第2話 男爵生活開始

「順調に進んでいるので、明け方には村に到着出来そうです」

「ああ」


 最悪な誕生日から三日後。

 最低限の荷物だけ持って出ることを許されたルーファスは、馬車に揺られている。人里離れた静かな森へと入った頃には既に陽が沈みきり、闇が立ち込めていた。

 思えば、こんなに長時間、馬車に揺られることも初めてかもしれない。町へ視察に行くのはイアンの仕事だった。いつから常例化したのかは思い出せないが、自分とアリシアが婚約したころからだろうか。アーノルドを引き連れて城を出ていくのを度々見かけたような気がする。

 つい数時間前まで日常だった城での暮らしを思い返していると、馬車が急停車した。


「おい、御者。何があった?」


 暫く返事を待ってみるが、外からは物音一つしない。

 不審に思い、扉に手をかけたところで、勢いよく逆側から扉が開かれた。驚いて瞬時に身を引いたが、伸びてきた大きな手に腕を掴まれ、軽々と外へ放り出される。あんなに鍛錬したはずの受け身をとることも出来ず、背中を地面に打ち付けて嗚咽を漏らした。


「かはっ……な、なんだ、一体!」


 前髪を掴まれ、自分の意志とは関係なく顔が上がる。フードを深く被った黒いマント姿の大柄の男が、ルーファスの喉元に剣を突き立てていた。


「王家の紋章付きの馬車に乗っタ赤髪に黄色い眼を持っタ男。間違いなイ。テメェがルーファス・バリー・ゲイガンハートだナ」

「不敬だぞ! 俺を知っての横暴とは、どうなるか分かっているのか!」

「ハッ! どうなるってンだろーナ。殺しゃ金になるとしか思ってねぇーヨ!」


 姿こそ隠してはいるが、しゃがれた声に訛りがかった荒々しい言葉遣い。ここらを根城にしている賊か。

 こんな低俗な輩など、今までのルーファスであれば赤子の手を捻るように対処出来た。しかし、城を出る際に施された魔力を抑える術式のせいで、得意の炎魔法はマッチの火程度の力しかない。加えてこちらは全くの丸腰だ。体術の心得もあるが、前髪を掴まれ顔を固定、喉元に剣を突き付けられたこの状態のまま抵抗した方が危険だろう。

 視線だけをずらして辺りを確認すると、賊の人数は目の前の男を入れて二人。馬の近くに立っている男の足元には、御者が力なく転がっており、地面が赤黒く染まっていた。

 元王位継承権第一位の男を襲うのにたった二人組とは随分となめられたものだ、とルーファスは自嘲するように笑みを浮かべた。


「テメェを殺して報酬を手に入れて、一生遊んで暮らす人生を手に入れてやるゼ!」


 報酬。なるほど。どうやら賊たちの間では、この命に懸賞金がかかっているらしい。

 目の前の男が興奮気味に笑い声を上げている。フードの下にある表情を窺うことは出来ないが、きっと血走った目でルーファスを見つめているのだろう。

 男は掴んでいたルーファスの前髪を放し、剣で狙いを定めるために一歩足を引いた。男との間に距離が生まれる。


「ふっ、賊風情が……甘いな」


 ルーファスは、地面を蹴って男の懐に飛び込むと、拳を下から突き上げた。拳は男の顎を直撃し、大きな体が勢い良く地面へ倒れ込む。深く被っていたフードは外れ、握られていた剣も放り出された。ルーファスはすかさずその剣を掴む。


「ゲイガンハート王国は元軍事国。その王国の王子たる人間に、賊ごときが適うわけないだろう」


 いや、今はもう元王子か、と自分で突っ込みを入れて少し落ち込んだ。咳払いをひとつして、気持ちを切り替える。


「さて、貴様ら。どうしてくれようか。とりあえず、この辺りを警備している騎士団の奴らにでも引き渡して……」


 先程まで自分がされていたのと同じように、男の首元へ剣を突き立てた。助けに入ろうと足を踏み込んだもう一人の賊を目で制す。


「くっ……こ、この大罪者メ……!」

「……っ」


 思わず怯んだ。この、自分を軽蔑する攻撃的な視線。謁見の間で従者たちから向けられた視線が脳裏をよぎる。


「元王子を理由二罰を軽くされタ、卑怯者メ!」

「そうダ! 卑怯者!」


 賊たちの言葉で、今の自分の立場を再認識させられた。周りから見ればもう、全ての肩書きは関係ない。大罪者という認識なのだ。

 となれば、この賊たちを騎士団に引き渡し、再び男爵としての領地に向かったとして、自分の生活はどうなるのだろうか。元王位継承権第一位だった自分は、王都から遠く離れた村に行っても顔が割れている。賊たちの間で懸賞金がかけられているのなら、また襲われるかもしれない。それに、これから老いるまでずっと、非難を受け続ける惨めな人生を送るのではないだろうか。

 そんな人生は美しくない。そんな屈辱には耐えられない。

 ルーファスは、倒れ込んだままの男に向かって、奪い取った剣を投げ返した。


「おい、賊よ。剣をとれ」

「ハ?」

「この命、差し出してやってもいい」

「な、なんダと?」

「ただし、条件がある」

「あア?」

「この麗しく美しい顔には傷一つ付けずに殺してくれ」


 きょとん。

 聞こえるはずのない賊たちの驚いた音が静かな森へ響く。

 ルーファスは両膝を地面につき、両手を大きく広げて天を仰いだ。


「な、なニ言ってんダ、こいツ。頭おかしくなっチまったのカ?」

「ま、まア……元よリ自分にしか価値を見出せなイ馬鹿王子だっタらしいっすかラ」

「どこまでも失礼な奴らだな。気などふれていない。ほら、早く殺せ!」


 この空気をどう立て直そうかとやきもきしている賊たちへ発破をかけた。妙に通る声を受け、意を決したように男は剣を振り上げる。その姿を見て、ルーファスがそっと瞳を閉じた瞬間であった。


「ならば、その命、私が貰い受ける」


 目の前にいる男とは違う、静かに凛と響く声だった。

 自分のすぐ目の前に人の気配を感じたと同時に、何かが弾ける音がした。

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