第二章・君の名は 君の名は。 / 7
話は、市民会館のイベントホールに戻る。
テツは、その場に残っていたトランプをめくったり合わせたりして、手札と場札の組み合わせの可能性が無限に広がることを確かめながら、テキサスホールデムの印象をジョーと光恵に語った。
「こいつは、賽の目勝負じゃなくて、駆け引きで決まるのがいい。かといって口八丁手八丁で勝てるわけでもない。一勝負一勝負が、将棋の指し手一手一手に近い。派手な局面はわずかだが、地味な局面のうちに、おまえさんの手札が何で、いついくらで勝負をしかけてくるのか、見極めなきゃならん。……これまでやったどんなバクチよりも理詰めで、しかしやっぱり最後は運まかせだ。そのうえ、札束で相手を殴り倒すことに張ってもいいときてる。これに比べたら、手本引きの読み合いの興奮もかすむな」
「ギャンブルは海外の方が盛んだもの。ゲームとしても、ビジネスとしても、進化が速いのよ」
光恵の言葉に、テツは深く頷いた。
「違えねぇ。よくできた面白ぇもんこさえたな、メリケンは。こりゃあ、でかいバクチに向いてる」
「気に入ったんならありがたい。じゃあ、俺らの大勝負は、これでいくか」
「だがひとつ問題がある」テツはここで腕を組んで考え込んだ。「これがおまえんとこのゲームで遊べるってんなら、その、なんだ、すまほ? ……機械でいろいろ試せるおまえの方が、断然有利ってことだな」
新しもの好きのジョーは黎明期からのスマホユーザーだが、テツは携帯電話すらおぼつかない。
「おまえもスマホ持って、カジノシトラスのアカウント作ればいいじゃねぇか」
「赤ウンコ? 血便がなんだって?」
「……、いや、いい。なら、どうする? そっちの準備が整うまで待つ、と言いたいところだが、改正IR法は来年にはできちまう。いつまでもは待てんし、早ければ早いほどいい」
テツが腕を組んで、首をぐぅるりひねってうーんと考え込むところに、ジョーは言葉をかぶせた。
「練習する場所と時間と相手が必要ってこったろ。誰かに教われ。師匠をつけろ。それくらいのハンデはくれてやる」
「だが、爺ひとりに、短期間で仕込んでくれる人間がどれくらいいるかな。隠居の俺と同じくらいヒマで、つきあいのいいヤツなんてそうはいないぞ」
「
「東京住まいの先生が、サシでひとりを教えに、わざわざ出てきてくれるかね?」ジョーが答えた。
「待て」
ぐぅるりひねった首を向けた先、テツの視線が、ひとところに留まっていた。ポーカー教室を開いているテーブルで、イライラした様子を見せている一人の少女に。
教室は小学生以下限定のはずで、翔太と陽菜も混ざっている。その中にあって、ひときわ背が高く(といっても150センチはなさそうだ)、目立っていた。小学校の高学年だろう。
縞のTシャツにデニムのパンツルック。成長期に服の買い換えが追いついていないらしく、裾が高く足首が見えてしまっている。頭の形がつるんと丸く見えるベリーショートの髪型は一見男の子に見えるが、体のまるみは第二次性徴が始まった女性のそれで、ひどく大人びている……が、イライラはピークに達しているようで、貧乏ゆすりをしたり髪をいじったり、体のどこかが常にせわしなく動き、大人げなくも見える。
講師を務める女性が、ひとりひとりに、根気よくアクションを尋ねていく。ポーカーのルールはおろか、トランプに触れるのも初めてとおぼしき子供たちは、何が良い判断なのかまだわからない。悩み、つっかえ、もじもじして、「……」「どうしようか?」「……」「コールしてみる?」「……わかんない」こんな調子である。
「あーっ、やってらんねえ! 教室っつーか幼稚園じゃんこんなん!」
ついに、少女がキレて席を立った。
持ってきたとおぼしきチラシを───〝土曜・ポーカー教室〟の部分に黄色のラインが、〝日曜・ポーカー大会〟〝優勝賞品・マカオ国際大会の参加権〟の文字列には花丸つきでピンクのラインが引かれていた───、くしゃっと握りしめる。
「帰る! 明日の大会だけ来る」
少女は、足下に置いていたリュックをひっつかんで、早足でその場を去ろうとした。え、ちょっと待って、とスタッフが追いかけようとするところを、光恵が近づいて押し留めた。
ぷりぷりと怒り肩で歩を進める少女の行く先、ホールの出口に、待ち構えていた者がいる。
「ちょぉっと待っちゃあくれねぇか、お嬢ちゃん」テツである。腕を組み、顎をしごきながら、立ちはだかった。「───ポーカー、
「ぁんだよ、爺さん?」
少女は怪訝な顔をし、いきなり通せんぼしてきた老人の顔を見上げた。何しろ大人と子供の身長差があるから、不遜に睨み上げる格好になる。丸い顔にくりっとした瞳はまだまだ幼く、迫力などカケラもないが───ガンを飛ばす、というヤツだ。
結果的にそうなったのに気づいて、少女は、ヤバ、と顔を歪めた。
彼女は意識しないと敬語を使うことができず、しかし今が使うべきタイミングだとは理解できたのだ。使わずにかくのごとき生意気な態度を取れば、目の前の大人は例外なくネガティブな感情を露わにし───不機嫌になるか失望するか、悪くすれば怒鳴りつけてくると決まっている。それは彼女にとっても不愉快だったから、大人の前では自分をコントロールし、心にもない言葉を並べてうまくやり過ごすことが、自分に課せられた理不尽な義務と知っていた。そう、彼女の11年とちょっとの人生で、それは例外なくこなすべき〝処世術〟だった。
例外、があった。
目の前の老人───テツは、にんまりと嬉しそうに笑ったのである。
テツは、少女を指差しながら、卓に残っていたジョーに目配せした───すげぇイキがいいぞ、こいつ!
