第4話 酔っ払いに突き飛ばされた日(1)

 ――約二年前。

 バーナデット・フォン・レヴィルは、十六歳の誕生日を迎えた。


「あんなに小さかったお嬢様も、あと一年で成人とは早いものですね」

「そう? 私はとても長かったように感じるわ」


 バーナデットは苦々しい顔をして、執事のローマンが用意した紅茶を啜った。


「ルーファス殿下の婚約者となってからは、王妃教育の日々でしたものね」

「ええ。貴方にも相当しごかれたわね」

「それも務めですので」


 ローマンは、初老らしく皺が刻まれ始めた顔を更にしわくちゃにして微笑んだ。バーナデットもつられて顔を綻ばせる。


「私とルーファス殿下が出会って、もう十一年か」


 バーナデットとルーファスが婚約を結んだのは十一年前。バーナデットが五歳、ルーファスが十歳の時であった。初めて顔を合わせた日のことは、今でもよく覚えている。


『美しい俺の活躍を一番近くで見ることが出来るとは、この国一番の幸せ者だな!』


 開口一番のルーファスの言葉だ。バーナデットは、とんでもない馬鹿が来た、と思ったが、もちろん口には出さなかった。ハリのある高らかな声は自信に満ち溢れ、ふふん、と鼻息を撒き散らす音がうるさかったのを覚えている。


「ルーファス殿下らしい第一声でございましたね」

「……そうね。私はすごい不安に駆られたけれど」


 二人の婚約は、親達が勝手に決めたものであった。政略結婚が主流である王族、貴族の血筋に生まれた運命さだめとも言えるだろう。

 王位継承権第一位であるルーファスの婚約者は、この国における二大貴族から選ばれることが決まっていた。

 一つ目の候補は、王族に連なる血筋を持つラスボーン公爵家。

 二つ目の候補は、古くからの付き合いがあり、王家への貢献度が高いレヴィル侯爵家。

 どちらの家にも令嬢が産まれていたが、選ばれたのはレヴィル侯爵家のバーナデットだった。その理由には、将来への確約が取れるように、と定められた法律が関係している。


【王族の人間が婚約を結ぶ際には、王位継承者が十歳を迎えた時点で、婚約相手が五歳を越えていること】


 諸外国との戦争が終わり、国の情勢は平和を取り戻しつつあるが、まだまだ子供の生存率が低い。五歳を無事に迎えられる子供は、生まれた子供のうち約六割ほどであった。

 ルーファスが十歳を迎えた時点で、ラスボーン公爵家の娘は四歳。そのため、法律に違反しないバーナデットが選ばれたのだ。

 婚約者となったバーナデットは、文字通り血の滲むような努力をした。王妃教育は決して甘いものではない。歴代の王妃候補の中には、耐え切れずに逃げ出した令嬢もいると聞く。それでも、バーナデットは必ず最後まで向き合うと決意していた。王妃となり、国母となるためには、必要な苦しみだと考えていたからだ。


「でも、何事もやれば出来る方なのよね」


 ルーファスは、少々不真面目なところはあったが、国王になるための教育はしっかりと受けていた。手を付け始めるまでは時間がかかるが、取り掛かれば要領良く進めていた印象だ。

 問題は、後先考えずに目先のことだけ片付けたがる性格と、生粋の自己陶酔型であること。いずれの問題も、年を重ねれば視野が広がり次第に落ち着くだろう、とバーナデット含め、周りの人間も考えていた。


「おっと、お嬢様。そろそろお時間です」


 ローマンは、ポケットに入れていた懐中時計を取り出してそう言った。

 これからバーナデットの誕生パーティーが開催される。


「そう。それじゃあ向かいましょう」


 バーナデットは、自身に課せられたタスクを頭の中で確認しながら、会場となるダンスホールへと向かった。



 ◇◆◇



 本日の主役であるバーナデットは大忙しだった。代わる代わる訪れる招待客と乾杯を繰り返し、挨拶を交わす。手に持ったグラスに口を付ける暇はなく、ドリンクはすっかり温くなっていた。

 さすがに喉が渇き、少し休憩しようと柱の影へそっと身を隠すと、ローマンが深刻そうな顔で近づいてきた。


「どうかしたの、ローマン。随分と怖い顔よ?」

「お嬢様。お疲れのところ申し訳ございません。お耳に入れたいことが……」

「何かしら?」

「ルーファス殿下がまだお見えになっておりません」


 そういえばそうだ、とバーナデットは思った。

 見た目だけは誰よりも美しく、次期国王という立場のルーファスが現れれば、会場内の主役が一瞬で入れ替わる。その現象が今日の会場では起こっていない。タスク通りに事が進んでいることに違和感を持つべきだった、と顔を顰めた。

 用意した料理も底をつき始め、残すイベントはダンスタイムのみとなっている。バーナデットのダンス相手は、もちろんルーファスだ。


「魔術電報は送ったのでしょう? 返事は?」

「“すでに城を発った”とすぐにお返事をいただきました」

「そう……何かあったのかしら」


 もしかして事故にでも遭ったのだろうか、と冷たい汗が流れた時だった。


 ――バタアアンッ!


 ダンスホールの扉が勢い良く開かれる音が響いた。バーナデットとローマンは、柱の影から飛び出して扉の方へと視線を向ける。そこには、今まさに安否の心配をしていたルーファスが立っていた。


 その傍らに美しい娘を抱いて。


「バーナデット・フォン・レヴィル。私はゲイガンハート王家の名において、ここに宣言する。私、ルーファス・バリー・ゲイガンハートは、お前との婚約を破棄する!」

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