第16話 公爵様と操り人形
夕日が闇に飲まれる頃。
アーノルド・ユーバンク・ラスボーンは自室のチェアに腰掛け、デスクに置いてあるカレンダーへ目をやった。
妹であるアリシア・ベル・ラスボーンが十七歳の誕生日を迎えるまで、あと二ヶ月。やっと、王家の人間と法的な婚姻を結ぶことが出来る。
──コン、コン、コン。
アーノルドが王都新聞の記事に目を通していると、控えめに扉が叩かれた。
「アーノルドお兄様。アリシアです。ただいま戻りました」
「入りなさい」
「はい。失礼いたします」
アリシアは、外出用の綺麗なドレス姿のまま部屋に入ってきた。水魔法を代々受け継いでいるラスボーン公爵家の令嬢らしい、青を基調にした涼やかなドレスは、アリシアの白い肌によく馴染む。
「おかえり、アリシア。なんだ、着替えてこなかったのかい?」
「はい。部屋に戻ると眠たくなってしまうので、先にご報告を、と思って」
アリシアは昔からよく眠る。原因を調べたところ、小さな体にそぐわない量の魔力を持っているからだ、と医者である魔術師は言った。そのせいで体力の消耗が激しく、眠って体力を回復しようとしているらしい。魔法薬の服用により日中は起きていられるようになったが、一度眠ってしまうと、その後数時間は目が覚めないことも多々ある。
「そうか。では、紅茶を運ばせよう。ソファーに掛けなさい」
「ありがとうございます、お兄様」
アーノルドは、部屋に備え付けられている受話器を取り、紅茶を用意するように指示を出した。アリシアは、向かい合った二人掛けのソファーに腰掛けた。アーノルドもその向かいに座る。
「さて、今日の城での様子はどうだった?」
「特に変わりはございませんでした。王様も王妃様も、わたくしとイアン殿下の婚姻発表を楽しみにされております」
「順調そうだね」
アリシアは、イアンとの婚姻発表に向けて定期的に城へ通っている。アーノルド自身も城へ足を運ぶことはあるが、公爵家当主としての仕事もあるため、アリシアの頻度と比べると少ない。協力関係という名の支配関係にある王家勤めの者から話を聞くこともあるが、国王や王妃、イアンとリスク無く接することが出来るのは、アリシアだけだ。そのため、城へ行った際には報告をさせている。
「お兄様。わたくし、お力になれていますか?」
「もちろんさ。アリシアのおかげで、ここまで来れた。感謝しているよ」
「嬉しい。良かった」
にっこりと微笑みを浮かべるアリシアの顔は、花のように美しい。大半の男は、この笑顔だけで心を鷲掴みにされてしまうだろう。事実、そうして利用した男たちもいる。流石に王国の王子二人は、そう簡単にはいかなかったが、結果としてみれば成功しているから問題はない。
「お兄様の仰っていることは、いつも正しいことですもの。わたくしは、その通りに動いているだけ。そうしたら、みんな笑ってくださるの」
「ああ、そうだね」
アリシアは、見た目だけでなく中身も人形のような妹だった。
ラスボーン公爵家に産まれたたった一人の娘。父からも母からも四人の兄からも可愛がられて育ち、至極美しい娘へと成長した。だが、分散されることのなかった重すぎる愛を一身に受け、完璧な娘として育て上げられたアリシアには、意思がない。指示されたことは完璧に遂行出来るが、自分で考えて行動を起こすことは出来ないのだ。
だからこそ、アーノルドにとっては都合が良かった。
ラスボーン公爵家が王家と今以上に深い関係を結ぶのなら、王子との婚約が一番手っ取り早い。一度は法律によって阻まれてしまったが、月日が経ってから別の相手と婚約を結び直すことは禁じられていない。但し、王子本人が現在の婚約を破棄する必要がある。
そこで当時、王位継承権第一位だったルーファス・バリー・ゲイガンハートに取り入った。
ルーファスは単純な男だった。家柄や血筋をはじめ、ラスボーン公爵家と婚約した時のメリットについても語りはしたが、結局食い付いたのはアリシアと並んだ時の見た目のバランス。自分自身をより美しく見せられるか否か。その点、アリシアは文句なしだったらしい。
