第2話
私は沙代を連れて座敷から居間に移った。
食卓にも仕事机にもしている年季の入ったちゃぶ台。それを挟んで向き合っている沙代は、ほふほふと、しあわせそうに焼き餅をと頬張っている。絵の前で味噌を塗って焼いた餅を、もう一度焼き直してやったものだ。
「このお味噌がなんとも……」
「それは砂糖や酒を混ぜてある味噌なんだ」
「なるほど、このお味噌にはそんなひと手間が。あなたは本当に料理上手ですね」
沙代の料理の腕もなかなかものだが、彼女は私のほうが達者だと評する。私の父は料理人であるから、もしかしたらその血を意図せず受け継いだのかもしれない。
「それにしても」
言った沙代はもう餅を平らげていた。
「私が絵の中にいるとよく気づきましたね」
「ここ最近、なにかの気配を強く感じていたからね。しかも、あの絵から感じることが特に多かった」
「たとえ気配を感じていたとしても、それが私とは限らないでしょう?」
「文具が片されていたり、洗濯物が取りこまれていたり、今日は居眠りした私に羽織りがかけられていた。あんな世話を焼いてくれるのは君しかいない。なにかはきっと君だろうと考えたんだ。実際にあれは君の仕業だろ?」
まあ、そうですね、と返ってきた。
「痩せの大食いの君であれば食べ物に目がない。食べ物のいい匂いで誘えば姿を現すと思ってね。だから、絵の前で餅を焼いてみたんだよ」
「私はそれにまんまと……」
沙代は不服げに言ってから、でも、と話をついだ。
「匂いにつられたのは悔しいですが、
なにやらひとりで納得した。
「私も改めて訊きたい。なぜ絵の中に?」
「死者は基本的に生者に姿を見られてはいけないのです。生者を驚かせないための配慮として、あの世のしきたりでそう決まっております。だから絵の中に隠れていました。見られすぎてしまった場合は、叱られることもありますのでね」
「誰に叱られるんだい?」
「そりゃあ、
まさか沙代は地獄にいるのかと驚いたが、閻魔さまは地獄だけでなく、あの世のいっさいを
私は閻魔さまを拝見したことがない。どんな御仁かと沙代に問うた。
「どことなく
辰さんは五十代半ばの
「辰さんに似ているのか……であれば、形相はおそろしくても、心根は優しい人なのかな?」
沙代は、ええ、と頷いた。
「閻魔さまは
そうか。そうです。
「ですから、あなたにおびきだされて見つかってしまったのも、こうやって言葉を交えているのも、少しであれば大目にみてくださるでしょう」
それはよかった。ええ、よかったです。
ところで、と私は話を進めた。
「君は亡くなった十年前からずっとこの家にいたのかい?」
「ずっとではありません。お邪魔していたのはときどきです。あの世の者にも、まあ、いろいろ都合がありまして」
「なるほど。確かに人にはいろいろ都合があるものだ」
言ってからつと思う。はたして死んだ沙代は人なのだろうか。
「それはそうと、焼き餅はもうないのですか?」
「餅ひとつでは腹が満たされなかったかな?」
「当たり前です」
「はは、だろうね。大食いの君の胃袋は餅くらいじゃ満足しないね。では、
独特の香辛料をきかせた咖哩は、明治時代に英国から日本に伝わった。その当時はいたく高級な料理であったが、現在では庶民のあいだにも広まっている。
「いい
沙代は頬を両手で挟んで恍惚の表情をみせた。
「咖哩も烏賊も大好きです。それが合わさった料理なんて、どれほど美味しいことやら……」
「では、烏賊の咖哩で構わないね。どれ」
私は立ちあがった。
「早速作るとしよう。少し時間がかかるのは許しておくれよ」
私を見あげた沙代の顔は、今にも
「許しますけどなるべく早急に」
私は沙代を居間に残して台所に向かった。台所の足もとには床が張っておらず、地面のままの土間になっている。そのせいか台所はいつもひんやりとしていた。
まずは時間のかかる玄米の炊飯を準備した。玄米を炊くさいは付着した埃など水で洗い落としてやらなければならない。だが、洗いすぎるを旨味まで洗い流してしまうので注意が必要だ。洗い終わった玄米は釜に入れて
次に火の具合を調整しつつ主菜の咖哩作りに取りかかった。烏賊やその他の具材を食べやすい大きさに切っていき、水を張った鍋の中に投入し香辛料で味つけする。この香辛料の如何によって咖哩の出来あがりが左右される。
鍋を火にかけてしばらくすると、香辛料の匂いが台所に広がりはじめた。刺激的ではるが食欲を誘う匂いでもある。あとは辛さなどを微調整しながら煮込んでいけば完成する。
私が咖哩作りに取りかかっている間、沙代は家の掃除に精をだしてくれていた。だが、ときどき台所にやってきては、鼻をくんくんさせたり、喉をごくんと鳴らした。
味見をしましょうか? つまみ食いをしても?
上目遣いであれこれ訊いてくる沙代を、私は何度もたしなめた。
「できあがるまで辛抱だよ」
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