第一章・ゆかいな藤倉一家なう / 4

 小鉢を配膳しつつ、ゆかりは一枚のチラシをテツに差し出した。


 「おじいちゃん、ちょっとお願いがあるんだけど」


 「なんだ」


 「それに明日、翔太と陽菜を連れてきてくれない?」


 テツはチラシを見た。片手間の役所仕事は思われぬ、凝ったデザイン、きれいな印刷だった。……タチバナシステム主催で、カジノゲームとりわけポーカーに関して、実際にトランプを使うイベントを行うのだという。


 ……〝ポーカー〟の文字を見て、テツは少しだけ渋い顔をしたが、すぐ気を取り直し、内容を追っていった。明日の土曜に、子供向けのポーカー教室。翌日曜には無料で誰でも参加できるポーカー大会。会場が市民会館のイベントホールなので、ゆかりの属する地域振興課が協力するらしい。


 タチバナシステムが、こういう地域に根ざしたイベントを開催するのは初めてだ。これまでは、東京や大阪で、ゲームのファンイベントをするだけだった。ここ大檜にカジノを作ることを見越し、地元で理解を深め、客層の裾野を広げる活動を始める、ということだろう。ジョーや富市の本気が見て取れた。


 彼らが本気だというならすべてを彼らに任せてしまってもよいように思えたが───藤倉興業に新たな事業の柱を作りたいという欽太の言い分も間違いなく本音だし、何より、ただ無為に言い分を飲むことには、テツも納得がいかなかった。敵愾心がふつふつと湧き上がってくるのだ。


 あぁ、とテツは気づいた───たぶん、ジョーもそうなのだ。本気だというなら、恥も外聞も捨てて、制裁解除をお願いしますとひたすらこちらに頭を下げればいい。そして、そのカジノ内で商売する権利をいくらかでも見返りに用意して、交渉のみでことを終わらせるべきなのだ。だが奴にはそれができない。


 五〇年前に半端に終わってしまった大檜戦争にきちんと幕を引かねば、この大きな変革に踏み込む気になれぬのだ。ならば、一勝負打たねばならぬ。それが単に儀式であろうとも、そして、あの頃からまるで中身が変わらぬ、まっとうな大人になり損ねた愚か者のワガママと言われようとも。



 ───思いを巡らせたテツを気にもせず、ゆかりが続けた。


 「告知が急だったから、集まりが悪そうなのよ。日曜の大会の方は何とかなるんだけど、土曜の教室の方は目標に足りそうになくて。人数揃えたいの」


 「それで翔太と陽菜か。身内をサクラにってか」


 「そういうこと。市としては、橘原さんとこの顔を立てないと。藤倉なんて潰れかけの家にはもう誰も期待してないんだから、せめてサクラを出すくらいはしなきゃ」


 ゆかりのイヤミはいつものことだから聞き流すとして、「土曜なんだし、おまえが連れてきゃ───」と、テツが何気なく言いかけると、


 「そのイベントの管理業務! 休日出勤!」


 般若の形相で半ギレの返事。あぁ不景気は人の心に何より毒だ。今まさに不況に直面して戦っている欽太やゆかりを前に、逃げ切り世代が手前勝手なことを言うのは憚られた。


 ───と、勝子が巨大な萬古焼の土鍋を抱えて現れた。


 「はいごはんの準備ができましたー! 仕事の話はおしまいっ!」


 ごはんの声を聞きつけて、子供部屋にいた翔太と陽菜もやってくる。鍋を見て同じようにげんなりする翔太と対照に、練り物が好きな陽菜はニコニコだ。おでんが続くのは彼女のせいでもある。



 あとは箸と取り皿を分けるだけになった頃、テツはおもむろに立ち上がり、茶の間の奥のふすまを開けた。開いた先は仏間になっている。ふすまを外せば、南北に長い大きな一間になる作りで、その最奥に、幅六尺の巨大な金仏壇が安置されている。


 長押なげしの上に、既に鬼籍に入った藤倉一家歴代家長の写真が掲げられ、いかめしい面構えを並べている。仏壇の中央にどんと構えるは、先祖代々の位牌だ。テツはまず、その前に線香をともした。それはただの日課で、彼はおざなりにすませた。


 それとは別に、低い段に置かれたいくつか・・・・の位牌と写真立ての前にも、線香をともした。こちらの前ではしばし黙座し、手を合わせてこうべを垂れた。見つめる白黒写真の中には、和装の女性が穏やかに微笑んでいる。早世したテツの妻、ゆりえである。


 「ジョーの奴が、町の行く末を賭けたデカいバクチをしたいんだとさ」テツは写真に語りかけた。「この町を世界一立派にしてやる、ってのは、おまえとの約束でもあったなぁ……」


 その間に、欽太はテレビの電源を切る。勝子が鍋の蓋を開け、むわと湯気が立ち上る。なんだかんだで、出汁の臭いが充ちれば、空腹はくうと鳴るものだ。テツはすぐに仏間から戻ってきて、テツ、欽太、勝子、ゆかり、翔太、陽菜と、いまどき珍しい、四世代が揃ってちゃぶ台を囲む風景が生まれた。


 家長の欽太が手を合わせ、みなもそれに倣う。


 「では、ご先祖様に感謝して。いただ───」欽太の携帯電話が鳴った。「マジか」





 電話をかけたのは、藤倉興業が経営するゲームセンターの店長、杉野であった。


 大檜は門前町であるから、繁華街は大檜駅前から大檜神社へ向かう参道近辺の、狭いエリアに密集している。今も参詣客はそれなりにあって人通りは多く、幸い、シャッター街と呼ばれるほどの過疎化には見舞われていない。


 そのゲーセンは、参道から一本逸れた裏通りにあった。つまり表には出られないような業態が並ぶ、盛り場の中だ。一階はプリクラや通信対戦の麻雀台などに加え、音ゲーがずらりと並び、誰かが出入りするたびに、大きく開く自動ドアの間口から大音量・重低音の喧噪を狭い路地に溢れ出させている。


 その広い間口の傍らに、小さな扉があった。開くと二階への細い階段が通じている。二階は、コインで遊ぶスロットマシンが揃い、奥にはルーレット台などもあり、軽食や酒も提供する、ちょっとしたアミューズメントカジノになっていた。───もちろん、かつて藤倉興業がヤクザだった頃は、現ナマを張る闇カジノだったのである。来る客といえば、その頃からの常連で、しかしもう金のやりとりには一喜一憂せずただ遊びたい、いい年したおっさんばかりになっていた。


 ───そして今、杉野は困っていた。目の前に、まだ小学生と見える女の子が立っていたからである。

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