第二章・君の名は 君の名は。 / 11
市民会館イベントホールでは、しばしの沈黙が続いていた。
名を問われて、拒絶したままの少女。……やがて、話を逸らすように尋ねた。
「爺さんらは、ポーカー強いのか?」
テツが答えた。「たった今、やり方を教わったばかりだ」
「なんだよそれ! てんで弱いんじゃん」
「なに、ガキの頃はバクチが仕事みたいなモンだったからな。勘所がわかればすぐに取り戻す。その勘所ってのをつかむには、強ぇ奴と場数を踏むのがいちばんってぇ寸法だ」
「ポーカーは勘じゃないよ、確率だ」少女が反駁すると、
「知ってらぁ」我が意を得たりと、テツはなおのこと顔をほころばせた。「確率の向こう側に、勘所ってもんがあるのさ。六回に一回出るはずの目が百回振って出ないときもあれば、一〇〇万回に一回の確率でも、起きるときはあっさり起きる。面白けりゃどうにでもなれってなバクチの神様の気まぐれに振り回されながら、だけどぐっとこらえて、勝負どきや駆け引きを見極めるのが、バクチ打ちってもんだ」
「……当たってる、それ」少女は、ふむと頷いた。「運の流れとか、気合いと根性とか、オカルトなこと言わないのな、爺さん」
「それで勝てるんなら言うさ。だが、そんなんで勝つバクチは面白くねぇ」
それを聞いて、少女は嬉しそうな顔をした。だんだん、昂揚してきたようにもみえる。
「そっかー、ポーカーは初めてだけど、スッゴいバクチ打ち、と」少女は身を乗り出した。「あたしは、ポーカーはずっとやってきたけど、バクチ打ちって名乗る人とやるのは、初めてだ」
そしてきっぱりと言った。
「なら、本当のバクチ、しよう。賭けよう、お金」
光恵はのけぞった。ガチ賭博を小学生が持ちかけてくるなんて! 「それはダ」メ、と言下に拒否しようとした彼女を、ジョーが押しとどめた。
テツとジョーはしばらく、wktkしている少女を見ながら、ふむ、と、真剣な顔つきで考え込んだ。
三人は、しばし見つめ合うともにらみ合うともつかず視線を交錯させた。その間に相通ずるものありと感じ取って、光恵は、あきれるを通り越して感心した───この娘、本当にバクチでお義父さんたちと張り合う気だ! どういう生まれ育ちであれば、元ヤクザと対等の勝負をしたがる小学生が存在しうるのか?
やがて、先に口を開いたのはジョーだ。
「嬢ちゃん、いま財布にいくらある」
「……千円」
「おとといきやがれ」ジョーは、帰れとばかりに手をひらひらと振った。「賭けにならん」
「さっき五万くれるって言ったじゃん。あたしが負けたら、それ、なしでいい。勝ったら倍にしてもらう」
少女の反駁に、光恵はさらに目を剥いた。賭博で六桁を要求する小学生! だが、ジョーはいたって真剣に返した。
「てめぇの懐を痛めないものを、本当のバクチとは言わねぇよ。カジノシトラスでどれだけ稼いだかしらんが、しょせんはゲームだ。種銭さえ出せば、大人も子供も関係ないのがバクチだが、嬢ちゃんは差し出すものが足りん」
その答えを聞いて、少女はさらに嬉しそうに、満足気な表情を浮かべた。拒否されたのに何が満たされたのか、光恵にはわからなかった。
「なら、お金持ってくればいいわけな?」少女はまったく怖じずに返した。
「だが、子供が大金を持ってたら、大人はその出所を確かめなきゃならん。これはバクチに関係ないぞ。やめときな、嬢ちゃん」
「待て、ジョー」やはり真剣に考え込んだまま、テツが言った。「この嬢ちゃんは、上手のポーカーってのを知るために俺がこの場に呼んだってことを、忘れてもらっちゃ困る。俺が決める。───金を殖やしたいワケがあんのか。言ってみな」
テツが問うと、少女の答えはこうだ。
「お金が欲しくて、なんかいけない?」
