元殿下は元婚約者とダンスを踊る。
慈あゆむ
第一章
第1話 酔いが醒めた朝
ルーファス・バリー・ゲイガンハートは、酔っていた。他でもない、自分自身に。
ああ、寝起きの顔ですら宝石のように美しい。
天蓋付きのふかふかなベッドに体を沈めたまま、枕元に常備してある手鏡の中をうっとりと見つめる。目が覚めてすぐのルーティンであった。顔の角度を変えて己の姿に酔いしれていると、コンコン、と扉を叩かれた。
「入れ」
「失礼いたします」
音を立てて開かれた扉からは、幼い頃よりルーファスの世話係を務めている初老の執事と数人のメイドたちが入ってきた。いつもと変わらない面々だ。
「おはようございます。ルーファス殿下。本日も実に麗しい」
「ああ、知っている」
執事からの毎朝の決まり言葉。ルーファスはそれをそのままの意味で受け取った。事実であるからわざわざ謙遜することもない。
執事は、慣れた様子で次々とメイドたちに指示を出す。
「おはようございます、殿下。本日は降り続いていた雨も止み、雲一つない良い天気ですよ」
メイドによってカーテンが開かれ、大きな窓から朝陽が華々しく部屋を照らす。その眩しさにようやく体を起こしたルーファスは、両手を上げて大きく伸びをした。
ふんわりと癖づいた毛先は王族に引き継がれる炎魔法を思い起こさせ、朝陽に照らされた鮮やかな赤髪がキラキラと輝いた。
「ふわあ……」
我慢できずにこみ上げてきたあくびを一つ。トパーズのように光るややオレンジがかった黄色い瞳に薄っすらと涙が滲んだ。執事から差し出された濡れタオルを受け取ると、顔に思いっきり押し付ける。ひんやりとした刺激を受け、段々と頭が覚醒状態へと向かった。
執事へ濡れタオルを返し、意識がはっきりとした状態でベッドから立ち上がれば、メイドが着替えを手に持って近付いてきた。
「殿下。二十三歳のお誕生日、誠におめでとうございます」
目尻に皺が浮き始めたメイドがゆったりと優しく微笑む。それを皮切りに、ほかのメイドらも口々に祝いの言葉を並べた。
どの言葉も実に気持ちがいい。賛辞の言葉は、いつ何時どれだけ聞いても悪いものではなかった。
「ああ」
ルーファスは、真っ直ぐに筋の通った高い鼻を鳴らし、形のいい薄い唇へ自信に満ちた笑みを浮かべた。
せっせと働く執事とメイドから目を離し窓の外へ視線を向けると、二十三回目の誕生日を彩るように晴れた青空がいつもより特別に見えた。
◇◆◇
身支度を終えたルーファスは、歩き慣れた城の廊下を足早に進む。朝食の前に両陛下より話がある、という伝言を執事から受け取ったのだ。
指定された謁見の間へ入ると、現国王の父と正妃の母、王位継承権第二位の弟イアンが揃っていた。壁際には、執事やメイドをはじめ、城の警備をする騎士団や最近になって再結成された軍隊の人間も立っている。
大それた顔ぶれだが、当然か。第一王子の誕生日だものな、とルーファスは横目で壁際に立つ人間を確認しながら、玉座にて待つ父と母の方へと歩みを進めた。
「おはようございます、父上、母上。お待たせいたしました」
「いや、良い。ルーファスよ、まずは二十三歳の誕生日、おめでとう」
「おめでとう、ルーファス」
「ありがとうございます。この命を授けてくださったお二人に感謝いたします」
綺麗な所作で右手を左胸に当てて、軽く頭を下げた。
「うむ。さあ、顔を上げなさい」
父は、そう言って手で指示を出す。
「時間もないからね。早速だが、次の話だ」
「はい」
「ルーファス、お前の王位継承権を剝奪することとする」
「は……?」
――びしゃり。
バケツいっぱいの冷や水を頭から浴びせられたような衝撃だった。ピタリと思考が停止し、喉からは微かに空気が漏れる。濡れているはずもない前髪を手で撫で付け、そう言い渡した父の顔を見つめた。
かつては端正な顔立ちだったと思わしき父の顔。今は、悲しみ、嘆き、憐れみ……たくさんの感情が滲んでおり、一度に十歳ほど老け込んだように見えた。
「実に残念だ」
項垂れる国王の隣に座る母は、涙がこぼれ落ちる前にハンカチーフでそっと拭った。気高く美しい母が涙を流す姿は、弟のイアンを産んだ時以降、一度も見たことがない。その様子に再び衝撃を受け、ルーファスの思考が少しずつ動き出す。
「お、王位継承権を剥奪? 父上、笑えない冗談はよしてください」
やっとのことで絞り出した声は、無様にも震えていた。
「冗談ではない。お前の王位継承権を剥奪し、第二王子イアンを王位継承権第一位とする。これは、決定事項だ」
