第二章・君の名は 君の名は。 / 6
ルールを把握したふたりは、光恵をディーラーに、しばらく
二枚配る。カードを見てベット。三枚共通札。ベット。もう一枚共通札。ベット。もう一枚。ベット。
やったりとったりを繰り返すうち、やがてテツがぽつりと言った。
「これ、いいな」
「何が?」ジョーが答えた。
「おまえが言った、大勝負の話さ。やるなら、これでやろう」
「……やる気になったか!」
「やるなら、だ。欽太にゃ話を通しとかねぇと」
前のめりになったジョーを見て、やはりコイツはカジノどうこうより、かつて約束した大バクチをやりたいのだなと察しつつ、テツはその身を押しとどめた。
───久しく大バクチをしていないのは、自分とて同じだ。
大檜での賭場開帳は禁じられていたが、藤倉一家の頭目たるテツには義理やつきあいが少なからずあり、他の組織の仕切りの手伝いや、あるいは客となって、たびたび賭場に出向いた。
そうなると、賭場はどうにも遊び場でなく仕事場に見えてくる。そしてテツは、胴元には向かなかった。
バクチに限らず、カネが絡むと人間はときにたがが外れ、金銭感覚が壊れる。えげつなく稼ぎたければ、賢い胴元は、意図的にそれを壊しにかかり、カモをでっち上げるものだ。勝敗は、胴元がコントロールするもの、といってもいい。テツはその点で賢くなかった。そうした裏を頭で理解していても、下手なバクチを見ているとイラついてしまうのである。
純粋に、勝って何かを得て喜ぶ、負けて何かを失って途方に暮れる、勝負事とは、それでいいのだ。そこで時として、身の震える、頭の中で何かが弾けるような感覚を得られれば、それでいいのだ。
年を経るごとに、そうした刺激からなすすべなく遠ざかる自分を、憂えていた。その憂いに身を裂かれるたびに、かつて交わした大バクチの約束が、思い出されてしかたなかったのだ。
「やっぱり、藤倉と橘で何か勝負をするって話になってるのね」光恵が言った。「私はあまり口を挟まない方がよさそうだけど、テツさん、たった今知ったばかりのポーカーで、本当にいいの? 手本引きなり花札なり、昔ながらの得意分野があるんでしょう?」
「それは俺も訊いておきたい。なぜこのポーカーって土俵に乗る気になった?」
ジョーの問いに、テツはこう答えた。
「面白ぇからだよ。面白くて、新しい、遊び。こういうのが、今の俺には必要なんだ」
さてその頃。
藤倉興業が所有する、大檜駅近くの古ぼけた雑居ビルに、タチバナシステムの本社がある。その四階の社長室に、橘原富市との面会を求め、藤倉欽太が訪れていた。
築六〇年。タイル張りの壁面はあちこちヒビが入って、大きな地震が来たら崩れそうだ。新興で勢いのあるゲーム会社の本社ビルだからと、ヒルズ族やサイバーなんとかの意識高いイメージで訪れた来客は、たいてい道に迷う。
しかし元がヤクザの事務所である来歴を知れば、納得もするだろう。壁にいくつも残る、大檜戦争当時の弾痕を、小綺麗な壁紙で隠している。
カジノシトラスがヒットして以降、社は急成長し、社員数は大幅に増えた。しかし、ここには社員はほとんどいない。営業や開発などの主要な部門はほぼ東京に移してしまった、というか、東京にないと何かと面倒くさいのが現実だ。大檜では、雑居ビル数フロアを借り上げれば事足りる。
富市は一日の大半を、グループウェア上でのメールやチャットやオンライン会議を駆使しての、業務進捗管理に費やす。つまりは、ずっと社長席でパソコンに向かっている。下っ腹が出てきたから運動しろと、光恵からこぼれる愚痴が耳に痛い。
「すみません、一通だけメールの返事打たせてくださ───」そばに置いてあったスマホから着信音が響いた。「あぁっ、こっちもか」
「お忙しいようで」
「おかげさまで。すいません、もうちょっと待っていただけますか。───もしもし?」
テツとジョーの対照的なありようは、息子同士にも受け継がれていた。断りを入れて電話に出、大仰に身振り手振りを交えて会話する富市。応接用の黒革のソファに深く座り、黙って待つ欽太。
服装もだいぶ違う。地味な紺背広の欽太に対し、富市は白のジャケットに赤地の派手なネクタイを着こなす。父譲りの洒落者である。爽やかアップバングな髪型は、ホストと言っても通じるだろう。
とはいえ、大檜随一のやり手経営者たる二人である。ことビジネスに対する物腰は至って柔らかく、真剣だ。
「お待たせしました」
富市が電話を切り、メール返信も手早くすませて、欽太の向かいに座った。
「ここでいつも仕事を? いいかげん建付が古いでしょう」欽太が問うと、
「僕の仕事はもう、あれこれ口を出すだけになったんで、ネットがあればなんとでもなります」富市は答えた。「でも、ホンネじゃ、本社も東京に移したいんですよ。お役人やお偉方は、顔を合わせないと信用してくれない人が多くて、そのたびに東京に呼び出されるのが面倒で」
「それは耳が痛い」今日、顔を合わせて話がしたいと持ちかけたのは、欽太の方からだった。「良くも悪くも、僕らみたいな古くからの業種は、人間同士が顔をつきあわせて始まる文化ですからね」
「そりゃそうだ、藤倉さんとこの文化じゃ、顔を見せるっていうのは、『黙ってこっちの言うことを聞け』って意味でしょう」
「……そういうことを、面と向かって言ってくれる人がいる、っていうのも大事なんですよ」欽太は穏やかに返した。「しかし、本社の移転は、さすがに親父さんが首を縦に振らんでしょう」
「父より先に、市長が土下座しますよ。ていうか、されました」
富市と欽太は、互いに肩をすくめた。カジノシトラスが大檜市に落とす税収は、今やそれほどのものなのだ。
「さて、懸案に取りかかりましょう」富市が言った。「今の電話、父でした。テツさん、ノったそうです」
「でしょう? この機会を逃すはずはないと、思ってました」
「後は欽太さんに話を通すだけだと」
「異存なしです。じゃ、こっちでさっさと準備を進めてしまいましょう」
「ただ───」富市は続けて、欽太には意外なことを言った。「勝負は、ポーカーでやるそうです」
「ポーカー?」
欽太はてっきり、勝負は花札か手本引きだと思っていた。それらが、日本のヤクザ賭場の盆台に日常的に向き合ってきた父の好みであり、得意種目であると知っていたから。ポーカーは、ビデオポーカー製造のためにルールを学んだ程度ではなかったか。
そういえば父は今日、孫を連れてシトラス主催のポーカー教室に行ったことを思い出した。そこでジョーさんと会って話して、それで決めたのか……。
「まぁ、本人が納得ずくで決めたならしかたないですが……」
カジノゲームはシトラス側が有利すぎないか、と不安がよぎる。だが、父は一度した決断を翻さないだろう。勝算は父に任せよう、自分は協力するのみだ。
「準備期間はどれくらい取れますか」
「来年の通常国会で改正IR法が通れば、各自治体がいっせいに動き出します。こんなのは先手必勝のスピード勝負、二番煎じ三番煎じでは何の話題にもならずに即ジリ貧で、ムダなハコ物を作ったって批判されるだけですよ。来年度には予算をつけて動き出すのが、必須要件と考えてます。なら、九月の定例議会で、少なくとも議員連中に話が行き渡るようにはしておきたい」
「そうすると、八月末には勝負を決する必要がありますね。一ヶ月ちょっとか……
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