ジョーがタチバナシステム本社にいる富市へ連絡を入れたのは、このタイミングだった。電話しつつも横目で状況を見て取って、サムズアップで答えた───おぅ、久々に見たな!
「ぇっと……あの……」少女が口ごもるところ、
「いいよ、そのままでいい! 俺たちゃ、口の悪いガキはもう何百人と見てるんだ。慣れっこだ、気にしねぇ」
はて、子供を何百人と相手にする、とは? 「どっかの学校の先生?」
すると、テツは気分良さげに、大口を開けて───電話を切ったジョーも同じように、からからと笑い出した。
「いやいやもう、学校の先生なんかよりずーっと、悪ガキばっかり相手にする仕事をしてた。まぁ俺自身も、たいがい悪ガキみたいなもんだがな」
「??」よくわかんねえ爺さんだ。
「で、ポーカー、強ぇのか。強いんなら、この爺ぃにその腕前、見せちゃあくんねえか」
直感的に、ヤバい相手にしたらまずい逃げよう、と思ったのは、子供が見知らぬ大人に対して感じる単純な防衛本能であったろう。
「どいてよ、あたし帰るから」突き放すように言って、少女はその脇を通り抜けようとした。
が、少女はふっと足を止めた───何か、言いようのない感覚が湧き上がってきたようだった。言葉にはならなくとも、彼女がその直感に従って下した選択は、フォールドではなくコールだった。再び、低い位置から、皺深い老人の顔を不遜に睨み上げた。
相通ずるものがあったのか、その動きを読み切っていたテツは、その視線を受け止め見下ろし、こちらも再び、にんまりと笑って見せた。
「嬢ちゃん、昨日、ウチの店に来たろう」
アリエスの表情から、ひょっと不遜が消えた。
「あ、あの店の社長さん? 電話の相手の」
「それは俺の息子だが、話は聞いてる。───およそ、ゲーム画面じゃ物足りなくなって、大人相手に
下から、上から、探りを入れるように視線を交わす。
やがて少女もまた、にんまりとした笑みを見せて、勝ち誇るように言った。
「あたし、マジで強いよ。シトラスのレートは50万/100万」
傍らで聞いていた光恵が息をのんだ。いま少女が言った〝50万/100万〟、つまりスモールブラインド50万点、ビッグブラインド100万点を賭けて戦うテーブルは、カジノシトラスの最上位レートだ。
カジノシトラスでは、賭けに独自のポイントを使用する。ログインボーナスやイベントボーナスでも手に入るから基本無料を謳っているが、まずはそれを課金で買わせるのが、カジノシトラスの基本収入だ。そして、もし仮にポイントをすべて現金で購入した場合、〝50万/100万〟は、一勝負で三千円分のチップが必ず動くことに相当する。テーブル限界まで購入してオールインすれば、数十万円にもなる。プロ級の、国際大会でも上位を窺えるプレイヤーたちがしのぎを削る場だ。───そのレートで小学生が渡り合ってる?! ありえない!
光恵はテツに近づいて耳打ちした。「それが本当なら、実力はホンモノよ。お金払って教えを請うていいレベル、間違いない」
テツが、ほぅ、とうなる。
「買った。五枚でどうだ」
「言葉を選べ!」
耳打ちのために伸ばしていた光恵の手が、そのままテツのどたまをはたく動きに変わった。自らが主催しているイベント会場で老爺が児童買春したなどという話になったら、警察沙汰と株価ストップ安は免れぬ。
漫才のごときやりとりを、ジョーは見物人を決め込んでげらげら笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます