第18話 元婚約者の思惑(2)

 逸らしていた視線をルーファスへ向けると、トパーズのような黄色の瞳とぶつかる。口を開かずにいるバーナデットをただ見据えるにしては、強過ぎる輝きを放っていた。まるでスポットライトだ。自分だけがこの部屋の中で、ぽっこりと浮かび上がっているようにすら感じる。


「仰る通りです。私は、ルーファス様から婚約破棄を言い渡された二年前の誕生日より、アーノルド様への復讐を企み始めました」


 あの日から、バーナデットの生活は変わった。いや、自ら変えたというのが正しい。


 婚約破棄の一件がルーファスの思い付きによる衝動的な行動ではなく、アーノルドに仕組まれたものだと睨んだバーナデットは、身の安全のために王都を離れることとした。

 しかし、急に姿を眩ますのは怪しまれる可能性がある。また、名貴族の令嬢であるバーナデットは、社交界やお茶会への誘いも多く、外に顔を出さなければいけない身分だった。そこで『殿下に婚約破棄されたことがショックで体調不良となり、田舎町で療養する』という嘘の理由を周知した。もちろん、正確な療養場所は伏せてある。


 療養という名目で選んだ場所は、レヴィル侯爵家の所有する領地の最南端に位置する別荘。王都から馬車を走らせ続けて丸一日と遠く離れた田舎町だ。

 ここに住む爵位を有する者は、領地の管理を任された侯爵家配下の男爵のみで、アーノルドの息がかかっているとは考えにくい。

 町に入るためには深い森を抜けなければいけないため、万が一追跡をされていても撒きやすいという利点もあった。そんな地形の田舎町へわざわざ訪問する者もいない。訪問者があった際にはすぐに話題になる。田舎町というのは情報が回るのも早いのだ。


「何故、危険を冒してまで復讐をしようとする? 婚約破棄後でも、レヴィル侯爵家の令嬢であれば引く手数多、生活は保証されていただろう?」


 顔を顰めて問いかけるルーファスの言葉に、バーナデットは口元に薄い笑みを浮かべた。その嘲笑を受け、ルーファスの背中が冷たくなる。


「今のルーファス様には分かるのではありませんか? たった一つの傷が致命傷となることが」

「……っ!」


 ルーファスは、自分の身に起きたことを思い出したようで、端正な顔を強ばらせた。顔の黄金比率にピタリと当て嵌る額には、じんわりと脂汗が滲んでいる。


 アーノルドに踊らされたルーファスのせいで、バーナデット個人、というよりも、レヴィル侯爵家は貴族としての看板ブランドに傷を付けられた。一度傷付けられた看板には錆が生まれ、それはみるみる広がっていく。

 いくら王家、公爵家の次に権力を持つ侯爵家といえど、十年以上も前から交わされていたほぼ確約ともいえる婚約を破棄されたとなれば、問題視されて当然だ。


 レヴィル侯爵家は、主に魔法薬や調合前の薬草を市場に卸して生計を立てていた。だが、婚約破棄後、その売り上げは急降下した。あまりにも分かりやすい、世間からの答えだった。

 バーナデットの父と母は、一時的なものだから直に回復する、と優しい声で言った。魔法薬も薬草も生活必需品に等しく、王国でその生産の殆どを担っているのはレヴィル侯爵家だ。その通りだろう。


「それでも私は、悔しくて仕方なかったのです。必ずこの手で、レヴィル侯爵家についた錆を消し去ると決意し、元凶であるアーノルド様への復讐を誓いました」


 バーナデットは、膝に置いた両手を爪が食い込むほど握り締めた。力を込め過ぎて、肩まで震えているような気がする。ルーファスは何も発さず、口を噤んだままだった。


「あとはお察しの通りです。貴方がアーノルド様から切り捨てられたと情報を得て、上手く使えば、ラスボーン公爵家に大きな傷を付けることが出来るかもしれない、と考えました。だから、貴方をこの別荘に連れてきたのです」


 バーナデットは握り締めていた手の力を抜いて、静かに視線を上げる。菫色の瞳に射抜かれたトパーズの瞳は、微かに揺れ動いた。


「ルーファス様。私は森で貴方を救った時、心から失望いたしました。貴方は抗うこともなく、命を投げ出そうとした。何故です?」

「そ、れは……」

「後ろ指を指される惨めな人生を送りたくなかったから。そうでしょう?」

「……」


 図星だったのか、ルーファスはバーナデットの瞳から逃げるように視線を逸らした。言い訳も出来ず、少しだけ縮こまった大きな体を見て、ふっと笑みを零す。


「私は貴方の状況が羨ましかった。一人になり、全てを失ったのなら、護るものも無くなったはず。ある種、身軽で自由だったのですよ」


 困惑の色を顔に浮かべながら目を白黒させるルーファスへ、バーナデットは再び笑いかけた。


「何もかも恵まれているからこそ、護らなければいけないものも多い。全てを投げ打って逃げ出すなんてことは、私には出来ません」


 惨めな薄笑いが強張っているのを感じる。今のバーナデットにとって、これが満面の笑みと等しいものだった。


「……ああ、そうか。なるほどな」


 ルーファスは、バーナデットの表情とは真逆の力を抜いた微笑みを浮かべた。つい先程までの困惑の色はもう何処にもなく、腑に落ちた、というようなスッキリとした顔をしている。


「お前は真面目だな」

「それだけが取り柄ですから」

「少し肩の力を抜け。一人で抱え込み過ぎだ。復讐については、使用人たちにも話していないのだろう?」

「はい。この蔓延る想いは私だけのもの。彼らにまで押し付ける気はありませんから」

「そうか。なら、この俺が受け持ってやろう」


 ルーファスの自信に溢れる顔を見て、バーナデットはポカンと口を開けた。二年前の誕生パーティー時には堪えることが出来たが、自室では気も口も緩んでいたようだ。ルーファスの突拍子もない発言に、表情を引き締め続けることが出来なかった。


「あ、あの、話を聞いていましたか?」

「無論、聞いていた」

「私は、誰かに押し付ける気はないと言ったのですよ?」

「そうだな。だが、押し付けられるのではなく、進んで受け持つのであれば問題ないだろう」


 ルーファスが高らかに、ふふん、と鼻を鳴らす。これは、彼お決まりの自信過剰、猪突猛進コースに突入しそうだ。ここで拒絶するような言葉を並べて止めることも出来るが、このまま話を聞くよりも余計に労力を使うだろう。そう思うと止める気にもなれず、バーナデットは話の続きを促すことにした。


「……何かお考えがあるようですね」

「ああ。俺から提案がある。安心しろ、お前に損はさせない」

「分かりました。お聞かせください」


 バーナデットが一つ頷くと、ルーファスは綺麗に並んだ白い歯をチラリと覗かせて、奇妙な笑みを浮かべるのだった。

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