第一章・ゆかいな藤倉一家なう / 2
そうなのだ。新しい事業───。
一七時半になり、テレビがニュース番組に切り替わった。
〝本日最初のニュースです。政府は、IR法で定める設置施設の要件について、大幅に緩和する方針を固めました。今後、国会での成立に向け、有識者の意見を聞きながら法案の細部を詰めていく、としています……〟
「父さん」欽太がテツに話しかけた。「今日、ジョーさんが父さんのところに来たでしょう」
「あぁ、来た」
「僕のところにも、
富市、はジョーの息子の名前である。ジョーの結婚はテツよりだいぶ遅く、欽太と富市は干支ひと回り年が離れている。
「詳しい話はしました?」
「だいたいは。だがまだよくわからん。はっきり返事もしとらん」
「このニュースのことですよ。今回の改定案で、市町村レベルでの小規模なIR運営が」テツが怪訝な顔をしたので、欽太はすぐに言い換えた。「───早い話、大檜でもカジノ作ってよくなるんです。街に活気を取り戻すのに、これ以上のアイディアはないでしょう。我々の出る幕です、やらない手はありません。反対の声はあるでしょうが、腐るほど余ってる工場跡地が活用できるとあれば、役所や議員を説き伏せるのは簡単です。ただし今回の法律で作れるカジノは、一自治体にひとつだけ───それを、藤倉興業主導でやるか、タチバナシステム主導でやるか、決めようっていう話です」
テツはふぅむとうなった。
藤倉一家が、実体はテツの息子欽太を社長とする藤倉興業に引き継がれたように、橘連合会も、ジョーの息子富市を社長とする企業へと変貌を遂げている。それがタチバナシステムである。
───〝あすひ亭の死闘〟の原因となったイカサマの黒幕は、当時の橘連合会の会長、すなわちジョーの父であった。
彼の目には、藤倉が神鳳会の手を借りて手打ちに持ち込んだことが強権の行使に見えており、それに逆らって少しでも優位な立場を取りたかったのである。そして彼にとって優位とは、金銭以外になかった。
橘連合会はその事実を隠し、表面上、
企みは成功し、橘連合会は、組織としては守られた───一時的には。だが、メンツを潰された形の神鳳会は、その人物を雇い入れた橘連合会に、何のペナルティも課さずに引き下がるわけにはいかなかった。
神鳳会から課されたペナルティ。それは、大檜における賭場の開帳は、今後一切、未来永劫、子々孫々に至るまでまかりならん、という厳しい禁令だった。神鳳会に限らず、日本全国すべてのヤクザ組織に正式な書状をもって通達された。
神社の門前や工場街からの稼ぎが主であった藤倉一家と違い、橘連合会にとっては、賭場の収入の喪失は死活問題であった。またその頃、そうまでして会の存続を望んだジョーの父が急逝し、彼らは急速に力を失っていく。
ジョーは、かつて望んだとおり、そしてテツが藤倉一家を継ぐよりもはるかに早く、自らの組織のトップに立った。が、彼の為した仕事は、会の清算だけだった。橘連合会は、ヤクザ組織としては、藤倉一家に吸収されてあっけなく消滅した。
かくして、〝バクチが禁じられた街・大檜〟だけを後に残し、世を
しかし、海外にコネクションがあった橘連合会は、別の稼ぎで再生した。当時のマイコンブームに乗り、海外の企業からICチップを買い付け、今でいうIT企業を立ち上げたのである。
彼らはヤクザではなくなったが、ヤクザと対等に取引する企業となり、ジョーはその社長に収まった。しばらくは藤倉一家を窓口に、闇カジノ向けのデジタル機器を製造・出荷していた。
それも風営法が厳しくなって以降は先細りとなって、藤倉一家が足抜けする際に、彼らも違法な稼業からは足を洗った。会社と工場は手切れ金代わりに神鳳会傘下の別組織に譲り、形式上は別会社のタチバナシステムを立ち上げ、ソフトウェア開発に絞って事業を継続することとなった。
このときジョーもまた、テツと同様に社長の座を降り、組織を富市に託した。しばらくは大手ゲーム会社の下請けについてウェブや携帯向けのミニゲームを作って稼いでいたが、若くしてソフトウェアエンジニアとして開眼していた富市は、数年前、バーチャルカジノアプリ〈カジノシトラス〉を制作し、自社製品として公開した。これが予想外の大ヒットを果たす。
アクティブユーザーだけで常時数万人、イベント開催時にはテレビCMも打つほどで、大手の工場が去った大檜で、最も納税額の大きい企業に急成長していた。
テツは、顎に手を添えて考え込む様子のまま、欽太が継ぐ言葉を聞いた。
「つまり富市くんはこの機に乗って、スマホの中だけじゃなく、現実にもカジノシトラスを作ろうとしてる、ってことです。でもこれって、賭場を開くなという、神鳳会が課した制裁に抵触しますよね」
もうヤクザではない自分たち。五〇年も前の約定。何を今さら、と、昼間の公園で、テツもジョーに言った。
だが、未来永劫・子々孫々までと謳った、かの制裁の文面を仔細に読めば、彼らがヤクザをやめていようがいまいが、何世代離れていようが、制裁は有効であると判断できる内容だった。戦争の当事者の側に、その判断をどうこう言う権利はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます