(3)おもいで語り
花実さんたちは裏手の搬入口を通じて、式場とトラックをせわしなく往復しながら道具やら花やらを次々と運び込んでいた。
僕はロビーに戻る途中で足をとめて、ふと振り返ってそれを眺める。
ずっしりと重そうな花を抱えた彼女は、頭の後ろで束ねた髪を、文字通り〝馬の尾〟のように躍動させながら駆け回っていた。
おとなしそうな見た目からは想像できないほどパワフルな子だ。
僕たち葬儀屋もたいがい体力勝負なところはあるけど、お花屋さんはそれ以上だな――なんてことを考えながら、こっちはこっちで抱えた荷物をどこかに下ろせないものかとロビーをうろつく。できれば事務所に置きたいところだけど、音喜多さんが不在のいまは、おそらく施錠されていることだろう。
行く手のない僕は、仕方なく一時しのぎの荷物置き場としてクロークを選んだ。ロビーの一角にある、テーブルやコート掛けが並んだエリアがそれだ。この一帯はお客様が手荷物を預けるためのクロークでもあり、
返礼品というのは、会葬者から頂いたお香典に対して、
荷物を下ろした横長のテーブルには、返礼品を入れた藍色の紙袋がずらっと軒を連ねるように並んでいた。手提げ紐の付いた袋の開口部からは、有名な海苔メーカーの包装紙がのぞいて見える。
これらもまた音喜多さんの手によって、抜け目なく支度済みというわけだ。
自分の出る幕が一向にやって来ないことにウンザリしそうになるも、それでも「せめて商品の内容くらい、一度はこの目で確認しておこう」と思い立った僕は、その場で受注書を開いて品物をひとつずつ確認していく。
返礼品は三千円の『海苔の詰め合わせ』――よし、間違いないな。
商品に破損、なし。
オッケー。
印刷汚れ、なし。
オッケー。
確認、確認、とにかく確認。
こうしてみると、なんだか葬儀屋の仕事の八割くらいはただの確認作業なのでは、とも思えてくる。
まぁ実際、そうなんだろう。
ここまで神経質なのは自分だけかもしれないけど、これで誤字の一つでもあろうものなら即座にクレームになりかねないというのだから、そう聞かされると嫌でも慎重にならざるを得ない。
僕はまだ新人だけど――いや、むしろ新人だからこそ、些細なことでも逐一確認する癖だけは、しっかり身につけておかないと。
そう自分に言い聞かせながら全ての確認を済ませた僕は、「さてさて。あとは御礼状の内容を――」と袋のひとつに手を突っ込む。
しかし、どういうわけか返礼品と一緒に入っているはずの『
(あれ、どこいっちゃったんだろう……)
きょろきょろとあたりを見回すも、それらしき物はどこにも無い。
が、すぐに気づいた。
そうだった、自分で持って来たんだった。
本社から持参した荷物をあけて、いそいそと会葬礼状の束を取り出す。
予備を含めて、その数ざっと二百枚。
それを
仕事が残っててよかった、と少しだけ得した気分になった。
ちなみに、諸先輩方の中には、この御礼状を何十枚と重ねたまま『く』の字に曲げて、まるで手品師が高速でトランプをシャッフルするかのように一瞬にして仕上げてしまう人もいる。
あれはちょっとした職人技だと、初めて見たときは思わず感心したものだ。
御礼状の準備が整ったら、サンプルの一枚を開いて、その文面にさっと目を通す。
〜~~~~~~~~~~~~~~~~~~〜~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「お世話になった皆様へ心より感謝申し上げます」
――主人と過ごした日々は、私にとっては『手』の思い出でもありました。
あれは私がまだ駆け出しの社会人だった頃、社の催しで訪れた山登りでのことです。隊の一団からはぐれてしまった私が、迂闊にも崖から滑り落ちそうになってしまった際に、とっさに差し出された手が寸前のところで私を引き戻してくれました。
涙ながらに顔をあげると、そこにいたのはカメラを片手にした男性がひとり。珍しい草花に惹かれてふらふらと歩く危なっかしい女性をレンズ越しに見つけて、たまらず近付いたのだそうです。
それが、わたしたち二人の出会いでした。
自然や草花を心から愛する、お陽さまのように暖かい人で、緑豊かな山や公園などがお決まりのデートコースになりました。
どこへ行くにもカメラを持って、日が暮れるまでシャッターを切ってまわる姿には少々呆れつつも、その楽しそうな横顔を眺めていた時間もまた、かけがえのない思い出です。
写真を撮るのは好きなくせに、ひとにカメラを向けられると「恥ずかしいから」と顔を背けてしまうほどシャイな一面もありました。それゆえ主人の姿を収めた写真を、ほとんど残すことが出来なかったのは心残りのひとつでもあります。
今もこうして思い返されるのは、主人の手の温かさ――
あのとき、私の命を救ってくれた手。
嬉しそうに、シャッターを切る手。
家族に触れるのと変わらぬ優しさで、草花を愛でる手。
病床で見守る私に「大丈夫」と力強く握りかえしてくれたのも、その手でした。
