第6話 酔っ払いに突き飛ばされた日(3)

 ルーファスとアリシアが去った後のパーティー会場は、息をするのも苦しいほど重たい空気に包み込まれていた。

 バーナデットは、招待客のほとんどより身分が高い。触らぬ神に祟りなしと言うように、皆一様に視線を逸らしていた。

 その空気を変えるため、バーナデットは手を二回叩く。パンパン、と乾いた音が空気を裂いた。


「皆様、ご歓談のお時間を奪ってしまい、大変失礼致しました。残るはダンスタイムのみとなります。最後までどうぞお楽しみください」


 柱の前で立ち尽くしていたローマンに手で指示を出し、音楽隊へダンスタイムの曲を奏でさせた。会場に段々と響き渡る音楽に背中を押され、招待客たちはおずおずとダンスを始める。

 バーナデットはその様子を確認してから、会場を後にした。


「お嬢様……!」


 珍しく焦った様子でローマンが追い掛けてくる。


「大丈夫よ。王妃の椅子にしがみつきたかったわけでも、ルーファス殿下を愛していたわけでもないから」

「ですが」

「王妃としての役割は大きく分けて二つ。妻として王の後継者を産み、王族の血を後世に残すこと。国母として国民の手本となり、希望となること。どちらも、アリシア様なら問題ないわ」


 強がっている訳ではない。バーナデットの本心から来る言葉だった。

 それでも、ローマンの顔は自分よりも辛そうに歪んでいる。優しすぎる執事にバーナデットはそっと微笑んだ。


「そんな顔しないで、ローマン。まあ……そうね。十一年間、積み重ねてきたものが全て無駄になってしまったのは悔しいわ」

「お嬢様が努力されて来たことには、何一つ無駄なものなどございません。どこに出しても恥ずかしくない、とても聡明で素敵なご令嬢レディーになられました」

「ふふっ。ありがとう」


 ふと、廊下を進む足を止めて視線を窓の外へ向ける。

 澄み切った青空によく映える白亜の城が、いつもと変わらず佇んでいた。国王たちの暮らす城は高台に建っており、この王国内のどこからでも拝むことが出来る。

 今はその姿が少し憎らしい。


「ねえ、ローマン。一つ、気になることがあるの」

「気になること、ですか?」

「ええ。殿下は『なかなかラスボーン公爵家との予定が合わなくてな』と仰っていたでしょう?」

「はい。そのように記憶しております」

「おかしいと思わない? なかなか予定が合わなかったのに、何故わざわざ、?」


 ローマンは目を丸くして息を呑む。


「殿下は自分の都合しか考えていない。だから、婚約破棄を宣言出来るのなら、いつでもどの場所でも良かったのでしょう。でも何故、ラスボーン公爵家は今日を指定したのか。確か、招待状を送った当初は“出席”と返事が来ていたわね?」

「はい。しかし本日の朝、“急用が出来たため欠席する”と魔術電報をいただきました」

「そう、それがあまりにも不自然なのよ。まるで、私がより大勢の前で恥をかくようにと派手な舞台を用意したような……」


 バーナデットは眉間に皺を寄せ、壁に寄り掛かった。顎に手を当てて、うーんと唸り声を上げながら考え込む。


「そういえば最近、ラスボーン公爵家の当主が変わったのよね?」

「はい。先代当主の長男、アーノルド・ユーバンク・ラスボーン様が引き継がれたと聞いております」

「アーノルド様、か。冷気すら感じるという怜悧な頭を持った水の貴公子ね」


 アーノルド・ユーバンク・ラスボーンは、ひょろりと背の高い男だったはず、とバーナデットは脳裏に姿を思い浮かべた。深海のような薄暗い紺色の髪は肩までの長さで、顔の横に流すように一つに束ねられている。紅に染まる瞳は細く吊り上がり、辺りを切り裂くような鋭さが感じられた。

 しかし、これ以上のことを思い出そうとしても、接する機会の少なさから、追加出来る情報は無い。バーナデットは思考を放棄して、ガックリと肩を落とした。


「夜会で数回見掛けた程度の記憶しかないから、よく分からないわね……」

「あまり表舞台に顔を出す方ではなかったように思います」

「次期当主だったというのに不思議なものね。バンバン顔を出しまくる次期国王とは正反対だわ」


 バーナデットの皮肉めいた言葉に、ローマンは思わず吹き出した。ちらりと視線を向ければ、すぐに口元を覆って咳払いをし、失礼、と一言呟く。


「お嬢様、ミゲルを使いますか?」

「ええ。そうしましょう」


 バーナデットは、姿勢を正して歩み出した。これからきっと忙しくなる。まずは父と母に事情を説明しなければ、とバーナデットは深いため息をついた。


「やっぱり最後に殴っておくべきだったわ」


 その小さな後悔の呟きは、自分の足音に掻き消されるのであった。

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