「いんや、人間なんてな欲かいてナンボだ。きれいごとはいらねぇ。だが、バクチで勝って金を稼ごうてぇ欲はアテにならん。自分は強いとイキってても、すぐに欲が読まれて負けが込むと相場が決まってる。そいつぁ、あまり誉められないバクチだな」
「大金はいらないよ。さしあたっては、マカオまでの旅費が欲しいんだ」
「マカオ?」
「明日の大会の優勝賞品、知ってる? マカオで開かれる国際大会の出場権! でも本当に権利だけで、交通費とかは自己負担らしいんだよ」
参加費を取って賞品に充てると賭博罪に抵触してしまうので、日曜に開催されるポーカー大会は、運営費用も賞品も全てタチバナシステムの広報予算からの持ち出しだ。交通費にまで手が回らなかったのよごめんね、と頭を下げつつ───光恵は、彼女の言い分に、何か引っかかるものを感じていた。
少女は続けた。「ウチの親、そんなん絶対出さねーから。自分で工面するしかないんだ」
「そのマカオの大会で、さらにデカいバクチを打ちたいってか。そういや、賞金一五億円の大会もあると、さっき言ってたな」
「今回のは、ウチで予選ができるくらいだから、そんなすごいものじゃないけどね。それでも、優勝賞金は三〇万香港ドルくらいにはなったはず……」光恵の補足に、ジョーが驚く。「五〇〇万円近くなるじゃねぇか。それを小学生が目指すてか」
「……なぁるほど。理屈はわかった。勝負以前の問題なんだな。生き馬の目を抜く本当のバクチの世界ってのは、日本じゃ元来ご禁制だ。その土俵に乗りたいから海外に行かせろ、と」
テツは腕を組んでうーんとうなった。チラリとジョーを見る。まぁ、俺らずっと国内でバクチ打ってたけどね? 違法なら、今もナンボでも場は立ってるけどね? ───ジョーが目線を返して釘を刺す。だからって誘うんじゃねぇぞ、カタギましてや子供に勧めていい場所じゃないからな? そっちにゃあ俺らはもう何も関わってないんだからな?
テツは腹を固めた。「ずいぶんな皮算用だな。だが、そのちっちぇぇなりで、バクチしに世界に打って出たいとは、たいしたタマだ。いい度胸だ。受けた」
「本気か?」ジョーが驚いた。
「はじめっから嬢ちゃんには礼金をはずむつもりだったんだ。俺が気に入って俺が出す、確かな金だ。その値上げか値下げかって交渉ならスジは通る」
「だが、しかし」ジョーが割り込もうとしたが、
「わかってる、おまえさんの言ってることも道理だ。嬢ちゃんにも何か差し出してもらわなきゃ、〝本当のバクチ〟にはならねぇよな。───まずはこっちの差し出すモンだ」
テツは懐から革の財布を取り出した。彼にとっては普段使いだが、使い込まれて鈍い光沢のある天然革の逸品だ。皺めいた手がそれを扱うだけで、風格を醸し出す。渋沢栄一を束で引き抜いて、ピシピシ弾いて縦読みし、裸で一〇枚を揃えて卓に置いた。
少女はその慣れた手つきに目を見張り、光恵はなんで昼日中にそんなに持ち歩いてるのよ、と天を仰いだ。
「もし、嬢ちゃんが勝ったら、今日ここで俺らと遊んでくれた礼として、これを進呈する。だが負けたらナシだ。いいな」
少女はしっかりと頷いた。
「そして嬢ちゃんには、金以外のモンを差し出してもらう。それはな、」テツは、少女の目をじっと見据えて言った。「───名前だ。もし俺が勝ったら、名前を教えてくんな。負けたら『嬢ちゃん』のままでいい」
少女の嬉しそうな顔が一転した。視線が、急激にこわばった。
「───どうだ、本当のバクチになったろう」
少女はしばし唇を引き結んで苦々しげにしていたが、やがて、きっ、と顔を上げ、 「いいよ、それでいこう」そう言い切った。「やりたいんだ、バクチ。あたしはバクチ打ちになって、そして勝つんだ」
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