「でも結局、受験は失敗しましてね。内部から告発があったんです。母親は今までかけた費用をどうしてくれる、とヒステリック気味に怒鳴って、皿を何枚も割りましたよ。気付けば部屋の中の調度品、電化製品、全てめちゃめちゃで、その日は痛みで起き上がれませんでした」


「私の人生どうしてくれるの、失敗続きでもう嫌、お前を楽にさせてやりたかっただけなのにと激しく否定を繰り返されました」


 貴方にもそんな経験が。


「幼い頃、うっかり名前を書き忘れて零点取った時に同じように怒られた経験がありました。かんしゃく玉でも破裂したみたいなキレ方されてから、ずっと怖くって。いつの間にかその記憶が私を縛っていたみたいなんです。残念ながらここに来た時初めて知りました」


 ……。


「でもその代わり、教育に関する金だけはたっぷり出してもらえましたから、母の言う通りにするようにしたんです。沢山の有名塾、有名講師が書いた沢山の問題集。家庭教師も雇ってもらいましたが、点数が伸び悩む度に直ぐに解雇。新しい教師を迎えるようになりました。

 いつから来なくなったかは覚えていませんが、ある日、本当にごく自然に来なくなりました。


 とうとうひとりぼっちになったと、心のどこかで思ったものです。


 ただ、母が毒親という事ではないのですよ。何故なら私が憎くてそうしている訳ではないことを子どもながらに分かっていたからです。――いえ、今思い返せば思い込んでいたのかもしれませんね。ただ母を否定する気にだけはどうしてもなれませんでした。

 母は昔、あの最難関大学を目指して落ちてしまい、非常に後悔した過去があるそうで、毎晩のようにあの大学に入れなかった母の話が語られました。今では自分の履歴よりも母の履歴の方がすらすらと語れます。愛すべき母の記録です。どこまでも無垢でどこまでも貪欲な綺麗な少女の記録でした」


 ……。


「ですがこんなことになってしまいましたから。手錠をかけられた腕を見ながらパニックになったものです。両腕を掴む警察の人に怒鳴られて、何故だかとてもとても悔しくて悔しくて。もう父母に見せる顔がないな、人生終わったな、と酷く失望したものです」


 それから、貴方はどうしました。


「どうしたでしょう。殆ど無気力の状態でしたから何も覚えていません。誰一人として面会には来ませんでした。それに、釈放された後も家には帰れません。うっかり帰れば殺されそうな気さえしていました……」


「そうしてここに辿り着いたんです。未来を見せる鏡を見に来ました。この後私はどうやって生きているのか、人生は成功しているか、どのようにすれば正解の途へ戻れるのか。それを知りたくてここに来ました」


 未来は見れましたか。


「見れました。私はこの目ではっきりと見ました」


 羨ましい。


「何を仰るか。未来は未来でも、自分の過ちです」


「それまでこれっぽっちしかなかった自分の世界の狭さを見ました。母の大きさを知りました。自分が積み重ねてきた勉強法は全て上っ面であることを知りました」


「ねえ貴方」


「問題集を買ったまま満足はしていませんか」


「塾に入ったという名実だけに満足はしていませんか」


「その人生は保身の為にあるのではないですか」


「他人の為にあるのではないですか」


「飾り立てた自分の人生に意味はあると思いますか」


「よく考えてごらんなさい。汚れたものに塗れた人生を認める者はいなくても、正々堂々戦って負けたのなら他の人が認めてくれる。そうすれば私のように道を踏み外すこともなくなる。やり直すチャンスはいくらでもでてくる」


 ……。


「どうです」


 ……本当に? 友と呼べるような友もいないような私に?


「世界のどこかには居ますよ。例えば私とか」


 ……。


 ……、……。


「ね。人生の進み方は一つじゃないんですよ。今なら遅くないですから、少し考え直してみては如何ですか」


 ……。


「如何ですか?」


 ……そうですね。他の誰が言っても聞く気にはなれないが、貴方の言葉なら何でか聞く気になれるような気がする。

 例の業者は断ります。

 もう少しだけ、問題集に齧りついてみようと思います。

 少し怖いけど、そんな人生になるぐらいなら、私だけでも全うに生きてみ――



「冗談じゃない。こっちの方が長い時間を待ったんだ、抜け駆けは許さない!」



「さっさと来い」



「今度はお前の番だ!」

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