第3話

 居るのは知っているが仲間とかじゃない。ただ同じ存在は嫌でも意識せざるをえない。地上に溢れる人間に紛れて生きてる同族たち。面倒でもあり鬱陶しくもあり時々はおぞましくもあるが、敵や餌場の情報交換はする必要があって没交渉というわけにはいかないのが現実。

 そのへんは人間たちとあまりかわりがない。

『どうしてアンタたちは喧嘩してないのよ。アタシだけカワイイの無くすとかひどくない?』

 同じエリアで生きている同族の餌は、俺のにちょっかいを出して始末された。専属の相手は性的な隷属をかねてることが多いから、浮気をされてムカつく気持ちは分からないじゃない。

「オマエの躾がなってないからだろ」

 だからってこっちに文句を言われる筋合いは無い。始末している一部始終をライブで見せられてもあまり興味はわかなかった。

 若い連中は動画に欲情する習慣があるんだろう。だけどこっちは古い時代に成熟したもんで、だんだん潤んでく粘膜とか声が混じりだす息が耳朶をかすめる熱とか紅く染まって尖りだす先端とか、そういうの視覚聴覚以外の刺激が寄り添わないと、オモチャみたいな気がしてしらける。

 『同族』に戸籍はないから個体数や分布は分からない。ただ人間が考えるよりも数は多い。そうして美味い餌は俺たちの個体数よりも少ない。血はごくごくと飲むわけじゃない。一口か二口を啜ったその血を通して、きれいで美味い生気がどれだけ吸えるかがいい餌の条件。それは殆ど霊的な供物の意味に近い。

 きれいには若さや容姿も含むが病気や傷がないことも同じくらい大切。もっとも片目や片腕、顔の痣が聖痕扱いになることもあるから一概にはいえない。美味そうなのにはガキのころから複数が纏わりついてることもある。将来を考えれば美味い餌が成熟して子孫を残してから喰うのが望ましいが、待ってるうちに先を越されるのも馬鹿馬鹿しい。気に入った餌に自分が最初に口をつけたい欲望も普通にある。それも人間と同じだ。

 そういう意味で、俺は先を越された。100年近くも前のむかしばなし。



 美形を漁るなら色町に限る。今も昔も。

 その頃は瀬戸内の港町に居た。妓楼の用心棒と妓夫を兼ねて。我がまま放題の女たちに言うこときかせるのが得意なせいで重宝されて待遇は悪くなかった。

 国際調停とやらで帝国海軍の戦艦数が削減され日清日露の盛り上がりは萎んだが、それでも軍の寄港地は他より景気が良かった。芸者と娼妓の区別も曖昧な新開地。由緒正しい首都の遊興地みたいなしっとりした風情は望めない代わりに活気があった。そういう土地には他所から上玉が集まりやすい。ついでに流れ者が増える街は夜の淵が深くて紛れ込むのに実に都合がよかった。

 軍艦が入港すると町はちょっとしたお祭り騒ぎだ。長門型戦艦が入れば上陸して遊ぶ軍人は1500人に近い。ふだんの5倍を超える遊客のご来訪に待合やカフェーは派手な音楽を店先で鳴らし、広くもない路地は女の肩を抱いて次の店へ移動する軍服姿の男たちで混雑する。

 当然喧嘩や揉め事も起こる。軍人がみんな謹厳実直な訳でもない。海軍は陸軍に比べれば召集された民間人の率は低くて給料も高くて素行もマシだったが、とんでもない性悪も中には混じってる。

 でかい妓楼の主人に器量を見込まれて養女になってた、まだ水揚げも済んでない小娘。お使いに出された昼間、小間物屋で行き交った若い軍人におだてられていい気になって待合にのこのこと出かけていったら、待っていたのは襟に階級証がきらめく士官じゃなくてゴロツキ水兵の集団だった、みたいな。

