第19話 元殿下の提案

「なに、提案と言っても難しいことではない。アーノルドへの復讐は俺にやらせろ、というだけだ」


 提案、というよりは、命令とも取れる声で、ルーファスは言い放った。バーナデットの眉の間には、濃い影が降りる。


「お断りいたします。ルーファス様、ご理解ください。貴方を使う気はあっても、お任せする気は一切ございません」


 ルーファスの提案を一刀両断するかのように、バーナデットは僅かに声を荒らげて言い切った。ルーファスは、背もたれに預けていた体を前へ起こし、確かな意志の宿る菫色の瞳を見つめる。


「理解すべきなのはお前だ、バーナデット。お前に復讐なんてものは出来ない」

「は?」


 たった一文字にこれだけの怒気を孕むことが出来るのか、と思うほど重々しい声が、ルーファスの鼓膜を揺らした。バーナデットの切れ長の目が、更につり上がっているように感じる。


「全く強欲な女だ。レヴィル侯爵家の名誉回復を望み、身内は全て護りたい。しかし、アーノルドへの復讐もしたいだと? それもたった一人で? ハッ。無謀過ぎて笑えるな」


 ルーファスは、自分を睨み付けるバーナデットから視線を逸らさず、口元に軽やかな笑みを浮かべた。


「そう睨むな。ちゃんと根拠もある」


 ルーファスは自信に満ちた笑みを崩さぬまま、バーナデットの腕に抱かれたノートを引っこ抜いた。パラパラと内容を復習するように軽く目を通しながら、言葉を続ける。


「別荘に移ってからの二年間および俺と再会してからの一ヶ月間。お前は王家とラスボーン公爵家について徹底的に調べ上げた。王都での情報収集もし、俺という駒や手札は沢山用意した。それでも、直接的な行動には至っていない。そうだな?」


 ルーファスがノートから目線を上げると、バーナデットは擦り傷でもいじられたかのように顔を顰めた。


「計画書であるこのノートにも、どのようにして復讐をするか、という具体的な内容までは書かれていなかった。それは、お前に覚悟が足りないからではないか?」

「そんなこと……!」

「ない、と言い切れるか?」


 ルーファスはノートを閉じて、バーナデットと自分を隔てる小さなテーブルの上に置いた。肩幅程度に開いた両膝の上で肘を立て、組んだ手の甲に顎を乗せ、ジロリとバーナデットを睨みつける。

 ほんの少し前まで、自分の意志を貫き通すと決意に漲っていたバーナデットの瞳は、今は左右に揺れ動いていた。


「復讐が新たな復讐を生む可能性は高い。成し遂げた後には、更なる危険が待つかもしれない。そんな風に先のことまで考え過ぎて、あと一歩が踏み出せずにいるのだろう?」

「ち、ちが」

「違わない」


 か細くなったバーナデットの声に被せるように、ルーファスは言葉を乗せる。バーナデットは、ついに合わさっていた視線を逸らし、微かに俯いた。


「だからこそ、全てを失った俺の状況が羨ましい、と言ったのだ。ならば、復讐に関しては俺に任せればいい。お前は、レヴィル侯爵家の名誉回復にだけ努めろ」


 口を閉じ続けるバーナデットの姿に、あと一押し、とルーファスは畳み掛ける。


「お前も知っていると思うが、東洋に伝わることわざに『二兎追うものは一兎も得ず』というものがある。欲を出して同時に二つのことを上手くやろうとすると、結局はどちらも失敗することの例えだ。今のお前では、必ずそうなるぞ。俺が断言する」

「でも、私は!」

「でもじゃない。お前は全てを投げ出そうとした俺に失望した、と言ったな? 俺も、全てを護りたいと言いながら、全てを犠牲にしそうなお前に失望しそうだ」

「……っ」


 バーナデットは、何か反論しようと俯いていた顔を上げ、口をパクパクと動かした。微かに唇から漏れる声を蹴飛ばすように、ルーファスは長い脚を組み直し、ソファーの背もたれへと寄りかかる。


「お前は良い子ちゃん過ぎるんだよ。そして、頑固な上に甘え方を知らない。そのままでいると、嫁いだところで愛想を尽かされるぞ」

「……そちらに関しては、余計なお世話です」


 ムスリと言い返すバーナデットの言葉には、いつものような覇気はなかった。自覚があったのか、それとも他の誰かにも口うるさく言われているのか。珍しく口で勝ったルーファスは、小さく笑い声を上げて喜んだ。

