第17話 元婚約者の思惑(1)

 ――ジリリリ、ジリリリ。


 夜の静けさを切り裂くように、部屋のベルが鳴り響いた。バーナデットとシシリーは驚いて顔を見合わせる。

 バーナデットは湯浴みを終え、寝る前の楽しみであるシシリーとの会話を楽しんでいた。女同士の話には花が咲くもの。気付けばすっかり遅い時間になっていた。他の使用人も、とうに寝る支度を終えた頃だろう。こんな時間にベルが鳴るとは、二人とも思っていなかった。


「あの、バーナデット様。私が出ましょうか?」

「いや、私が出るわ。私の部屋だもの」


 バーナデットは、不安気に見つめるシシリーへと笑いかけ、ベッドの横にある受話器を手に取った。


「バーナデットか」


 こちらが声を発する前に、通話先の相手が口を開く。その声の主に驚き、一瞬、息を呑んだ。


「ルーファス様。こんな夜更けにどうされました?」

「ええっ! ルーファス様ですか!」

「ちょっと! シシリー、しっ!」


 ベルを鳴らした相手がルーファスだと分かった瞬間、シシリーが大声を上げる。思ったよりも大きな声を上げたことに自身でも驚いたのか、バーナデットが咎めた時には既に口を抑えていた。


「なんだ、シシリーも一緒だったのか」

「はい。丁度、寝る支度を整えていたところでして」


 シシリーの大声はルーファスにも届いていたようだ。女同士で談笑していた件は伏せて伝える。ルーファスは少し迷いを含んだ声で、そうか、と呟いた。


「急用ですか?」

「……ああ」

「明日では都合が悪いのでしょうか?」

「そうだな。今すぐ話したい」


 いつになく真剣なルーファスの声色に、バーナデットは戸惑った。彼の性格からして、普段ならベルも鳴らさずに部屋へ突撃して来ただろう。しかし、今回は事前に連絡を寄越している点からして、重要な話だと考えられる。


「分かりました。ひとつご相談なのですが、シシリーを同席させてもよろしいでしょうか?」


 お互いに成人済とはいえ、婚約関係でも恋人関係でも無い、赤の他人である男女が部屋に二人きりで、それも夜更けに会うのは、あまりよろしくない。王都から遠く離れ、周辺にも人の影はなく、別荘内も信頼のおける使用人しかいないとしても、だ。


「……いや、二人きりがいい」


 考えを巡らせたような僅かな沈黙の後、ルーファスはバーナデットの提案を却下した。バーナデットは文字通り、頭を抱える。

 ルーファスの犯した大罪は色欲関連だ。アーノルドに嵌められた無実の罪とはいえ、火種となりそうなことは、出来るだけ排除したいと考えていた。


「このまま通話で、というのも都合が悪いのでしょうね」

「出来れば、実物を見て話をした方が良いと思っている」

「実物?」


 瞬間、バーナデットの頭に閃光が走った。

 そんなまさか、と思いながらも、確信に近い嫌な予感が胸の辺りでうごめく。


「分かりました。お待ちしております」


 バーナデットは、ルーファスの申し出を受け入れ、受話器を置いた。シシリーが赤く染めた頬を両手で挟み、期待を込めたようなキラキラとした瞳でこちらを見つめている。


「も、ももも、もしかして、ルーファス様からの夜のお誘いですか……?」

「まさか。話したいことがあるそうよ」

「で、では、愛の告白の後に……!」

「だから、違うってば」


 全くこの恋愛脳め、とバーナデットはげんなりした。否定の言葉はシシリーには届いていないようで、向けられる視線には未だに期待が込められている。


「ふふふっ! では、お二人の逢瀬を邪魔したくないので、私は退散いたしますね!」

「はいはい。おやすみ、シシリー」

「はい! おやすみなさい」


 シシリーは手早く支度を整え、部屋を出ていった。扉を出るその瞬間まで、彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべたままだった。



 ◇◆◇



「どうぞ、お掛けください」

「ああ」


 シシリーが去ってから間も無く、ルーファスがやって来た。神妙な面持ちのルーファスを見れば、シシリーの期待していたようなことは無い、と確信を持つ。

 本家の自室には、ベッドルームとは別にリビングルームも備わっているが、生憎この別荘は狭く、ベッドルームのみだ。部屋の中心にある背の低いソファーへと案内し、小さなテーブルを挟んで向かい合って座る。

 魔法薬の効果が切れ、素の姿となったルーファスと向かい合うのは久しぶりだった。少し頬が痩けただろうか。ここに来て一ヶ月が経ったとはいえ、心から休まる暇はないのかもしれない、とバーナデットは思い煩う。


「無理を言ったな」

「いえ。それで、急用というのは?」

「ああ。このノートについてだ」


 ルーファスは、不自然に背中へ隠していた手を前に戻し、一冊のノートをバーナデットへ差し出した。バーナデットはそのノートを受け取り、諦めたように目を伏せる。


「やはり、そうでしたか。見つかってしまったのですね」

「今日、資料庫の掃除をしている時に偶然な」


 自分の詰めの甘さが腹立たしい、とバーナデットは心の中で嘆いた。

 自室だとすぐに資料との照合が出来ないため効率が悪く、頻繁に持ち歩けば使用人に見られやすいと思い、資料庫に隠していたのだ。見つかりにくくするために、日によって隠す場所は変えていた。

 それなのにまさか、別荘に来て日の浅いルーファスに見つかってしまうとは。


「その様子ですと、ノートの中も読まれたようですね」

「ああ、読んだ」

「……そうですか」

「よく書かれている“計画書”だった」

「評価いただきありがとうございます」


 出来るだけ感情を出さないように、ルーファスからは視線を逸らしたまま抑揚のない声で答える。

 資料庫のほんの一角とはいえ、共有スペースに置いたままにしたのは間違いだった。別荘に連れてきた使用人たちは、仕事が出来る人物ではあるが、感覚派の人間ばかりで、書物を読むことは得意ではない。例え見つかったとしても、細かい文字でビッシリと書かれた書物を読む人物はいないだろう、と思い込んでいた。

 ルーファスの口ぶりだと、書いてあった内容を理解し、評価出来るほど読み込んだということだろう。スタートが遅いだけでやり始めたら人並み以上に出来る、とルーファスを評価していたのをすっかり忘れていた。


「この一ヶ月、ハッキリしないことがあった。お前が俺を助けた理由について、だ」

「……」

「思慮深いお前が、かつての婚約者としてただ情けをかけたとも、二年前の仕返しに扱き使おうとしたとも思えない。何か他に考えがある、とは思っていた。まあ、日々仕事に追われ、思考する暇も無かったが」


 ルーファスは肩をすくめて、自嘲気味に笑った。形のいい眉が八の字を描く。


「ノートに記載された計画を見て、納得した。お前の目的は、アーノルドの計画を阻止することではない。だな」

「……」

「そして俺は、復讐に必要なだ。そうだろう?」

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