第5話

 いつの間にか数時間経っていた。集中して執筆作業を続けていたせいで、肩や首がってばきばきになっている。うーん、と背伸びをしつつ縁側の向こうに目をやれば、庭の明るさがいささか落ち着いていた。

 もう夕刻のようだ。


 ふと背後に気配を感じて振り返ると、沙代が正座をしてこちらを見ている。心なしかめているようでもある。

「なんだい?」

「夕餉はいつですか?」

 ああ、それでか、と思う。腹が減ったのだな。

「ちょうど仕事が一段落したよ。そろそろ夕餉のたくをはじめよう」

 沙代の顔がぱあっと明るくなった。


 今日の夕餉になにを作るか心づもりがあった。すいとんじるである。


 台所に向かった私は、まずすいとんしたごしらえをはじめた。水団は餅のようでもあるが、餅米ではなく小麦粉でできている。小麦粉を水で溶いて耳たぶの硬さになるまでこねて、それを一口大に手でちぎっていけば下拵えはおしまいだ。

 もちろん、一口大にするさいに包丁で切っても構わないのだが、手で適当にちぎったほうが旨い気がする。


 次に汁のほうに取りかかった。鍋に水を張ってからかまどの火を起こし、沸騰を待つあいだに鶏肉を食べやすい大きさにぶつ切りにしていく。この鶏肉も天津さんにいただいたものだ。しばらくして水が沸騰してぼこぼこと泡立ちはじめたところで、切った鶏肉を投入して味噌や生姜などで味つけを施す。

 この汁にさきほど下拵えした水団を放りこんでいき、水団が茹であがれば水団汁の完成となる。水団の茹であがりは一目瞭然だった。生茹でのあいだは鍋の底に沈んでいるのだが、茹であがるとふよふよと浮かんでくる。


 浮きあがるのを待っていると、背後に気配を感じて振り返った。すると、暗がりの中に沙代が立っていた。柱の影から顔を半分だけだして、こちらをじいーっと見ている。いかにもあの世の者といった風体である。

「怖いって……」

 沙代はぐうっと腹を鳴らしながら無言で去っていった。


 その小柄な背中を見送ったあと、鍋を改めて見るといろどりく。料理は見た目も重要だ。私はどうしたものかと頭を悩ませた。

 ねぎでも入れるか。いや、葱よりも……。

 ひらめきを実践すべく庭に向かった。


     *


 それから約三十分後である。私はできあがったすいとんじるを鍋ごとちゃぶ台の上にどんと乗せた。沙代に取り皿として大皿を渡してやる。大食いの沙代には大皿くらいがちょうどいいはずだ。私が使う小さなお椀のようなものでは、沙代は何度も水団汁をよそおわなければならない。それはさぞ面倒に違いない。


「二杯目からは自分で頼むよ」

 言いながら私は大皿に水団汁をよそおってやった。

「はい」と頷いた沙代は水団汁を凝視していた。

 早く食べさせてやったほうがいいな。私は手ぶりも加えて沙代に告げた。

「どうぞ」


 すると、沙代は待ってましたとばかりに箸をがしりと掴んだ。私には目をくれずに鶏や水団をどんどん口の中に掻きこんでいく。相変らずの食べっぷりである。粗野な食べ方であるのは否めないが、よくよく旨そうに食ってくれるのだった。

 そうやってがっつきながらも、ちゃんと水団汁を評価もしてくれた。食べる合間に「水団もちもち、鶏うまうま」などと発している。ちゃんと味わってもいるようで、「生姜がいい」と的確に味つけを見抜いている。


 それから沙代は具のひとつである緑の葉っぱをもしゃもしゃ食べはじめた。その味がはじめてのものだと気づいたのだろう。食べかけの葉っぱを口から半分だしたまま、この野菜は? と目で尋ねてきた。

「それはたんぽぽの葉っぱだよ」

「はんほ、はんほほへふは(なんと、たんぽぽですか)」


 沙代は口から半分出ているたんぽぽを、もしゃもしゃもしゃもしゃもしゃ、といっきに咀嚼してごくんと飲みこんだ。草を食ううさぎのようだ。

「たんぽぽは食べられる雑草だと聞いた覚えがあります。でも、実際に食べたのはこれがはじめてです。あ、さっき庭でなにかされていましたが、さてはたんぽぽをっていたんですね」

 私は頷く。

「たんぽぽはなかなかうまいんだよ。ちょっとくせのある苦味があるものの、それも火を通せば気にならなくなるしね。特にそのたんぽぽはしょくすのに適してる。たんぽぽと一口に言ってもいくつかの種類があるんだけど、うちの庭に自生しているのは西洋たんぽぽなんだ。海外だと食用とされている種だね」


 長々と説明してから悪いことをしたと気づいた。沙代は私と大皿を交互に見ながらそわそわしている。まるで餌をお預けされた犬のようである。

「ああ、ごめんごめん。とにかくたんぽぽは旨いんだ。さあ、食べて」


 お預けされていた反動かもしれない。再開された食事はさっきより勢いがあった。沙代は大皿に覆いかぶさりうようにして中身をどんどん口に放りこんだ。

 鶏や水団をばくばく食って、たんぽぽをもしゃもしゃ食う。具を食べ終わると大皿を両手で掴んで顔の前に掲げ、味噌や生姜で味つけした汁をずるずる飲んだ。

 きっちり飲み干すと、こりゃ旨い、と最後に言った。


「本当にやんちゃだな……」

 私が心底感心してそう呟いたとき、沙代は二杯目をよそおいはじめていた。

「なんですか?」

 手を止めてこちら見た沙代は、邪魔をするなと言いたげだった。

「いや、いい。また中断させて悪かった。食事を進めて」


 二杯目の食べっぷりも痛快だった。鶏や水団を凄まじいばかりの勢いでばくばく食べていき、たんぽぽを口いっぱいに詰めこんでもしゃもしゃ咀嚼した。

「うまうま、あつあつ」

 私は火傷を心配してゆっくり食べるよううながしたが、沙代の食欲は火傷ごときなんのそのだ。大皿の中身をどんどん平らげていき、汁もきっちり飲み干した。

 やっぱり最後に、こりゃ旨い、と口にした。


 私が一杯目をちまちま食べているあいだに、沙代は三杯目の大皿を平らげていった。この細っそりとした華奢な身体のどこに、これだけ食す許容があるのだろうか。

 あれよあれよという間に五杯目まで食べ終わったとき、沙代の腹はもうはち切れんばかりだった。西瓜すいかを丸呑みしたかのように膨らんでいる。


「ふう、食った食った。しあわせえ……」

 沙代はうっとりとした表情を浮かべながら、ぱんぱんの腹を満足そうにさすった。

 私はそれを見て気遣った。

「帯を緩めては?」

 沙代の顔がきりりと一変する。

「いえ、親しき仲にも礼儀あり、なので」



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