第三章

第20話 王都潜入(1)

 ルーファスがバーナデットの計画書を見つけてから、約一ヶ月が経った。

 進展はほぼ無い。というのも、アーノルドの目的が未だにハッキリしないからだ。復讐をするのであれば、今までルーファスやバーナデットがされてきたように、アーノルドが舞台に上がった時を狙いたい。だが、アーノルドの王都での動きは殆どなく、ミゲルやシシリーを使った情報収集すら難航していた。

 何か別の手を打たなければ、と考えながら、ルーファスは資料庫へ足を進める。資料庫の扉を開けると、先客がいた。


「バーナデット」

「あら、ルーファス様。ご苦労様です」


 バーナデットは立ったまま本棚に寄り掛かり、本を読んでいた。髪を軽く束ね、部屋着として好んで着ているゆったりとした白いワンピース姿だ。


「この時間に部屋着ということは、今日は外出の予定は無いのか?」

「はい。久しぶりの休暇、といったところです」

「そうか」


 短く会話を交わし、各々の過ごし方へと戻る。

 あの夜、バーナデットの部屋で話し合った後も、互いの距離感はあまり変わっていない。

 ただ、別荘で過ごすバーナデットは、城で接してきた姿とは別人のようだ、と思うようになっていた。城での姿は、完璧主義者で他人にも自分にも厳しく、いつも隙の無い涼しい顔をしている印象が強かった。だが、別荘内では喜怒哀楽をよく顔に出すし、食べ物の好き嫌いもあり、時にはドジをやらかすこともある。使用人達の反応を見ると、それが日常のようだ。ここでの姿が、本当の彼女の姿なのだろう。

 ルーファスは本棚から読みかけの魔法薬書を選び、資料庫に置かれている椅子へと腰掛けた。


 暫くの間、二人きりで本を読むことに集中していると、資料庫のドアが叩かれた。プツリと集中の糸が切れ、ルーファスとバーナデットは同時に顔を上げる。


「どうぞ」


 バーナデットが声を掛けると、息を切らしたシシリーが飛び込んできた。


「ば、ば、バーナ、デット、様! 号外! 号外です!」


 シシリーは息を切らしたまま、バーナデットに新聞を押し付けた。それを受け取ったバーナデットが新聞に目を通すと、みるみる眉間に皺が寄っていく。


「【ラスボーン公アーノルド、王室の宰相に任命間近】ですって? これまで目立った動きはなかったというのに?」


 バーナデットの言う通り、新聞の記事になるのは、王位継承権第一位となったイアンとその婚約者のアリシアが、積極的に国民へ奉仕している記事ばかりだった。アーノルドに関連するものは、目にしたことも耳にしたこともない。

 そんなアーノルドが任命間近といわれている王室の宰相とは、国王の次に実権を握る立場だ。そう簡単になれるものではない。


「なるほど。イアンとアリシアの目立った行動は、アーノルドの行動を隠すためだった、ということか」


 バーナデットは、頭上から降り注いだ声に肩をビクつかせた。新聞を引き裂かんばかりに握り、全神経を記事へ向けていたせいで、背後に立つルーファスには気が付かなかったようだ。ルーファスは構わず、バーナデットの背後に立ったまま、覗き込むように内容を読む。


