第5話 酔っ払いに突き飛ばされた日(2)

 ダンスホール全体に響く、迷いのない無駄に通った声だった。ルーファスは、ざわめく周囲の声が全く気にならない素振りで娘の腰を抱き直してから、ホールの中心へと歩みを進める。

 娘は透き通るような水色のふんわりとした髪を靡かせ、ルビーのように輝く瞳を細めた。とろけるような微笑みは、庇護欲を掻き立てるような愛らしさを滲ませている。

 バーナデットは、その娘を知っていた。

 娘の名は、アリシア・ベル・ラスボーン。十一年前、法律の壁に阻まれ、ルーファスと婚約関係を結ぶことが出来なかった公爵令嬢だ。

 口がだらしなく開きそうになるのをグッと堪え、ふんぞり返るルーファスと彼に密着するアリシアへ歩み寄った。


「ごきげんよう、殿下、アリシア様。本日は、わたくしの誕生パーティーにお越しくださり、誠にありがとうございます」


 まずは、冷静にならなくては。

 バーナデットは、その身に叩き込まれたカーテシーを披露し、深呼吸と共に体を戻した。ルーファスとアリシアは挨拶を返す気もないようで、ピクリとも動かない。


「ところで、殿下。先程のお言葉は、パフォーマンスの一部でしょうか?」

「そんな訳ないだろう。私は本気だ」


 さも当然、という真顔のルーファスに、バーナデットは頭を抱えたくなった。常に一緒にいたわけではないが、この十一年間それなりに同じ時間を過ごして来たはずだ。それでも、この男の行動は訳が分からなかった。

 必死に笑顔を作り、感情が声に乗らないように注意しながら言葉を紡ぐ。


「恐れ入りますが、婚約破棄の理由をお伺いしても宜しいでしょうか?」

「私の優れたこの容姿と釣り合うのが、そばかす面のお前ではないからだ」

「それだけ、ですか?」

「立派な理由だろう」


 偉そうに鳴らすその高い鼻をへし折ってやりたい、という衝動を理性で押し付けた。

 確かに自分の容姿は、ルーファスと釣り合うようなものではないだろう。女にしては高い背丈、骨張った体。魔法薬の材料である薬草を育てているため、手は荒れ気味で肌も浅黒く焼けていた。そんな自分よりも、アリシアと並んだ方がお似合いなのは至極理解出来る。

 だが、王妃とは容姿だけが重視されるものではないはずだ。しかし、下手に反論をして機嫌を損ねてしまえば、それこそ取り返しのつかない事態になるかもしれない。どうやって意見を述べようか、と頭を回転させる。


「はい、殿下の仰る通り立派な理由の一つだと思います。ですが、婚約破棄となりますと家々にも関係する重大なお話です。国王陛下や王妃殿下は既にご存知なのでしょうか?」

「いいや、まだ話していない。なかなかラスボーン公爵家との予定が合わなくてな。今日、これから伝えるつもりだが……なんだ、文句でもあるのか?」

「いいえ、文句などございません」

「だろうな」


 ルーファスは、眉間に皺を寄せて睨みつけてくる。睨みつけたいのはこっちの方だ、とバーナデットは思った。


「そもそも、だ。かねてより、その生意気な瞳や淡々とした可愛げのない態度も気に食わないと思っていた。お前のような女が婚約者なのは実に屈辱で息苦しかったのだ」

「……申し訳ございません」


 バーナデットは頭を下げて詫びる。もう全ての感情が顔に出てしまいそうだった。押し留めようと踏ん張るほど無駄な力が入り、微かに声と肩が震えた。

 ルーファスにはその姿が泣いているよう見えたようで、満足そうにまた鼻を鳴らす。


「ふっ、泣くだなんて可愛いところもあったではないか。まあ、この私にフラれたのだから当然か!」


 そこでお得意の高笑い。

 悔しさと怒りで本当に涙が出そうだった。一言でも発そうものなら、気持ちと共に溢れてしまうかもしれない。そう思ったバーナデットは、黙りを決め込むことにした。下がったままの頭に向かって、ルーファスは畳みかける。

 

「レヴィル侯爵家の令嬢だからと丁重に扱ってきたが、お前との縁もここまでだ。この婚約破棄をもって新たに、アリシア・ベル・ラスボーンと婚約を結ぶこととする!」


 きっとこの男は、浮遊するような高揚感に浸っているのだろう。何も言い返してこないバーナデットの姿にも、全て許される自分の姿にも満足して。

 ああ、そうか。

 バーナデットの頭の中で、一つの結論が出される。

 ルーファスの酔いは全く覚める様子を見せていない。年を重ねても何一つ問題は解決しなかった、ということだ。むしろ、悪化の一途を辿っているとさえ感じた。


「用はそれだけだ。正式な婚約破棄および手続きについては、追って連絡する」

「……承知致しました。ご連絡をお待ちしております」


 バーナデットは下げ続けていた頭を上げて、ルーファスを見据えた。ルーファスはバーナデットの顔を一瞥すると、アリシアに合図を出して踵を返す。


「ルーファス殿下、アリシア様。最後に一言だけよろしいでしょうか」


 扉を出ようとした二人の背中に声を掛ける。


「許す。言ってみろ」

「お二人とも、どうぞ末長く御幸せに。一人の国民として、心よりお祈り申し上げます」


 もう一切震えていない声で祝福の言葉をかけ、カーテシーで二人の姿を見送った。

 公の場においての礼儀作法は、カーテシーに始まりカーテシーに終わる。散々指導された言葉だ。気持ちは色んな想いで絡み合っているが、体は流れるように動いた。

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