第一章・ゆかいな藤倉一家なう

第一章・ゆかいな藤倉一家なう / 1 

 藤倉徹五郎テツの跡目を継いだ息子、藤倉欽太きんたは、その日も紋付き袴に身を固め、百畳ある大広間の上座、書の掛け軸がかかった床の間を背に、朱に染めたふくれ織の座布団に座して、大仰に腕を組んで部下の報告を聞いていた。


 どの報告も、組織に危機が迫っていると告げていた。えげつない手法で縄張りを切り取りにくる、新興勢力・小金山こがねやま商事の台頭により、部下の多くが辛酸をなめさせられていた。何も手を打たなければ、藤倉の屋台骨は早晩に傾く。


 とりわけ、長年藤倉家に仕える老番頭、山中源吉げんきちの嘆きは深かった。


 「小金山の連中の悪行狼藉もはや堪忍なりません! 奴らのやりようはあんまりだ、このままじゃわしら日干しになっちめぇやす! 親分! かくなる上は奴らの根城に郎党引き連れ殴り込み」


 前のめりになる源吉を、欽太は押しとどめた。


 「源さん、ちょっと落ち着こう。……気持ちは分かるが、ここは自分が預かる。親父とも相談してことを決めるから、みな冷静に、軽挙妄動は厳として慎んでもらいたい」


 欽太はそう言って会合を切り上げ、席を立った。



 藤倉家は古くからの土豪である。その名残で、屋敷はやたらに広い。


 たった今会合を開いていた大広間は、独立した離れになっている。夏の夕べの日差しが差し込む渡り廊下を歩いて、欽太は普段住まいの母屋へ向かった。内庭に面した自室に戻り、エアコンのスイッチを入れる。


 ……汗だくだ。長髪のテツと違い、髪は刈り上げにしているが、その生え際をだらだらと滴が流れ落ちた。


 広間にも冷房はあったが、広すぎて効きが悪いのだ。そこに長時間紋付き袴でいたのである。欽太は、戒めとしか思えない帯を解き、紋付きも袴も脱ぎ散らかして一度素っ裸になった。シャワーを浴びたいところだが、もう夕食の時間が近い。タオルで汗を拭うにとどめた。夕食のメニューは予想がついている、どうせまた汗をかく。


 エアコンの涼風が、こもった熱気を押し流し体を冷まして、彼はほうと大きく息をつき、窓越しに庭を眺める心の余裕を取り戻した。梅雨が終わり、いよいよ夏の盛り。築山の緑はますます濃く、気の早い蝉が鳴き始めている。孫の翔太は今日が終業式で、金曜日だのに午前中に帰ってきた。明日から夏休みに入る。家の中がしばらく賑やかになりそうだ。


 落ち着いたところであらためて服を着る。ランニングシャツ(彼はタンクトップなどというしゃれた言葉は知らない)の上にポロシャツ、下はチノパン。先ほどの紋付き袴と打って変わって、見るからにそこらのおっさんの姿となる。


 あぁ、楽だ。欽太はもう一度大きく息をついた。


 ……会合をさっさと切り上げたのは、午後五時、定時になったからである。五時半には夕食が始まるのが、藤倉家の日常だ。



 着替えをすませた欽太は、また長い廊下を歩いて、ちゃぶ台が置かれた茶の間に入った。南向きで、廊下を隔てて縁側にもつながり、庭にそのまま出られる。藤倉邸で一番明るく居心地のいい部屋だ。


 上座にあたる部屋の奥では、テツがすでにあぐらを組んで夕食を待っていた。ちゃぶ台に頬杖をつき、つけっぱなしのテレビのCMを、ぼんやりと眺めている。


 「父さん」


 「なんだ? 欽」


 「うちもうヤクザじゃなくって、カタギの会社になったはずなんですけど、いつまで取締役会議を紋付袴でやんなきゃいけないんですかね」


 ───藤倉一家は今、株式会社藤倉興業という名の、地元密着型中小企業である。


 「源さんが他にやり方知らない人なんだ、堪忍してやってくれ。もう九〇過ぎてんだから、もうすぐくたばるから!」


 「……その答え、以前は『八〇過ぎて』でしたよね」


 「先代の頃からずっとウチのそろばん支えてくれた大番頭を、無碍にはできん」


 「そのそろばんが問題なんですよ。いまどきパソコンはおろか電卓もままならない人を、経理に口出しさせらんないんですよ。エクセルの結果が信頼できないって言ってそろばん弾き出すんだから」


 「えくせるって何だ?」


 「……いや、いいです。会社のことは僕が考えます」


 藤倉興業にあって、テツは何の役にも就いていない。隠居の身分である。


 欽太はため息をつき、はてさて商敵小金山商事をどうしたものかと頭を巡らせ始めた。彼らは藤倉興業が元ヤクザであることを悪し様に言いふらす営業で、次々とシェアを奪い取っているのである。ヤクザだったことは事実だから文句もつけにくいのだが、当の小金山商事社長・小金山義司よしじだって元は藤倉一家の準構成員だ。父の弟分であった金城の、その息子の手下、という立場から成り上がったのである。コキンとあだ名をつけられ、かわいがられていたのを欽太はよく覚えている。





 大檜戦争からおよそ三〇年後、テツは思惑通り、藤倉一家の長に昇り詰めた。


 だがその頃には、時代が変わってしまっていた。街は寂れ稼ぎが細り、暴対法によって締め付けが厳しくなるばかりの世の中になっていた。その渦中から部下の暮らしを守ることにしか、得た権力を振るえなかった。


 やがて上納金を払うどころではなくなり、一五年前、テツは神鳳会に頭を下げ、杯を返して組織を抜けた。


 藤倉一家は、このときすでに会社組織を整え、テツはいくつかのフロント企業の取締役社長という立場でもあったが、けじめとしてすべていったん廃業し、彼はすべての役から降りた。今なお、楽隠居の立場である。


 むろんそのままでは一家全員が路頭に迷う。息子の欽太がヤクザ組織に関心を示さず、かつ、受験を期にさっさと上京し、学生仲間と起業して独り立ちする才の持ち主だったのが幸いだった。テツは息子に頭を下げまでして帰郷させ、自分が去った後の組織を委ねた。


 かくて新たに、欽太を社長に藤倉興業が起ち上がり、かつてのシノギで今もわずかに残る雀荘やゲームセンターのオーナーとして、細々と稼いでいる。大檜神社の氏子総代という立場は変わらないから、祭りの出店や地域の催し事の仕切りもやっていて、駅の西側に広がる古くからの門前町では隠然と影響力を残している。


 しかし、駅東の工場跡地に建った新興マンション群では、彼らが流した悪評が行き渡り、藤倉は手を出せなくなった。盆踊りからフラワーアレンジメント講座に至るまで、小金山が取り仕切っている。


 本当は、不動産売買や小口金融業、カーディーラーといった利益率の高い事業も所有していたのだが、ここ数年は小金山にいいように切り取られてしまった。どこかから流れ込む資金によって実現する彼らのダンピングに、太刀打ちできないのだ。



 ……もっとも、源さんの嘆きはどうあれ、そうしたレガシーな産業は、衰退著しい大檜ではいずれ立ちゆかなくなると欽太は考えていた。まだ資産に余裕があり、この町で「藤倉」の名前が通用する今のうちに、収益の柱となる何か別の事業を手がけて、軌道に乗せなくてはならなかった。

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