなかった。だが幸運にも、表情には出なかったようなので、ファーストはこのまま、続けることにした。

 そんなファーストの頬を女は爪でつつくと、「ふふっ」と笑ってくるりと、楽しそうに半回転して背中を向けた。そして上半身をファーストに向けて笑顔を見せるとこう言った。


「あなたなら、良いかも」


 何のことだ?と分からない顔をするファーストに、再び女は笑う。


「スカーレットよ」

「ああ、ネコ婆さんが付けた名か」

「そうよ。私、気に入ってるの」

「良い名だ」

「私を捕まえるの?」

「どうしようか、考えている」


 スカーレットは「うふふ」と笑いながら、腕組みして動かないファーストの周りをくるくると回る。そして彼の腕をぐいと引っ張ると、その腕に抱き着いた。


「あなたなら、良いかも」

「だから何のことだ?」


 ファーストがスカーレットに向けた眼差しは決して柔らかいものではなかったが、彼女は気にも留めないで話す。


「ねえ、私をハラデル製薬に連れていくの?」

「そうは行かなくなった。お前が違法に作られた検体である以上、ハラデル製薬には違法行為の嫌疑が掛かる。お前は証人だ。接触させるわけにはいかねえ」


「いや」


 スカーレットは強くファーストの腕を抱きしめた。特別豊かではないが、適度な大きさの胸の感触が、革ジャン越しでも伝わる。ファーストは表情に出さないよう努めた。それは得意だ。


「いやって、お前、ハラデル製薬に行きたいのか?」


「そうね」


 すうっと、暗い影が、スカーレットの表情に落ちる。


「あなたに、連れて行って欲しいの」

「良く分からねえな。お前はそこから、脱走したんじゃねえのか?」


「秘密」


 スカーレットの腕がするりと、ファーストの腕から抜ける。それから、彼に向き直るとにっこり笑った。


「お願いを聞いて、ファースト。私、やってみたいことがあるの!」

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