サァーと砂浜から波が引くように、体全身から血の気が引いた。視線を向けた先にいる父の顔は、既に国を統べる国王陛下の顔をしていた。言葉を失ったルーファスの顔を見て、国王は言葉を続ける。
「ラスボーン公爵家当主アーノルドおよび、その妹でありお前の婚約者アリシアより告発があった。お前の傲慢な態度、公務に対する誠実とは言えない怠慢な姿勢への不満。ここまでであれば、正式な王位継承まで時間もあるため、改善の余地もあっただろう。しかし、お前はこの国における大罪の一つを犯した」
「大罪、ですか?」
国王と王妃は、静かに頷いた。
「そうだ。大罪の一つ、婚姻関係でない十七歳を迎える前の女性へ肉体関係を迫る行為、だ」
「この国における法律を貴方が知らないはずはないでしょう」
「はい?」
「そうとぼけるでない。アリシアは涙ながらに訴えかけてきたぞ。年も離れ、体格の良いお前から無理矢理迫られたのであれば、さぞ怖かったのだろう」
「は……?」
冷や水の次は豆鉄砲。額に瞬間的な衝撃が走り、痛さを感じたような気さえした。
ラスボーン公爵家から告発されたという内容。ルーファスには身に覚えがなかった。
ラスボーン公爵家の末娘アリシア・ベル・ラスボーンとは、約二年前に婚約を結んだ。
現在のアリシアの年齢は十六歳。この国における十七歳の成人の儀を迎えていないこともあり、法律的な婚姻関係ではない。そのため、距離感には十分気を付けていたはずだ。定期的な食事会や公共の場でエスコートをすることはあっても、二人きりになることはなかった。
そもそも大罪を犯してまで女に迫るほど飢えてもいない。それは、陰で女を貪り不貞を働いていたという意味ではなく、自分自身の容姿を見れば恍惚感に満たされていたからだ。
「まさか、ルーファス殿下が大罪を犯していたなんて」
「無理矢理迫るだなんて最低ね……」
「何をやっても許されると思っていたのだろう」
非難する従者たちの声がする。天井高い謁見の間では人の声や物音がよく響く。周りの気配を窺えば、向けられた視線がいつもの羨望に溢れたものではなく、体を四方八方から突き刺すような攻撃的なものに変わっていると気が付いた。
ここに自分の味方は誰一人いない。
そう悟った瞬間、ルーファスの背中に冷たい汗が流れる。
「お前に傷付けられたにしても、アリシアは次期王妃となる令嬢だ。結婚をして子供を産んでもらわなければならない。王位継承権が第一位となるイアンと婚約してもらうことを話すと、身分の低い国民にも優しく物静かなイアンなら安心出来る、と微笑んでいたよ」
「……っ」
「もちろん、この決定は内々の意見によるものではない。兄であるアーノルドをはじめ、伯爵家以上の代表が集まった貴族会議でも、次期国王はイアンの方が相応しいと結論が出たのだ」
貴族会議での結論。それは即ち、国民を含め国全体が出した答えということだ。ひっくり返すことは、ほぼ不可能に近い。ルーファスもそれを理解している。
だが、このまま無実の罪で罰せられることがどうにも我慢ならなかった。
「お、お待ちください! 身に覚えがありません! 私が大罪を犯したという証拠はあるのですか!」
思わず声を荒げたルーファスを見て、国王は静かに首を縦に振った。
つまり、証拠がある、と?
そんなばかな。
「ある。告発元のラスボーン公爵家以外からの目撃情報が多数な。言い逃れは出来ぬぞ」
「なっ……も、目撃、情報?」
眩暈がしてきた。二日酔いのような鈍い痛みが頭に走る。生まれて初めて感じる耐え難い陰鬱な圧迫感に潰されそうだった。
何か、何か言い返さねば。
そう気持ちが焦れば焦るほど、思考が絡まり、上手く言葉にならない。今のルーファスの手元には、無実を証明できる証拠はない。味方もいない。常に自信に溢れ弧を描いていたはずの唇はとうに歪み、グッと噛み締めるほかなかった。
「ルーファスよ、改めて処分を言い渡す」
「……は、い」
「大罪を犯したとはいえ、お前はゲイガンハート王家の嫡男だ。国外追放は免除する。その代わりに王位継承権の剥奪および魔力封じの術式を施す」
「……はい」
「また、餞別として、男爵という新しい爵位と王国最南端の小さい村を領地として与えよう」
「……っ、国王陛下の温情に、感謝、いたします」
何とか喉の奥底から声を振り絞り、頭を下げる。
すっかり酔いが醒めた朝だった。
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