第6話

 

 自棄を起こしてたから開き直って言いたいことをいった。多分それが、逆に良かったんだろう。

『そもそもなぜ本官が選ばれたのですか。潜入捜査でなく囮捜査だったのではありませんか』

 俺の容姿がいいから誘き出す餌に使ったんじゃないのかと、居並ぶお偉方を睨め回して文句を言う。錘をつけられて沈められて食いつかれて怪我をした。いわば役目を果たしたのに高い位置から見下ろされ糾弾されるのは納得がいかない。

『襲撃されたか否かをお尋ねでしたら、されました。なのになぜ殺されなかったかは自分には分かりません。容疑者にお尋ねください』

 口では言いつつ、容姿がとびきりいいからに決まっているだろうがと顔に書いてやった。傲然たる態度に海軍と憲兵隊の佐官たちは顔を見合わせて、命があってよかったとか、とりあえず座りたまえとかって囀りだす。

『襲われた状況をこの場で報告する気持ちはありません。調書作成には応じますが口の堅い筆記官の聴取を希望します』

 遠慮なく椅子に座り、背筋は伸ばして姿勢は整えたが喧嘩腰の態度は改めない。ムリに喋らせようとするなら命令不服従に問われてもこの場を退席する覚悟だと、口を噤んでもう一度、今度は真正面で座長を務める少佐をにらみつける。

『気が立っているのは分かるが少し落ち着きたまえ』

 咎められず宥められる。

『それに貴官は誤解しているようだ。審問室を使っているのは内容を非公開にするためで、罪に問おうというわけではない』

 上官が部下に告げるにしては相当に譲歩した話し方。

『ともあれ君が自我を侵食されていないことが確認できて良かった。調書の作成は希望を考慮するのでなるべく早く応じるように。本日は退室し休養してよろしい』

『失礼いたします』

 敬礼をして審問室を出る。気が立っているのも疲れているのも自覚があったから真っ直ぐ指定された基地司令部の一室に向かう。憲兵隊の尉官宿舎にも部屋はあったがそこへの帰宅は許されなかった。身柄は拘束されていないが監視つきの仮釈放、『容疑者』に内通している嫌疑が完全に晴れた訳ではない。

 苛立ちを押し隠しながら与えられた部屋へ入る。従卒がすぐに湯と手ぬぐいを持って来てくれる。俺が内乱罪の容疑者を取り逃がした不手際を叱責されたと、事情を知らない連中は思っている。思われていた方が良かった。本当のことは言えないし知られたくもない。

 軍隊というところは三食と寝床つき。嗜好品も配給があって酒保では酒や煙草が非課税に近い値段で買える。煙草を買って来てくれと言って監視役の従卒を追い払い、窓に近づき外を眺めるふりでクレセント鍵の取り付けネジを外したボタンの金具を使って緩める。外から隙間に工具を差し込めば受け板が破損して開錠できるように。

 未練がましさにうんざりしながら、それでも、逃げ込む場所に困ったら入れるようにしておきたかった。逃げ込んで来たところでいまさら、庇ってやるとか逃がしてやるとかはムリ。居場所を失ったのはあいつ自身がムチャクチャをしたせいの自業自得だ。そう思ったから一度は見捨てようとした。でも、あいつを俺以外の誰かに傷つけられるのは嫌だ。




 監視を兼ねた数日間の休養という名の軟禁。軍医の診断は一度だけ。あれと寝たのはもう十日近く前で痕跡は残ってないし捜索で追った怪我も軽い。自覚症状を尋ねられても喉に痛みがあることは言わなかった。

 夕食を持ってきた従卒とともに明日から調書の作成に入りたまえと言いに来た上官は諮問会で正面に座っていた少佐。従卒は二人分の茶を煎れて出て行き、遠慮せず食事をすませたまえと言いながら上官は窓際に立つ。

「君は優秀だが己を恃みすぎる」

 クレセント錠の細工に気づかれたらしい。

「手負いにした以上、自分で始末をつけたかったのです」

「軍司令部に侵入しようとする賊は居ないだろう。それはそうと、あの夜、君が出入りしていた妓楼で騒動が起こったらしい」

 有能かつ話の分かるありがたい上官だ。今回のことでも部下を庇おうとしてくれるのは分かる。ただ憲兵隊の少佐にしては話題を変えるタイミングは下手糞。

「店の女の子が逃亡地点のそばで怪我をしたそうだ。君と奴が共同で女を囲っているという噂もあったが、本当かね?」

「悪意で解釈すればそういう表現もできると思います。あいつは郷里に許婚がいるから俺が代理で世話をしていました」

「仲がいいことだ」

 言った直後に上官は目をそらした。嫌味というより嫉妬の口調になってしまったことを悔いる様子で。ふだんは強面の男が心揺れる様子に、アイツが来なくて苛々していた気分が慰められるのは我が心ながらあさましい。つまりそれだけ、俺はグサグサに傷ついてる。弱っているのを自覚したほうがよさそう。

「アイツの彼女を抱いたことは無いのでどんな女か俺には分かりませんが、未練があるなら、訪ねるかもしれません」

 言われる前に自分から、嫌な言葉を口にする。嫌な気持ちを顔に出した俺に、ほっとした様子で上官が頷く。

「君には未練がなさそうでなによりだ」

「なにが起こったか整理しきれてはいませんが」

「調書を作りながらよく考えたまえ。その前に今夜、店とその女の様子を見てきてもらう。まんいち奴が居たときのために数人に後をつけさせる」

 頷く。数日間の監視で生活性情に異常がないことを認められ容疑はほほ晴れたらしい。外に出して逃げなければ、そして逃亡者と接触する様子がなければ完全に合格。尋問によらず自分で調書を作れというのはそういうこと。

