第二章・君の名は 君の名は。 / 9

 市民会館イベントホールでは、光恵がディーラー席に、テツとジョーが少女を挟み込むようにプレイヤー席について、四人でポーカーテーブルを囲んでいた。


 「確かにな、これからみっちり教わろうてぇなら、夏休み中の学生、ってのは俺も考えた。テキサスホールデムが新しい種目ってんなら、若い連中の方が慣れてるだろうからな」ジョーは、くっくっくとまだ笑いを抑えられずにいた。「しかし、小学生を連れてくるかい、フツー?」


 「コレくらいの歳の方が、生意気言われても気にならんもんさ。ってか、これ以上歳が上がると、正味きついんだよ。ゆかりがそうだったから……」


 今もイヤミを言われ通しの立場に思いを致しながらテツが答えると、ジョーも深く頷いた。


 「あ。うん。それわかる。息子は自分の若い時分思い返せば想像も我慢もできるけど、娘の反抗期はな。キッツいよな。ウチのなんて、もう家に帰って来やしねぇ」


 ジョーには富市の他にもう一人、直美という娘がいるのだが、彼女については後に語る。ついでに述べておくと、ジョーの妻・富市と直美の母に相当する人物は普通に存命だが、お紅茶をたしなみながらせんべいを茶請けにバリバリ貪る自称和洋折衷を旨とし、日々ワイドショーにかじりつく、いたって平和な老後を過ごしている。この物語にはまったく関係しない。


 「それに、他にも理由はいくつかある」と、テツは言い添えた。「あの子が八滝に通ってる、ってのもひとつだ。たぶん、駅東の新興マンションに越してきた外様とざまだろう。その上小学生とくれば、俺らがやらかした因縁はまず知らん。その方がいいだろ?」


 一方で少女は、名刺に目を通していた。光恵が、身の証しを立てる必要を感じて渡したものだ。そうせずに連れ回したら、女衒ぜげんと思われかねない。


 「橘原光恵、タチバナシステム株式会社常務取締役広報部長……」光恵の顔と服装と名刺とを、ジト目でそれぞれ見比べながら、少女はさらにつぶやいた。「で……シトリンの、中の人、と……」


 「……バレてーら」光恵はそっぽを向いて独りごちた。


 少女はホール中央の大型モニターを指差した。ポーカー教室が始まって以降、ボリュームは下げられたものの、そこではカジノシトラスのCMがループで流され続けていて、今の光恵と同じ服装をしたキャラクターが歌い踊っていた。きゃっぴるーんなアニメ声は、光恵の声と酷似している。


 「モーションキャプチャーも私」光恵は開き直った。


 「公式チャンネルのあの『Vチューバーシトリン・世界制覇大作戦』ってサムい企画……も?」


 「全部、私」


 少女は感心したようなしてないような───いったんぽかんと口を開けて、それから言った。


 「シトリンって一六歳設定だったよね?」


 「それ以上は口にしちゃダメよ、ね?」


 実年齢は倍である。しばらく光恵と少女の間で、ピリピリとした視線の交錯があった。


 「……何の話だ?」テツはジョーに尋ねた。


 「……さぁ?」ジョーも首をひねった。


 「自己紹介をしただけよ、私はカジノシトラスの偉い人です、って。少なくとも、これで信頼はしてもらえたと思うの」都合の悪い方へ進む前に、光恵は話題を振り戻した。「───お義父とうさんたちも、これから一緒にやるなら自己紹介くらいしたら?」


 「おう、そうだな」テツは、偉そうに胸を張り、自分を親指で差して言った。「俺ぁ徹五郎てんだ、テツでいい、みんなそう呼ぶ。───で、あっちのキザったらしいのがジョーだ」


 「キザはよけいだ。───橘原丈治、ジョーだ。よろしくな、嬢ちゃん」


 「橘原……」少女は再び名刺に目を落とし、それから光恵に目を向けた。「そういや『おとうさん』って呼んだねさっき?」


 光恵が答えた。「そう、私の旦那様のお父さん」


 少女はスマホを取り出し、SNSのフォローリストの中から〝トミー社長〟を選び出した。その人物は、アイコンやプロフィール画像で、ミラーサングラスに白ジャケット姿でポーズをキメている───つまり富市である。


 「旦那様って、この人?」


 「そうそう」


 「すげー……シトラスの社長一家って、こういうことになってんだ?」


 画像とジョーを見比べながらひとしきり感心する姿は、いたって普通の、今時の女の子に見えた。


 その横顔を見ながら、テツは少女に水を向けた。


 「さ、次は嬢ちゃんの番だ、名はなんという」


 すると少女は、急に口を引き結んで黙り込んだ。


 「いつまでも『嬢ちゃん』じゃ気分が悪かろう。まずは名前を教えちゃあくれねぇか」テツが再度促したが、


 「『嬢ちゃん』扱いしないって言ってくれるのはうれしいけど」少女は素っ気なく答えた。「いいよ、『嬢ちゃん』で。その方がいいんだ」


 三人の大人は、怪訝な顔をした。


 ジョーは、子供が名乗れない理由があるものだろうかと不思議に思った。光恵は、イマドキの子供なら個人情報保護のリテラシーをしつけられているのかなと考えた。あるいは、爺さんどもをまだ警戒しているのか。


 そしてテツは、昨日欽太から聞いた話を、頭の中で反芻していた。彼女は制服で盛り場に現れた。ただ遊びに来たとは思えないのだ。


 さしあたっては、爺につきあう気はあるが名前は言いたくないという子供心に、どう相対すべきか───。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る