「ルーファス様」

「なんだ」

「近いので離れてください。背後から人の気配を感じ続けるのは、身の危険を感じて嫌です」

「だが、離れたら記事が読めん」

「でしたら、こちらの新聞はお渡しします」


 バーナデットは、ルーファスから二歩ほど距離をとり、新聞を差し出した。強く握っていた箇所が、グシャグシャになっている。


「もう読まないのか?」

「はい。私はこれより本家へ戻り、王都の状況を直接探って参ります」


 善は急げとばかりに、バーナデットはシシリーを連れて資料庫を出ようと扉に手を当てた。


「いや、待て。俺も行く」


 そう引き止めたルーファスの声に、ゆっくりと振り返ったバーナデットの顔は、東洋に伝わる般若面のように恐ろしかった。



 ◇◆◇



「数ヶ月しか経っていないというのに、何年も離れていたような感覚だ」


 久しぶりに賑やかな町を歩くルーファスは大変ご機嫌なようで、別荘内では聞かない明るい声をしていた。対してバーナデットは、暗い表情で頭を抱える。


 【ラスボーン公アーノルド、王室の宰相に任命間近】の記事が一面を飾った号外が出されてから二日後。

 バーナデットとルーファスは、王都を訪れていた。

 バーナデット一人であれば転移魔法を使い、即日王都に戻ることが可能だったが、魔力を封印されたルーファスを同行させるため、馬車での移動を余儀なくされたのだ。


「そう項垂れるな。交渉は成立しているのだから、俺も計画のために動く。当然だろう」

「それはそうですが……貴方には切り札として動いて欲しいのです。切り札は、ここぞという時に使わなければ意味がありません」

「だが、ここぞというタイミングが計れないのであれば、ただの紙切れだ。今は気にすることではない。それよりも、アーノルドの目的を明らかにする方が先だろう」

「そう、ですね」


 バーナデットとルーファスが強く疑問に思っていることは、二点あった。


 一点目、ラスボーン公爵家現当主でありながら、王家の宰相を職務として掛け持ちしようとしているのは何故か。

 国内で王家の次に権力を持っているラスボーン公爵家前当主には、五人の息子と一人の娘がいる。長男は件のアーノルド。四人の弟たちは、婚約もしくは婚姻を理由に家を出ていた。結婚相手は近くの国の姫や爵位の高い貴族令嬢だ。そして、末の妹であるアリシアは、王国内のイアン王子と婚約関係にある。一ヶ月後にはアリシアが十七歳の誕生日を迎え、成人となるため、法的な婚姻が交わされるはずだ。

 現状でも何不自由ない地位を持ち、王家やその周辺諸国とも強い繋がりを保てる状態となっている。今更、宰相という仕事を増やす理由が分からないのだ。


 二点目、ルーファスが邪魔だった理由は何か。

 次期王妃の座をアリシアとするために、ルーファスの婚約者であったバーナデットが邪魔だったのは理解出来る。しかし、ルーファスまで切り捨てる必要はなかったはずだ。そうなると、次期国王がイアン王子である方が、アーノルドの計画にとって都合が良い理由があると考えられる。

 ルーファスは、『俺の輝きが眩し過ぎて、己が霞んでしまうからだろう』とドヤ顔をしていたが、そんな理由ではないだろう。アーノルド自身は、出来る限り目立たない行動をとっている。むしろ、目立ちたがり屋のルーファスの方が、行動しやすかったのではないだろうか。


 うーんと考えを巡らせながら歩いていると、足元の段差につま先が引っかかり、前へと体が傾いた。転ぶ、と身を固くしたところで、右腕を掴まれ、後ろに強く引っ張られる。ポスン、と筋肉質な胸板に後頭部が触れた。見上げると、ルーファスが呆れたようにバーナデットを見下ろしている。


「おい、歩きながら考え事をするな。転ぶぞ」

「すみません。ありがとうございます」

「怪我でもされたら、今後の行動に支障が出るだろうが」

「ええ、そうですね。以後、気を付けます」


 あまり反省の色が見えないバーナデットの声色に、ルーファスはわざとらしい大きなため息を吐いた。その息が耳の辺りに掠めたのがくすぐったくて、バーナデットは身を捩る。掴まれている右腕をブンブンと振り、離すように催促をすると、ルーファスはやれやれという顔で手を離した。


「それで、どこに行くつもりなんだ? お前も、王都での情報収集は初めてではないだろう?」

「はい。今回は、我が侯爵家とは繋がりの薄い伯爵家を回ります」

「ん? それでは、信用の出来る情報を得られないのではないか?」

「その通りです。ですが、今回は正しい情報が欲しいのではなく、アーノルド様が何を企んでいるのか、という糸口を探すことが目的です。だからこそ、アーノルド様の息がかかっていることが濃厚そうな相手に接触したいのです」

「なるほどな。わざわざ貴族会議に参加資格のある伯爵家の中から、更に王家勤めがいる家を絞り出していたのはそういうことか」

「はい。そして、今回の服装にも理由がございます」


 バーナデットは、自分の格好とルーファスの格好を交互に指差した。ルーファスの視線がその指に合わせて動く。バーナデットの服装は、いわゆる貴族服。いつもの男姿へと変身し、普段以上に身なりを整えてきた。その隣を歩くルーファスの服装は、ローマンが着用している執事服だった。常用している魔法薬で姿を変え、別荘ではだらしなく垂れていた前髪を全て後ろに流して固めている。


「私たちは、王国の端に住む貧乏伯爵家当主とその執事、という設定です。『領地が隣接しているレヴィル侯爵家配下の伯爵家が力を付けてきたため、経営が上手くいかず困っている。何か利益に繋がるようなことがあれば力を貸してほしい』と聞いて回ります」

「そんなことを聞いて、素直に教えてくれる奴がいるのか?」

「それはやってみなければ分かりません。ポロリと漏らす阿呆がいれば儲けもん、というだけの話です。ほら、また私の横に並んでいる。主より前を歩かないでください」

「あ、ああ。こちら側をするのは初めてだからな。どうも慣れない」


 バーナデットの指摘を受け、ルーファスは一歩後ろに下がった。二本足で立てるようになってから二十年以上、己の赴くままに先頭ばかりを突っ走ってきたルーファスだ。そこに戸惑いを感じるのも分からなくもない、とバーナデットは思った。


「……訪問先の伯爵家ではお気を付けください」

「分かっている」

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