二つ返事でバーナデット・フォン・レヴィルとの婚約を破棄し、アリシアと婚約することを誓った。自分が罠にかけられたとは、気付いていない様子だった。
「イアン殿下はどんな様子だった? 関係は良好かい?」
「はい。今日は庭園を共に散歩したのですが、ずっと微笑みながら、わたくしの歩調に合わせてくださいました。相変わらず物静かでお優しい方です」
「そうか。楽しかったようで何よりだ」
イアン・アトキン・ゲイガンハートもまた、アリシアのように人形のような男だった。
顔はルーファスと瓜二つでさっぱりとした短髪姿なため、活発な人間だと思われがちだが、いざ向き合ってみると、そんな人間ではないことがすぐに分かる。兄とは対称的な、常に自信なさげに揺れ動く瞳と縮こまった猫背。口調も柔らかく、目下の相手にも敬語で接していることが多い。自信満々で言いたいことをはっきりと言う兄の下にいたせいか、反射的に頷く癖がついているようだ。意見を聞いても、反対意見を言われたことはない。
この男も、アーノルドにとって都合の良い男だった。
アーノルドは、ルーファスをそのままアリシアと結婚させることも考えていた。しかし、ルーファスは自己陶酔こそしているが、まるっきりの馬鹿ではない。使おうとすれば使えるだけの頭脳は持っているし、根拠が薄い論理でも周りを認めさせるだけのカリスマ性が強すぎる。洗脳魔法で操るのも手だったが、ルーファスは魔力が強い。上手く魔法がかからない可能性もあり、リスクは上がる一方だ。だから、早々に糸を切って退場してもらった。
思えば、バーナデットは賢い女だった。
婚約破棄を言い渡された後、舞台から引き摺り下ろされる前に、自ら幕を閉じた。バーナデットが反抗する動きを見せようものなら、あらゆる力を行使して一族そのものを抑え込むことが出来た。だが、バーナデットは全てを受け入れた上で対処した。レヴィル侯爵家としての活動を鎮静化させ、王家との距離を置き、バーナデット自身は王都から姿をくらました。ラスボーン公爵家としては、二大貴族のレヴィル侯爵家に、明確な理由もなく踏み込むことは出来ない。彼女は、一族の安全も自身の安全も護ってみせたのだ。
何かに利用出来るよう繋ぎ止めておくべきだったか、とも思ったが、アーノルドに必要なのは容易く動く人形。そして、万が一計画が失敗した時、表舞台で犠牲になってくれる役者だ。バーナデットは賢すぎて、どちらにも当てはまらない。
「ねえ、お兄様。お兄様の言う通りにすれば、この王国はもっともっと大きくなるのよね? そうしたら、資源もお金も増えて、笑顔の人もたくさん増えるのでしょう?」
アリシアが運ばれてきた紅茶と茶菓子を楽しみながら言った。質問もしていないのに、自分から話し始めることは珍しい。何かあったのだろうか、と顔を窺ってみたが、いつもの邪心の欠片もない無垢な表情を浮かべているだけだった。
アリシアの語ったことは、嘘でも本当でもない。半分ずつぐらいの理想論だ。
「ああ、そうだよ」
アーノルドは優しく笑いかけて肯定する。アリシアの顔がパアッと花開くように明るくなった。
「わたくし、そんな幸せな王国の王妃様になれるだなんて嬉しいわ」
「アリシアなら、きっといい王妃になれるさ」
「はい。わたくし、精進いたします」
「ああ。それじゃあ、今日はもう部屋に戻って休みなさい。明日からまた王妃教育があるからね」
「はい。お兄様、おやすみなさいませ」
「おやすみ、アリシア」
アリシアは、アーノルドに言われるがまま、飲みかけの紅茶も食べかけの茶菓子もそのままにして、部屋を出た。笑顔でその背中を見送る。扉が閉まるのを確認して、アーノルドは脚を組んだ。
「あと少し」
冷め切った紅茶を啜り、ほくそ笑む。舌に残るえぐみでさえも、今のアーノルドには甘く感じた。
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