英雄譚
エコエコ河江(かわえ)
妾が君也。やらぬぞ。
202203『英雄譚』2221
バーの一角、いつも決まった席に座り、毎夜の一刻だけちびちび飲む老人がいる。僕も初めはどこにでもいる爺さんだと思っていた。違うと気づいたのは、何度となく同じ時間で飲んでいるうちに、周囲の様子が違ったからだ。
エルフは同族以外に対して気難しいと有名だ。彼女もそうだった。あの老人が使う席に先客として座っていた。それが何を言うでもなく、老人の顔を見ただけで立ち上がった。
ヴァンパイアは傍若無人と有名だ。彼ももちろん。あの老人が座る席は奥まった角であり入り口がよく見える。彼がそこへ座りたいと言って声をかけた直後、横髪で隠れた顔を見たら、急に別の席へ向かった。
あの老人には何かある。顔を見ただけでわかる何かが。
先人が去る様子は敬意に由来する行動に見えた。僕は人間の中でも気が弱い方で、そんな男が生き残るには、胡麻を擦るか、愛嬌を振り撒くか、一人で積み上げるか。老人相手なら、愛嬌で行く。
「ごめんください! 話を聞きたいんです。隣いいでしょうか」
老人はとりあえず否定をしなかったので、椅子をひいて勝手に座りこんだ。さりげなく頭を前へ出し、老人の顔を覗いた。見覚えはないし、特別な強面でもない。きっと何かを成した人だ。とびきり大きな何かを。
「若いの、なぜ話を聞きたい? 見ての通り儂はただの老いぼれだぞ」
「不勉強ゆえ知らなくても、他の皆さんが知っているみたいなので、僕も知りたいんです」
「興味本位か。その他の連中の方から聞きな。向こうが勝手に価値を感じてるんだ。儂自身は何もしとらんよ」
「ヴァンパイアの男からの敬意を感じました。よほど格上の強い者にしか靡かない。僕ももうすぐクエストに出られる歳なので予習をしたいです」
「あの茶番劇か。古い話じゃあ予習どころか、逆に邪魔になるだろうよ」
そろそろ酔いが回った頃を狙ったつもりでも、思いのほか頑固に口を閉ざす。けれども、直接の拒否はしない。値踏みしている。ならば価値を示したら、もしかしたら。
「もしそうなったら、僕が餌だっただけです」
言い終えてから、茶番劇とはどういうことか気になってきた。後知恵での正当化をするなら、危険の由来を知って餌と言ったので、老人が言う茶番劇に意図的に付き合うように見える。そう見えてほしい。
老人は喉で音を立てて笑った。カカカと上機嫌そうな音に周囲の注目も感じる。ひと通り笑って、咳き込んだ喉を湿らせて、次は言葉を続けた。
「見込みある奴だ。いいだろう、話してやる。
儂が、若い頃、お前さんが生まれるずっと前だ。ちょうどこの町がある一帯に、昔は魔王の城があった。まるごと全部だ。料理屋より大きな厨房があって、温泉は全部繋げてひとつの大浴場で、鍛冶場はこれでも縮んだほうだ。巨大な軍勢がここで待機し、必要に応じて出動していた。
その暴虐に耐えかねた連合軍による、魔王討伐作戦があった。儂もその一人でな。親衛隊を阻み、誰か一人でも魔王の元へ届かせる計画だ。勇者、聞いたことあるな。あいつは偶然にも辿り着いて、その結果、勇者になった。
儂や隣の連中が守衛を押し退け押し退け、いい隙間を見つけたあいつが一瞬で駆け抜けた。儂たちは追わせまいと立ち塞がり、一騎討ちの場を整えた。
魔王は黙ったままで立ち上がり、すぐに剣を構えた。攻め入られて突破されていくどこかでこうなるとわかったのだろう。ぴかぴかに磨かれたままの若い剣ではあれど、奴も武人らしい。人間の感性では華奢に見える体は慢心を誘う。秘めた力は分からぬ。自らに言い聞かせて、雑念を振り払った。
しばしの応酬が続いた。剣で剣を振り払い、突きを鎧で逸らし。鉄と鉄が鳴る。声を先に上げたのは勇者だった。剣先が掠ったのだ。薄い青のオーラを纏った剣が鎧を砕き、脇腹から血が噴き出した。俺の負けかとも思ったが、動ける限りは戦う。
その直後から、魔王の動きが鈍った。理由はわからんが屁っ放り腰になった。その隙に攻勢をかけて、ついに魔王は剣を落とした。
老人はここまで語って、グラスを空にした。自分を脇役のように言うつもりだったようでも、語るうちに熱気を思い出した様子がある。老人は深く息を吸って吐く。僕は次の言葉を待つ。
「魔王城が陥落する間際に、儂に呪いをかけた。武力では勝てずとも、心の内に入り込む術は魔王が上だったのだ。若いの、自らの中に気をつけろよ」
老人は立ちあがろうとした。席の位置から僕が引っかかってうまくでられない。もっと話を聞きたい。特に呪いの正体を。僕はその場に座ったままにした。
「もう少しだけ、お願いしますよ」
「なぜ儂が、いつもここに来てこの時刻に帰るか。これが魔王の呪いの正体だ。毎日この時刻にオシッコが漏れそうになるんだよ」
「ここまでいい話らしかったのに、急にふざけたことを」
「ふざけているのはお前だ。さあどけ! この場で無様に漏らしたらお前のせいだぞ!」
周囲も老人の話に聴き入っていた様子で、目線が僕に突き刺さる。仕方がないので僕が折れて、老人の背を見送った。
老人は、普段通りに道を進んだ。
あの若者がどこまで信じて、どこを疑うか。新聞の戦没者欄から探す名前を聴き忘れたので、一度だけ立ち止まった。
深く考えずともいいか。老人は妻の元へ向かった。きっと二人分の剣をぴかぴかに仕上げている。
英雄譚 エコエコ河江(かわえ) @key37me
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