第21話 王都潜入(2)
橙色の夕陽は地平線へ沈み、空はすっかり紺色に染まった。賑やかだった町も静かになりつつある。
ルーファスとバーナデットは、今日の分の調査を終え、宿泊先の宿屋に向かっていた。ルーファスの姿を変えている変身薬の継続時間も残り僅かのため、足早に歩く。
「念の為、鞄に入っているマントを羽織っていてください」
バーナデットは、進む足のスピードを落とさないまま、ルーファスの持つ鞄を指差した。鞄を持ち上げて開くと、何時ぞやかの黒いフード付きのマントが入っていた。
「フードを深く被って俯きがちでいれば、魔法薬が切れても周りには気付かれない筈です」
「ああ、そうだな」
ルーファスは指示通りに素早くマントを羽織り、フードを被った。それを横目で確認したバーナデットが、先程よりも近くに寄って来る。
「視界が悪くなりますから、その分は私がサポートいたします」
「全く、変身魔法が自分自身にしか使えないのは不便だな」
「その文句は、王国お抱えの優秀な魔術師様方へ仰ってください。術化して頂いたら、習得出来るよう努力しますので」
「ハッ。奴らに文句を言える立場に戻れれば、俺自身が真っ先に習得してやるさ」
互いに軽口を叩きながらも、足は俊敏に動かし続け、先を急ぐ。王都をグルリと囲む石壁まであと少しのところで、ルーファスは背後に違和感を感じた。
……つけられている。
直感だった。だが、耳を澄ましてみれば、それは確信となる。自分とバーナデットの足音に上手く合わせているが、体に付けた武器のぶつかる音までは隠せていない。
ルーファスは、寄り添って歩くバーナデットへ小声で話し掛ける。
「バーナデット、気付いているか?」
「あら、ルーファス様もお気付きでしたか」
「当たり前だろう」
「おや。数ヶ月前は、賊の襲来に気付かず、地面に転がされていたのに?」
後をついてくる奴らに悟られないよう、バーナデットはこちらを振り返らずに会話を続けた。顔は見えないが、意地の悪い顔で笑ってるのが安易に想像出来る声だ。
「あの時は、その、気が滅入っていてそれどころではなかったんだ」
「ふふっ。そういうことにしておきますね」
「ったく、本当にイイ性格をしているな、お前は」
「お褒めの言葉ありがとうございます。と、無駄話はこのぐらいにいたしましょうか」
お前が話を逸らしたんだろうが、とルーファスは心の中で突っ込みを入れる。バーナデットは淡々とした声で続けた。
「つけてきているのは二人ですね」
「ああ。武器も所持しているようだが、精々ナイフといったところだろう。この辺りで撒ける場所はあるか?」
「いえ。これ以上進むと人気は一層無くなり、見通しも良くなってしまいますので……」
「なら、ここで足止めするしかないな。コイツの出来も確かめておきたい」
ルーファスは、腰のベルトにぶら下げた魔法薬の小瓶に触れた。計画に乗ると決めた後、バーナデットに頼んで作らせた特製の火炎瓶だ。
ルーファスの魔力は極限まで抑え込まれているが、マッチ棒サイズの火なら出すことが出来る。そこで、小さな火でも力を増大出来る火炎瓶を作らせた。王国の軍隊が所有しているものよりも、サイズはかなり小さく、量も少ないが、その分濃度が高い。魔法薬の調合に長けたバーナデットだから、完成させることが出来た一品だろう。
「使用してみなければ改良も出来ませんしね。お手伝いいたします」
「ふっ、侮るな。俺一人で十分だ」
「な、それは危険です!」
思わず振り返りそうになったバーナデットの頭を片手で押さえ付け、グイッと前へ戻す。
「バカ、振り返るな」
「し、しかし」
「万が一にも、ここで二人して捕まった方がまずい。それに、俺よりもお前の方が何かと自由に動ける立場の筈だ。ならば、お前が確実に逃げることを優先すべきだろう」
「それは、そう、ですが」
「そう心配するな。俺が簡単に捕まる訳ないだろう。ちょうど、使用人の仕事だけでは物足りなさを感じていたところだ」
