第一章・ゆかいな藤倉一家なう / 5

 「もしもし杉野くん? 何の用? 手短にお願い」


 ITはそこそこ使いこなす欽太だが、スマホはもっぱらデータ用で、普段使いは昔ながらの折り畳みガラケーである。開いて通話を受けながら、彼は、食べてていいよと茶の間に手振りで促した。いや待つ、とテツは首を横に振り、えぇー腹減ったとジタバタする翔太、我慢せぇと頭を張るゆかり、せっかくの夕食の風景がグダグダになっていくのを横目に見るのはなんとも言えない罪悪感だ。


 〝えぇっと、社長、あの、うちの二階って、一八歳未満入れちゃダメですよね〟そうとは知らず、電話の先の杉野がおどおどと言った。〝小学生が来てて、ダメだって言ったら、そんなはずない、責任者出せとか生意気なことを言い出して……〟


 責任者は君だろう、なぜそこで社長に直接かけてくるんだ、と欽太は呆れた。気弱さだけでなく、自分の業務に無知でいられる自覚のなさも、実に危うい。


 とはいえ、藤倉興業の社員は、およそ学生時代まともに勉強してこなかったヤクザやチンピラ上がりばかりだ。杉野は金城さんの腰巾着の一人だったからなぁ、と欽太は思い出す。───社員教育を行き届かせるのも、経営陣の仕事には違いない。


 「いいや? かまわないよ」欽太は答えた。「そこって、法律上は〝飲食できるゲームセンター〟に過ぎないから。条例の範囲内なら問題ない」


 欽太は時計を見た。藤倉家の夕飯はいつも午後五時半から。今は三八分を指している。「保護者同伴で八時まで、同伴でなくても六時までなら、倫理や道徳はともかく、法的には追い出す理由はないよ」


 〝いいんですか?!〟杉野が挙げた大声の向こうで、〝ほらみろー!〟と確かに甲高い少女の声がした。


 〝いやでも、ポーカーやりたいって言ってて。うちの店、たまに奥でトランプもやってるんですけど、それをやるメンツが集まるのって、たぶん七時過ぎてからで……〟


 「あー、じゃぁ、期待には添えないかもね。でも、入店自体は問題ないから。それでいい?」


 〝それに、あの、制服着てて〟


 「え。待って。……それを早く言え!」


 食事を待つ家族の冷えた視線を気にして、さっさと電話を切る気でいた欽太の顔から、一瞬で血の気が引いた。大檜市内に、制服着用の小学校は一校しかない。


 「八滝やたき学園……だよね?」〝はい〟「代わって」




 「社長の、藤倉欽太と言います。こんにちは」


 〝……こんにちは〟


 少しばかり子供向けに口調を整えて欽太が話しかけると、電話の向こうから、さっきの甲高い声が聞こえてきた。歳は浅いが、賢そうな声だった。これで小学生なら、高学年だろう。


 なぜこの時間に制服で盛り場に、と思ったが、深く考えるのはやめた。家庭に問題があるに決まっているが、客の個別の事情に突っ込んで関わるのは愚かしい。しかし学校という地域社会の問題は、否応なく関わってくるのである。


 「うちのお店に来てくれてありがとう。でも、八滝学園の子だってね? 突然だけど、校長先生のこと、どう思ってる?」


 〝……嫌い。あのババァ超ウザい〟


 「だよね!」


 そうなのだあのババァなのだ。教え子にもそう呼ばれていると知れて、欽太は少しホッとした。


 「今日終業式だったでしょう。プリント配られなかった? 治安が悪くて危険だから、どこそこには入っちゃいけませんって」


 〝……うん。あった〟


 「今、君がいるそのお店は、間違いなくその入っちゃいけないエリア内です。でね、その決まりを守らなかったってバレるとね、君も怒られるけど、僕らはもっと怒られるの! そりゃあもう大人でも泣いちゃうくらい怖いの! わかってくれる?」


 〝超ワカる……〟


 少女の泣きそうな声が聞こえてきた。あぁ、これは怒られた経験があるなと察して、欽太はさらにホッとした。何しろ今の言葉は、誇張でも何でもないのだ。


 八滝学園は新興の小中高一貫校で、駅南に最近開校した。工場の跡地の活用ができるので、大檜市は諸手をあげて歓迎したが、その歓喜はすぐにビミョーにトーンダウンした。


 経営陣と教育方針が、ちょっとそのアレで、困惑するしかなかったのだ。


 小学校から制服着用義務づけ、それもモノクロームの地味なもの。校則で髪型やスカート丈が細かく決められており、朝の校門にはその厳守を求めて、校長自らモノサシを持って待ち構えている。


 時代錯誤も甚だしいが、パンフレットには〝時勢に即した人権教育〟の文字が躍っている。まぁ、そういう学校なのだ。


 そこの児童が盛り場に来て、ゲーセンに入るというなら、藤倉興業的にはあっぱれな反骨と褒め称えたいところなのだが、本当に入れたと知れたが最後、目を血走らせた教師とPTAが、ヤクザよりもタチ悪く詰め・・てくるのは明らかだ。あの連中は、風営法や青少年育成条例の条文を説明したところで聞く耳を持たない。ダメだからダメという感情論しか持ち合わせないのだ。


 ともあれ、口惜しくはあるが、この反骨少女を直ちに店から追い払わねばならぬ。


 「なので、ごめんなさい、きみをお店に入れてあげることはできないんです。その代わりといってはなんだけど……」欽太は、テツが傍らに投げ出したチラシを拾い上げた。「ライブでポーカーがしたいのなら、いい話がありますよ」





 ───そうして電話は終わり、藤倉家の夕食はようやく始まった。

 全員手を合わせ、「いただきます」と唱和した後、エアコンの効いた部屋で汗をかきながら、煮詰まった熱々のおでんを、彼らはむさぼった。


 四世代がちゃぶ台を囲む家族団欒の食卓、のはずである。だが、長電話に待たされたあげく三日目のおでんで会話が弾むわけもなく、「早く出ていきたいこんな家!」とゆかりが小さく、しかし全員に聞こえるように悪態をつく有様で、世間一般がなんとなく神格化する、どこぞの頭部が巨大な一家からはほど遠かった。





 思えばこのときの、欽太と少女の短い通話が、藤倉家のそして大檜市全体の運命を決める最初の一手だったといえる。しかしいかなるバクチ打ちとて、この先の結末は読み切れないだろう。賽は投げられ、町を挙げての大騒動が勃発するのである。

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