第3話 そして終了

「ええい! 今度はなんだ!」


 覚悟を決めて受け入れ体勢をとっていたルーファスが目を開けると、一人の細身な人間が自分と男の間に立ち塞がっていた。地面には男の握っていた剣が転がっている。先ほどの何かが弾ける音は、この人間が男の剣を弾いた音だったようだ。

 ルーファスに背を向けたままの人間は、振り返ることなく男を見据えている。


「その服装、軍服カ? ということは王国ノ……」

「いヤ、アニキ。あの軍服は、王国お抱えの奴ラとは違いますゼ」


 フードを深く被り、マントを羽織っているせいで分かりにくいが、立ち塞がった人間の格好は確かに軍服姿であった。マントの隙間から覗く肩の装飾は月明かりに照らされて金色に輝いているが、それ以外の部分は漆黒の闇に溶け込んでいる。

 対して、王国の軍服は、王国の象徴色である赤色が眩しいジャケットだ。王都の近くに暮らしていない賊でさえ、全く別物だと一目で分かるほどの違いだった。


「ということハ、手柄を横取りシに来たのカ?」

「まあ、そんなところです。ただ、欲しいのは金よりも命ですが」


 軍服の人間は、右手に握っていた剣を一振りし、間合いを詰めさせないように賊たちを威嚇した。その覇気に当てられ、背後にいるルーファスの体もビクリと震える。


「な、なニィ? 邪魔をするナ!」

「そりゃあ邪魔をしますよ。この男を殺したいと思っているのですから」


 そう淡々と告げると、体を返してルーファスの方を向いた。膝立ち状態のルーファスは、咄嗟に反撃体勢をとることが出来ない。いや、そもそも先ほどまで死を覚悟していたのだ、今更反撃する必要もないのでは、とルーファスは思った。


「はあ。ここまで腑抜けになっていたとは、失望致しました」

「え……?」


 自分が発したとは思えないか細い声の直ぐ後、軍服の人間が剣を振り下ろした。

 ああ、これは死んだ。せめて顔には傷がつきませんように、と祈りながら、身に起こる痛みに備える。


 ──バシャッ。


 そこに感じたのは、痛みではなく液体をかけられた感覚だった。閉じかけていた目を開け、自分の頬に触れてみると、ねっとりと指にまとわりつく赤黒い液体がついていた。

 生温かい。これは、血か?

 喉の奥がヒュッと鳴る。今にも倒れ込みそうなルーファスの姿を隠すように、黒い布が覆い被さった。


「黙ってジャケットを脱いでください」


 考えることを放棄しようとした頭に響いたのは、軍服の人間の声だった。布越しではあるが、息がかかるような近さでそっと囁かれる。


「これ以上、惨めな姿を晒したくないのであれば早く」


 布の上から急かす様に小突かれる。微かに怒気を含む静かな声は、どこか聞き覚えがあった。

 ルーファスは指先を必死に動かし、赤黒い液体がベッタリと付着したジャケットを脱いだ。黒い布の下から丸めたジャケットを差し出せば、軍服の人間がそれを素早く抜き取る。


「戦利品です。それを持っていけば殺した証明になるでしょう」


 軍服の人間は、ルーファスから受け取ったジャケットを賊たちへ向かって放り投げた。賊はそれを受け取って、ニヤリと下品な笑みを浮かべる。


「しかシ、いいのカ。手柄を横取りしに来たンだロ?」

「構いません。それよりも、巻き込まれたくなければ早々にここを立ち去りなさい」

「なニ?」

「後始末をしますから」


 軍服の人間がそう言い放った瞬間、今まで全く火の気がなかった馬車が燃え始めた。木製の馬車を火種とした炎はみるみる大きくなっていく。

 賊の二人組は、飛び跳ねるようにして一目散に逃げていった。その足音が完全に聞こえなくなってから、ルーファスを覆っていた黒い布が剥ぎ取られる。

 月明かりだけが照らしていた周囲は、今や燃え盛る炎にも照らされ、だいぶ明るくなっていた。


「ひと安心、ですかね」


 軍服の人間は安堵感からくる深いため息をつくと、頭からすっぽりと被っていたフードを外した。フードの中に窮屈そうに納まっていた深い緑色の髪が飛び出す。ほどくと背中の中心ぐらいまではあるだろうか。よく手入れされた癖のない髪は一つに束ねられており、頭の後ろで静かに揺れている。


「貴様、何者だ。俺をどうするつもりだ。何が目的なんだ」


 ルーファスは顔に付着した液体をシャツの袖で拭いながら、間髪入れずに質問を畳みかけた。


「そう焦らないでください。質問には後でお答え致します。今はここを離れましょう。別の賊や騎士団に気付かれては面倒です」


 ルーファスへと向いた菫色の瞳は心持ち釣り上がっており、控えめな鼻の下、口は一文字に結ばれていた。浅黒い顔の中心には、薄っすらとそばかすが浮いている。


「身元の分からない人間に黙ってついて行けと? 馬鹿なことを言うな」

「おや、命を救って差し上げたのに随分な言われようですね」

「何か理由があってのことだろう。吐け」

「……本当にお気付きにならないのですか? 私が誰か」

「何?」


 ルーファスは顎に手を当て、首を限界まで傾けて考え込んだ。

 マントを外した軍服の人間は、中性的ものであった。顔の輪郭や骨格は骨ばっており一見男に見えるが、体の線が異様に細いため女らしさもある。はっきりと見えたその顔にも、見覚えがない。


「ふう。今日は、そこまで顔を変えたつもりはないのですが……」


 軍服の人間はため息混じりに呟くと、両手を合掌するように合わせる。すると、軍服の人間の背が徐々に縮み始め、何の凹凸もなかった胸元は控えめに盛り上がった。顔の輪郭も丸みを帯びていき、首は一回り華奢になったように見える。

 ルーファスはその姿を見て絶句した。


「ごきげんよう、ゲイガンハート男爵ルーファス。いえ、男爵もたった今、死去されましたね」


 氷のように冷たい嘲笑を浮かべるこの女。見間違えるはずがない。


「バ、バババ、バーナデット……!」


 バーナデット・フォン・レヴィル。

 約二年前、ルーファスが一方的に婚約破棄を言い渡した元婚約者であった。

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