主人が私たちに与えてくれた安心と温もりの数々を、忘れることはありません。
夫、田中 薫は、平成二十五年四月五日、六十五歳にて生涯をとじました。最期まで、支えてくださった方々を想いながら幸せそうに微笑んでいました。お世話になった皆様へ謹んで御礼申し上げます。
本日はお集まりいただき、誠にありがとうございました。略儀ながら書状にてご挨拶申し上げます。
喪主 田中浩美
〜~~~~~~~~~~~~~~~~~~~〜~~~~~~~~~~~~~~~~~
ちょっと確認するだけのつもりが、気づけばついつい読み耽っている自分がいた。
僕のような涙腺のゆるい人間が、うかつに読んだのは失敗だったのかもしれない。
結びの一文の上に、ぽたりと水滴が落ちて
しまった――と思ったときには、もう遅かった。とっさに袖で擦ってみたけど、滲んだ跡は取れそうにない。
サンプル品だったのがせめてもの救いだ。これがうっかりお客様の手に渡ってしまったら――と、そう考えただけで冷や汗がでる。
読んでわかる通り、この田中家の御礼状は『オリジナル礼状』と呼ばれるもので、通常のものとは違い、文章に一風変わった趣向が凝らされている。
一般的には定型の挨拶文を使い回すことが多い会葬礼状でも、追加の校正料を支払うことで、専門のライターがこのようなオリジナルの文章を作ってくれたりもする。それも、ご家族に対して綿密にインタビューを行ったうえで書き起こしてくれているので、いかに他人の書いた文章といえども、ここで語られる故人の人柄はきちんと血の通ったものに感じられる。
この手の御礼状を実際に見たのは初めてだったけど、これは思いのほか琴線に触れるものがあった。
しんみりと感傷に浸っていた、そのとき。
「あの……」
背後から、不意に声をかけられた。
「――は、ハイ!」
思わず裏返ってしまった僕の声に「ひっ」と息を飲む音が重なる。
とっさに振り返ると、そこでバッチリ視線が衝突した。
花実生花店の彼女だった。
びっくりした顔で、両手をぎゅっと結んだまま身を小さくして立っている。
「あの……宮田さん……」
「はい。な、なんでしょうか」
「えっと……社長がお呼びです。……祭壇、出来たので」
「そ、そうですか。ず、随分、早いですね」
ははは――と、気まずさで笑いが漏れた。
彼女は首をちょこんと傾げて、不思議そうな目で僕のことを見つめている。あからさまに取り繕うような振る舞いが、よほど不自然に見えたのだろうか。どことなく遠慮がちな上目遣いで、ちらちらと視線を合わせてくるものだから、僕は情緒の揺らぎを悟られまいとして
「えっと……式場、確認、来てほしいそうなんですけど……」
「わ、わかりました。りょーかいです」
「あの……ほんとうに大丈夫、ですか?」
「な、なんでもありません。ホント、大丈夫ですから」
そんな調子で、ゆらゆらと泳ぐ視線の追いかけっこを繰り返したのち、
「いま伺いますんで、どうぞ……さき、行ってて、ください」
苦し紛れにそれだけ告げると、「そうですか……かしこまりました」とお辞儀をして、それでようやく踵を返してくれた。
(バレてない……よな?)
そのとき彼女の顔に浮かんだ意味深な笑みに、なにやら心の内を見透かされているような気がした僕は、慌てて目元を拭ってから「あの――」と呼びとめたものの、
「――はい。なんでしょう?」
「あ、いえ……なんでも……」
そこで彼女の名前を知らないことに気づいて、つづく言葉を見失ってしまった。
どうする。
この機に、あらためて挨拶をするべきだろうか。
状況としては、ここが潮時かもしれない。いまなら自然な流れで、それとなく名前も聞き出せそうだけど……。
いや……待て待て、落ち着け。
よくよく考えてみれば、先に向こうから「宮田さん」と呼ばれてしまった手前、いまさら「お名前、なんでしたっけ?」と切り出すわけにもいかないだろう。
だとしたら……ここはもういっそのこと、自力で思い出すのも一つの手か。
(推理ってほど大層なモノでもないけど……名前くらいは当てられるかもしれない)
なかなかの妙案だ、と思った。
これがまったくのノーヒントなら潔く諦めるところだけど、幸いにも手掛かりはいくつか頭の中に転がっている。やってやれないこともなさそうだ。
そこで僕は断りを入れて、少しだけ時間をもらうことにした。
「すみません。あっちで少し待っててもらってもいいですか? 僕はちょっと、この辺を片付けてから行きますんで」
「大丈夫ですけど……なにか、お手伝いしましょうか?」
「いえいえ。どうかお気遣いなく。花実さんにも、そう伝えておいてください」
「……かしこまりました」
ぴょこぴょこ揺れる後ろ髪が遠ざかる。
それを見送った僕は、ゆっくりとした足取りで式場へと向かいながら、ぽつぽつ考えを巡らせはじめた。
(つづく)
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