第22話 宿屋で過ごす夜(1)

 バーナデットとルーファスは、事前に決めていた宿屋の前で合流した。

 旅行シーズンでもなく、王都からも少し距離のある宿屋は、部屋の数にも余裕があり、空室が目立つ。バーナデットは迷った結果、ルーファスの了承を得て、角部屋の一室だけを借りることにした。

 当初は一人一室を借りる予定でいたが、たった今、追っ手に追われて危険な目にあったばかりだ。この夜も何も無いとは言い切れない。そのため、何か起こってもすぐに対処が出来るように、と同室で泊まることを決断した。


「鍵もカーテンも閉めましたから、もうマントを脱いでいただいて構いませんよ」


 バーナデットは、部屋に入っても尚、フードを深く被ったままのルーファスへ声を掛けた。しかし、ルーファスはドアの前で立ち尽くしたまま、動こうとはしない。


「ルーファス様?」


 意気揚々と脱ぐのでは、と思っていたバーナデットは、返事すらしないルーファスを不審に思う。首を傾げながら近寄ってみると、ルーファスが消え入りそうな声を発した。


「き、が……つ……」

「はい?」

「き、傷が……」

「はあ? 傷! 傷ですって? 怪我をされたんですか!」


 バーナデットは滅多に上げない大声を上げて、ルーファスのマントを無理矢理引き剥がした。そんな強硬手段をとられるとは思っていなかったのか、マントを押さえようとしたルーファスの手は、空を切る。


「み、み、み、見るなああああっ!」


 マントを勢いよく剥ぎ取られたルーファスは、そう叫んで両手で顔を覆う。その一瞬、チラリと見えた左頬には、鋭利な刃物で切られたような小さな傷が刻まれていた。


「や、やめろ、見るな。傷の出来た俺の顔など、美しくない……醜くなってしまった。あんなに、あんなに大事にしてきたのに……」


 そのままうずくまって動かなくなってしまうのでは、と思うほど、ルーファスは取り乱していた。ガクガク震えている膝を床につかないのは、プライド高い彼の最後の意地にも見える。


「いや……そんな小さな傷程度で何を言ってるんです?」


 バーナデットは呆れたように脱力し、顔を覆ったままのルーファスを見上げた。合流してから妙に口数が少なかったのは、この小さな傷にショックを受けていたからか、と納得する。


「小さなものでも傷は傷だ。痕でも残ったら、俺は、俺は……!」

「はいはい、大変でしょうね。治療をしますから、さっさと顔を見せてください」

「……治療? 痕は残らないか……?」

「お任せください。うちにはやんちゃっ子が多く、治癒魔法は慣れていますから」


 本家では弟のテオ、別荘ではミゲルとシシリーがよく怪我をするため、治癒魔法には自信があった。

 バーナデットの快活な言い方に、ルーファスは顔を覆う手をゆっくりと下ろした。まだ観念し切らないのか、顔は背けたままだ。


「この距離だと難しいですね。そこのベッドに腰掛けてください」


 力無く垂れているルーファスの腕を掴み、手前にあったベッドへと座らせた。良心的な値段の宿屋のわりに、質の良いベッドを置いているようで、ルーファスの体が沈み込む。

 バーナデットはルーファスの正面に立ち、背けたままの顔を両手で挟んで、こちらを向かせた。普段は見上げていることが多いため、見下すのは新鮮だな、と思いながら、傷口の状態を確認をする。

 見る限り、傷口は掠った程度で深くはなさそうだ。


「いっ……たいではないかッ……!」


 ルーファスは文句を垂れながら顔を顰めた。確認していた手が、傷口へ触れてしまったみたいだ。


「大袈裟ですよ、もう。はい、大人しくしててくださいね」


 バーナデットは小声で呪文を唱え、傷口に沿うように指を動かしていく。治癒魔法特有の陽だまりのような温もりと、バーナデットのかさついた指先がくすぐったいのか、ルーファスの肩の辺りがピクピクと揺れた。


「はい、治りましたよ」


 治療を終えたバーナデットは、ルーファスから離れた。ルーファスは傷口のあった場所に触れ、跳ねるように立ち上がると、鞄の中から手鏡を取り出した。そこに映る顔を見つめ、歓喜の声を上げる。


「ない! 傷が、ない! 傷がないぞ!」

「そりゃあ治しましたからねえ」

「美しい。ああ……! やっぱりこの姿は麗しいぞ!」

「はいはい、大変麗しゅうございます」


 ルーファスは手鏡を握ったまま、星が飛び散るような輝く笑顔で、バーナデットを見つめた。あまりの輝きに、バーナデットは目を細める。


「はははっ! 感謝するぞ、バーナデット!」

「……い、いえ」


 ルーファスの思いがけない言葉に動揺を隠せず、口籠もってしまった。


「おい。なんだ、その変なものを見るような目は」

「す、すみません。まさかルーファス様が、感謝の言葉を口にするとは思わなかったので」

「ん? お前だって使用人たちに向けて、よく礼を言ってるじゃないか。それもおかしなことだろう?」

「まあ、そうかもしれませんが……。貴方は、そういったことを口にする人ではなかったでしょう?」

「ふっ。お前の別荘で過ごすようになってから、郷に入っては郷に従え、という言葉を理解しただけだ」


 そう言うと、途端に照れ臭くなったのか、ルーファスはバーナデットから顔を背けた。その様子がなんだかおかしくて、バーナデットはクスクスと笑い声を上げた。

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