 現場と犯人の身柄を押さえて、悲劇を賠償金に換算するべく軍艦に使いを出す。すぐやってきた憲兵は待合の土間に入って、静かに軍帽を脱いだ。

 つばの下から現れたのは惚れ惚れするほどのいい男。捜索に協力した流れで色町の用心棒連中、十人近くに囲まれて少しも怯まない様子はご立派な軍人さんだった。素っ裸に近い姿で縛られた水兵どもに向けた一瞥の冷酷さは物理的な鋭さで、連中は首がもげそうなくらい俯いた。

「こりゃ格好いいニィさんが来たもんだ。憲兵さんは容儀審査があるってホントぉかい?」

 場の雰囲気をのまれそうになったのに反発して用心棒たちの中で口の達者なのが憲兵を冷やかす。憲兵はちらっとそいつを見たが睨みつけなかった。身内が起こした事件に詫びを入れ始末をつけに来た立場をちゃんと弁えてる。黙ったままでこっちの交渉開始を待ってる態度は頭が良くて、話が早そうだった。

「ヤられたのはまだ素人扱いの子供でな」

 ゆっくり、俺も、なるべく穏やかに口を開く。

「医者に行ってるかまだ正気づいてない。証言とかは、二・三日じゃムリだ。阿片吸わせて忘れさせちまおうかって、医者と養父が相談してる」

 軍艦の出港には間に合いそうにない。

「明後日までに医者の診断書を出してくれ」

 思ったよりも声は若い。せいぜい二十五か六。それで士官ってことは相当のエリート。

「それは大丈夫だが、こいつらはどうする?」

「好きなようにしろ」

 憎らしいほど落ち着き払った口調にいっそ感嘆した。

「そいつらは軍属で軍人じゃない。外注の業務委託先が雇った部外者だ。艦上点呼の員数でもないから庭に埋めても構わない」

「新聞沙汰になったとき世間が区別すると本気で思ってんのかい?」

「悩みどころはそこだ」

 無機物みたいにカツンとしてた憲兵の声にいきなり、いろがつく。感情が宿った。切れ長の目尻がふっと揺れる。絶望、捨て鉢 ・ 自暴自棄 。そして薄っすらとした悲しみが、ほんの少しだけ漂う。

 軍帽のつばで左の胸元を叩かれて、俺はゆっくり近づいた。これだけの人数が居る色町のど真ん中で一般人に斬りかかるとは思わなかったが憲兵の雰囲気はどこか剣呑だった。そして警戒とは別に、上着のボタンを外してシャツの胸元に手を突っ込むのは実にいい気持ちだった。ポケットの茶封筒はかなりの厚み。

 水兵たちの身代金、口封じの弁済にしては高価すぎる。なんのつもりだと不審な顔をした俺に。

「水揚げ代だ」

 憲兵がひそめた声で囁く。

 意外な出方に、少し考えて。

「それならアンタ、今夜帰れないぜ」

 色町の流儀を押し付ける。水揚げの夜、旦那になった相手は泊まっていくのがこの土地の習慣。実際は停まりの費用だけ払って帰ることも出来るが、そういう真似をする客は玄人女たちにもてない。

 憲兵は軽く頷く。この色町じゃ見たことがなかったが寄港地の習慣は分かってるらしい。

「あの子の旦那ならウチの上客だ。こちらへどうぞ、だな。旦那、お名前は?」

「……神林」

 憲兵はかなり嫌そうに答えた。



 被害にあった子供は今夜、病院から帰らない。まだ客をとってなかったから妓楼の二階にその客が泊まる部屋の用意は無い。かといって出世しそうな上客を一階の追い込み、屏風で仕切った床部屋に寝せる訳にも行かず大急ぎで離れをあけた。取締りの目を盗んで時々賭場が開かれる、襖を外せば12畳になる二間の建物。

「れーちゃん、あの憲兵さんナニ?泊まって行くの?」

「ダレのお客サンなの?ここの馴染みになるの?」

 俺が働く妓楼は大店で女たちも高価なのばかり揃ってる。そうなると客は軍人含めて金持ちの年寄りばかりだ。自分らとほぼ同世代の二枚目に色めきたつ娼妓たちの気持ちも、分からないじゃない。大きな声を出さないで布団を運ぶ俺のあと追ってくるだけなのは躾がいいともいえる。