「一度、自室に戻って入浴と着替えをしてよろしいでしょうか」

「今夜はそちらで休んでもよろしい。言っておくが、部屋には捜索が入っている」

 当然のことだ。官舎に見られて困るものは置いていない。

「気持ちが落ち着いたら」

「お話は落ち着いてから伺います。まだ少し混乱しているので」

「そうだな。わたしも最初、人間で無いのに人間のふりをしているなにかが軍に紛れ込んでいると聞いたときは何の冗談だと思った。事実だと知った後は、申し訳ないことだが君を容疑者だと思った。名の定義が捜索の妨げにならないよう『鬼』でなく『魅鬼』とか名づけられた、そんな話を聞いたら君を知っている者は君を連想する」

「……」

 もっと褒めろ。

「囮のようにして本当にすまなかった。君の『友人』が容疑者だとわたしは知らされていなかった。状況次第では一緒に始末されていたかもしれないと思うとゾッとする。無事で本当に良かった」

「自分も容疑者だったのではありませんか」

「だとしても早期に外されていただろう。君の周囲で人間が行方不明になった話は聞いたことが無い。

 人間を喰ったことはない。だが合意の上で魅鬼とかに人を喰わせるのも犯罪には違いない。食わせていたのが俺自身であったとしても明確な利敵行為。しかも結果は被害が拡大しただけ。

「君は被害者だ。思いつめないように」

 そうではない俺を庇うこの上官の情け深さを俺が聞き流しているように、俺の未練も、あいつには意味が無かったのだ。



 馴染みの妓楼に顔を出し、登楼は面倒で妓夫に話を聞いた。アイツはそっちにも姿を見せていない様子に少し安心した。一杯だけ呑んでさっさと宿舎に戻る。ここ三ヶ月くらい乗艦勤務と外泊ばかりだったから捜索されたと聞かされても違和感はなかった。さっさと布団を敷いてもぐりこむ。久しぶりの酒で血の巡りが良くなって喉が痛くて、寝て目覚めてを繰り返す。

 もうずっとこんな調子でよく眠れないし、この痛みが回復する可能性はほぼない。加えて明日からの調書の作成が億劫でいっそのこと死んでしまいたくなった。もちろん本当のことは書かないが、信用されるためには外形上の事実を述べなければならないだろう。

(外形上の事実?)

 調べはついてるだろうから関係は全部書かなきゃならない。あいつは家の管財人の孫で、管財人は両親に早々と死なれたしなれた俺の後見役でもあった。幼馴染で親戚みたいなもので、ガキの頃からの『友人』。

 最初に寝たのは、まぁ好奇心。愛とか恋とかじゃない。秘密を共有するような仲間意識。ずっと恋人関係だったんじゃない。故郷が同じだから学歴もほぼ重なっているが最終進学先は陸士と江田島に別れた。あいつは母方の祖父が海軍の偉いさんだった。

 卒業してからは学生時代より関係を持つことは増えた。人事異動に伴う長期休暇が重なりやすいから。帰省したところで迎えてくれる家族も居ない退屈な故郷であいつが『遊びに』来るのは楽しみだった。将来を誓い合うようなことはなくて、あいつが結婚すれば自然消滅して、若い頃の内緒の遊びで終わるのは分かってたが、それは自然で当然のことだと思っていた。

 それがいきなりこんな風になってまだ、事実を整理し切れてない。嫉妬や怨念には慣れていない。強い感情は苦しい。

 喉が痛い。

(動くな。静脈に近いから危ない。酷い真似されたな)

 本当はもっと残酷なことを提案された、輪姦されるのを見てみたいとか、信じられないだろ。誘惑した若い妓が待合で被害にあったのを眺めて興奮したらしい。昔から変質的で時々首を絞めたりはされた。でも自分じゃないのにヤらせて嫌がって泣き喚いてるのを見たいっていうのはどういうンだ。

(性癖が露骨に出ることはありがちだが、それはさすがに、悪趣味が過ぎる)

 そうだろう?

 庇おうとした俺の気持ちが醒めても仕方が無いだろう?

 最初はアイツも確かに苦しんでた。突然の不運に戸惑って変貌していく自分におびえてた。それがだんだん愉しそうになって、力を誇示する、みたいな真似をしだして。

 約束したのに艦内で若い水兵を襲って、それを責めた俺は首を痛くされて、言うことをきくまで外してやらないって……。

(三下ほど威張り散らす。だから狩人にまわったのか。過激で格好いいなァ)

 自棄を起こして開き直っただけだ。もとのアイツにはもう戻らないって見限りをつけた。保身や正義じゃなくて復讐。アイツは別人の用に変貌することで、俺から大切な『友人』を奪った。

(腱に引っかかってる。抜くとき痛むけど絶対に動くな。動脈に傷がついたらホントにヤバイ)

 真摯な声音だった。心配されてることが伝わってくる。素直に言うことをきく気なった。痛みは一瞬。つられて全身に力が入って、不意に五感が目を覚ます。

 パッと開いた目に映る月は中天、窓枠の形に部屋を照らす。寝床の中の俺は裸で大きな影に圧し掛かられて、奥には異質な熱がある。


 なにが起きているのか理解したくなかった。 

 

 

 

 

 

 

  









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