 バーナデットは、ルーファスをキツく睨みつけた後、いきり立っていた肩の力をようやく抜いた。


「お? 提案を受け入れる気になったか?」

「……はあ。悔しいですが、私が口だけの復讐を誓っていたことは認めます」

「ふははっ! そうだろう。俺の指摘は正しいからな!」

「しかし、ルーファス様に復讐の全てを任せる気にはなれません」

「……ん、は、はあ? お前って奴は、この期に及んでまだ粘るのか……」


 ルーファスはガックリと項垂れた。

 一体、この頑固者の頭はどんな鉱石で出来ているんだ。説得を試みるよりも、洗脳魔法を使って誓約書でも書かせた方が早いかもしれない、と思いつつ、魔法が使えない今の自分を呪った。

 次は何処を突くべきか、と思考し始めたところで、バーナデットが口を開く。


「ですから、私も腹を括って復讐に関与いたします。その代わり、レヴィル侯爵家の名誉回復にも、貴方の手を貸して下さい。いえ、強制的に協力してもらいます」

「……ほう。ははっ、なるほどな。それが“妥協案”と言ったところか」

「はい。いかがですか?」


 再び決意の光が灯ったバーナデットの瞳が、真っ直ぐとルーファスの瞳を見据えた。まるで合わせ鏡のように向かい合った瞳には、同じように光が灯る。


「ふっ、良いだろう」


 ルーファスはそう言うとソファーから立ち上がり、バーナデットの座るソファーの傍へと移動した。突然ルーファスが近付いてきたことに、バーナデットの体が強ばったのが分かる。その様子にくすりと笑ってから、手の平を上に向け、ソッと差し伸べた。


「えっと、あの、ルーファス様? 急になんですか?」


 バーナデットは両手を胸の前で握り締め、ソファーに仰け反り、頭上高くにあるルーファスの顔を見上げた。ルーファスはその言葉には答えないまま、差し伸べた手を上下に軽く振る。


「早く手を取れ、バーナデット。交渉成立の証を結ぶぞ」

「いや、それでしたら手の向きがおかしいかと」

「上でも下でも横でも、大した違いはない」

「は、はあ?」

「ほら、早く。手が疲れるだろう」


 そう文句を言いながらもその場を動く気のないルーファスの姿に折れたのか、バーナデットは躊躇しながら、ゆっくりと手を重ねた。重なった一回り以上小さな手は、相変わらず冷たく、かさついているな、とルーファスは思った。


「俺たちは散々踊らされたんだ。今度は奴らを踊らせてやろうではないか」


 重ねられた手を軽く握って、ルーファスはバーナデットを立ち上がらせた。体が突然持ち上がり、バランスがとれずよろけたバーナデットを支えるため、背中に手を回す。すると、バーナデットの体がスッポリと定位置へ収まるのを感じた。今の二人の姿は、社交ダンスのホールドを組んでいるような状態だ。

 婚約者だった時にはこうしてダンスを踊ったものだ、と少し懐かしい感覚を思い出す。


「あの、これだと私たちが踊ってしまいますが?」

「うーん、確かにな。まあ、同じ舞台の上に立ち、アーノルド共を蹴落とすのも良いだろう」


 脳内で、高みの見物をしているアーノルドを背後から蹴飛ばすイメージをして、ルーファスは不気味な笑みを浮かべた。


「ルーファス様。今だから言えることですが、貴方は音楽よりもだいぶ急ぎ足になりがちなので、合わせるのが大変だったんですよ?」

「はあ? それならば、音楽が俺に合わせれば良かっただけだろう」

「いやいや。無茶言わないでください」


 胸の辺りにあるバーナデットの顔が、呆れ果てたように歪んだ。


「まあ、ダンスのリードは男性側とはいえ、今は私の方が上の立場です。リズムがズレようものなら、容赦なく足を踏んで合わせていただきますね。ルー様」

「おい。幼少期に呼んでいたその呼び方はやめろ。なんだかむず痒いだろうが、ナディ」

「うっわ……本当ですね。私もサブイボが立ちそうです。これはやめましょう」


 二人はホールドを組んだまま、顔を見合わせてプッとふき出した。


「交渉成立だ。やるぞ」

「ええ」


 ルーファスは、バーナデットと重ねた手の平から、ジリジリと燃えるような炎の息吹を感じるのだった。

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