「また分かンねぇよ。ちょっと美代姐サン、邪魔だ。敷布が落ちるじゃねぇか」

「運ぶの手伝ってあげるから教えてよ」

「いっそアタシも運んでくれればいいのに」

「なんだっけ、外国にそうやって運ばれたお姫様が居たよね」

「なにそれステキ。あたしたちも抱っこして運んで、れーちゃん」

 俺も妓夫にしては女たちに遠慮ない口をきくが、女たちの方も遠慮なく言いたいことをいう。その雰囲気が不満解消になってるらしくウチは心中やら足抜きやらがめったに無い。機嫌のいい女は美味いから客の評判もいい。

「今日はダメだ。帰りは挨拶させてやっから、さっさと格子に並んで来い」

 布団を振り回して追い払う。ケチとか約束よとか言いながら派手な色彩が廊下の向こうに散らばっていく。俺は大荷物に手こずりながら庭に下りて離れの引き戸を開ける。珍客は坪庭に向う小さな縁に座って煙草を咥えてた。

 膝の前に茶菓の盆が置かれて客用の夜着に着替えてるのは座敷からここに案内した女将が世話を焼いたんだろう。安い浴衣じゃなく袂のある単を着てるのを見れば、この客が女将の条件を呑んだんだって見当がついた。二枚目ってだけで優遇されるほど色町の仕組みは甘くない。

「あんた若いのに憲兵ってのは金持ってんだな。給料がいいのかい、それとも余得が多いのかい?」

 縁の手前の座敷に布団を敷きながら話しかければ、

「身上調査は女将で済んだ」

 意外とあっさり客は返事をする。内容は素っ気無かったが。

「自己申告のウラとるの俺なんだよ。伝聞より直で聞いた方が確実だろ」

「調べてもらうほどのワケはない。親が早死にした上に兄弟が居ないんで、自由に出来る金があるだけだ」

「……ふーん」

 その境遇で金が使えるのは資産がある家に生まれた坊ちゃんだけだろう。

「アンタがウチのお嬢をだまくらかした士官なんじゃないよな」

「当たり前だ」

「じゃあナンでアンタがソイツの身代わりになる?そいつよっぽど大物の息子なのか?それとも警察に追われたり新聞に名前が出たりしたら海軍さんが大恥かくのかい?恩賜の時計組みで官報に名前が載ったことがあると……、か……」

 す、っと、客が右手を懐に手を入れる。俺は両手を頭の後ろで組んだ。腰に提げてたサーベルは妓楼の入り口で預かったが身体検査はしてない。匕首はともかくナイフなら隠し持たれてる可能性がある。

 右手が出される。煙草の箱を掴んで。

「脅しやがって」

「勝手にビビッたんだろ」

「それ舶来か?マジで金持ちだな。一本くれ」

「官納品で、中身は不二だ」

 軍の酒保に納めたり配給されたりする品物が民間品とパッケージが違うのはよくあること。

「どっちにしろお高いの吸ってんじゃねぇか」

 軽く笑って差し出された箱から一本引き抜いた直後、薬莢に似たイムコのライターで火をつけられて今度こそ目を剥くことになった。

「……貰いモンだ」

 俺が驚きすぎたからだろう。呟き声は言い訳じみてもいた。青島攻防で捕虜になった同盟国の将校が帰国後に贈ってきたモノだってことは、しばらく後になってから聞いた。

「もう寝る。明日は勝手に出て行くから、構わなくていい」

 言外に、吸ったら出て行けと言われて。

「ご帰艦はお供するぜ」

 一応、釘を刺しておく。所属と名前はもう一度、念を押して確認する必要がある。

「好きなようにしろ」

 まだ宵の口なのに少し疲れた様子の客を、その夜は一人寝させておいた。




 

 

 





 

 


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