ルーファスは、フードの下でニヤリと自信ありげに笑った。潜めた声の中にも得意気な響きは乗っていたようで、バーナデットが諦めのため息を一つ吐く。
「……分かりました。この場はお任せいたします」
「ああ、任せろ」
「次の角を右に曲がった路地の先で、私は一足先に石壁を越えます。ルーファス様は、路地で彼らを足止めしてから越えてきてください。とにかく逃げることを第一にされますよう」
「分かっている。ほら、行け」
ルーファスの声を合図に、バーナデットが地面を強く蹴って走り出す。その後を数歩遅れて追うと、背後でもバタバタと駆ける音が聞こえた。
指示をされた角を曲がると、既にバーナデットの姿は無い。ルーファスは、追っ手を待ち構えるかのように立ち止まり、火炎瓶を三本、ベルトから外した。
数秒遅れて現れた追っ手は、待ち構えていたルーファスに驚き、警戒するように一定の距離を保った。踏み込んでくる様子はない。
予想通り二人組だった追っ手の足元に向かって、ルーファスは躊躇することなく火炎瓶を投げ付けた。地面に叩き付けられた火炎瓶からは、魔法薬が飛び散る。キツいアルコール臭が辺りに充満し、追っ手の二人は耐えられずに鼻と口を手で覆った。
「うわあっ! な、なんだこれは!」
「く、クセェ……!」
ルーファスはその瞬間を逃さず、指先に乗せた火を飛び散った魔法薬へ引火させた。息をつく間もなく、引火した火は大きな炎となって燃え上がり、ルーファスと追っ手の間に壁を作る。
それと同時に、大量の白い煙が視界を曇らせた。次第に目に痛みが走り、涙が溢れてくる。そういえば、逃げ道を作りやすいように催涙効果のある成分を仕込んだ、とバーナデットが言っていた気がする。
長居をすれば自分もこの煙の餌食になる。
そう思ったルーファスは、石壁を越えるために、追っ手へ背を向けた。
「くっ! 逃がしてたまるかあああっ!」
鼓膜を破るような追っ手の声がしたかと思うと、壁に手を掛けたルーファスの頬をナイフが掠めた。数本の髪の毛が無残にも斬り落とされ、頬には熱を持った痛みを感じる。ソッとそこに触れると、指には真っ赤な鮮血がついていた。一瞬息を呑んだ後、次第に呼吸が浅くなる。
背後から投げられたナイフは石壁にぶつかり、ルーファスの足元へと転がって来た。それを拾い上げた手は、怒りのあまり震えている。
「よく、も……! よくも俺の、この、美しい顔に! 傷を……傷を、付けたな……!」
唸り声のような掠れた声は、燃え盛る炎の音に掻き消された。ブルブルと小刻みに震える手で、ナイフを握り締める。
このまま滾る怒りに従って狂いたい、と本能が叫ぶ。だが、それはやってはいけない、と必死に理性を総動員させた。唇から漏れる獣のような浅い呼吸は、炎の熱を吸って喉を焼く。人間らしい呼吸へ戻そうと深呼吸を試みるが、なかなか上手くいかない。頭にも血が昇っていくのを感じた。
『この場はお任せいたします』
ふと、脳内に、バーナデットの凛とした声が響いた。
『とにかく逃げることを第一にされますよう』
また、響く。
すると不思議なことに、ついさっきまで落ち着かなかった呼吸が、スゥーと楽になってきた。頭に昇った血が、体の方へと流れていく。
「……ハッ。何をやっているんだ、俺は」
ルーファスは、ナイフが当たった衝撃で微かにズレたフードを深く被り直し、その下で苦笑した。
「ここでヘマをすれば、あいつにバカにされるな。いや、別荘の奴らにも笑われるかもしれん」
脳裏に幾つかの顔を思い浮かべ、顔を綻ばせる。
手掛かりになるかもしれない、と握り締めていたナイフをハンカチで包み、鞄へとしまった。
チラリと背後を確認すると、炎の壁と白い煙の先で、追っ手二人の影が目の痛みにもがき苦しんでいるのが見えた。
足止めは成功した。またナイフを投げられては困る、今のうちに。
ルーファスは無駄のない動きで颯と石壁を越え、宿屋へ急ぐのだった。
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