第14話 使用人の仕事(1)

 使用人の朝は早い。

 東の空が薄らと燃えてきた頃、ルーファスは目を覚ました。


「ふわあ……。ああ、今日の俺も眩いな」


 寝起きの掠れた声で、手鏡に映る自分へと賛辞の言葉を送る。一度起き上がってしまえば、再びベッドに寝転がるまで、この麗しい姿とはおさらばだ。変身薬が憎いが、この別荘で暮らすためのルールの一つ。仕方がない。その分、今のうちに目に焼き付けておかないと、今日一日の業務に耐えられないかもしれない。いわば、活力剤なのである。


 ──コン、コココン、コンコン、コン。


 自分の世界へ浸っていると、不自然なリズムでドアを叩かれた。この別荘内で、こんなふざけた事をしてくるのは一人しかいない。


「ミゲルか。何だ、俺は起きているぞ」

「起きていてもらわないと困ります。って、その距離からの声ということは、まーだ鏡タイムしているんですか? 今日は朝食当番なんですから、さっさとダニーさんの所に行ってくださいね!」


 ミゲルは隠密行動が得意というだけあって、耳が良く、人の気配にも鋭い。扉を開けずとも、部屋の中にいる人数や部屋のどの辺りにいるか、という情報が把握できるという。

 そのため、ルーファスがまだベッドの上で寝転んだままなのも筒抜けのようだ。


「ああ、分かっている。支度して行くさ」

「もー、サボらないでくださいよ! それじゃあ、僕も他の仕事がありますので!」

「はいはい」


 ミゲルの足音が遠ざかっていく。普段はあまりバタバタと足音を立てて廊下を歩かないため、今日はよっぽど急いでいたのだろう。

 それなら、わざわざ呼びに来なくてもいいのに。


「いや、バーナデットから名指しで任命されているから、欠かさず来るか」


 ルーファスは呆れた笑みを浮かべる。

 ミゲルは、バーナデットによく懐いている従順な犬だ。仕事を任されれば、尻尾をはち切れんばかりに振って、それに従う。


「飼い主が真面目だと飼い犬も真面目、といったところか」


 そう呟きながら、ようやくベッドから起き上がった。


 ルーファスがバーナデットの別荘で暮らし始めて、早一ヶ月。

 もう身の回りの事は殆ど出来るようになった。ミゲルにからかわれる回数も減りつつある。つまらない、と文句を言われたが、知ったことではない。

 慣れた手つきで使用人の服に着替え、変身薬を飲み干し、キッチンへ向かう。

 キッチン付近には既に良い香りが漂っていた。くぅーと小さく鳴る腹を擦りながら、扉を開けると、ダニエルが焼き上がったパンを皿に並べていた。


「今日は何を練り込んだパンなんだ?」

「あ、ルーファス様っ! おはようっす。今日は、トマトペーストとバジルを練り込んでみたんすよー。見た目も綺麗だし、良い出来だと思いませんか?」


 手招きをされて近付くと、鮮やかに染まった赤い生地が綺麗で、バジルの良い香りがした。表面の焦げ目も食欲をそそる。


「先に味見して欲しい気持ちもあるんすけど、ローマンさんに見つかったら拳骨くらうので、我慢してくださいね」

「あの男の拳骨は痛そうだな……」

「痛いっすよー! 頭割れるかと思いますもん」


 ダニエルはゲラゲラと大きな笑い声を上げながらも、テキパキと朝食の準備をしていく。手の届かない位置にある皿を浮遊魔法で数枚浮かせ、手元まで持ってきた。


「お前はよく浮遊魔法を使っているようだが、得意だからか?」

「うーん、得意だからというよりも便利だからって感じですね。俺は魔力が強いわけではないので、簡単な魔法しか使えませんし。この浮遊魔法も、軽い物しか浮かせることが出来ませんよ」

「そうなのか」

「はい。両手を使った方が重たい物を浮かせられますよー!」


 ダニエルはコック服の袖を肩までまくり、逞しい腕の力こぶをアピールする。クシャッと砕けた笑顔が眩しい。


「分かった分かった、戻せ」


 ルーファスがシッシッと追い払うように手を振ると、ダニエルは笑ったまま袖を戻した。


「ところで、俺は何をすればいい? また配膳か?」

「そうっすね。お嬢様の分は出来上がっているんで、食堂に運んでいただけますか」

「分かった」

「それじゃあ、これが一式になるんで、よろしくお願いしますっ!」


 ルーファスは、ダニエルから朝食が乗せられたトレーを受け取った。

 これまで朝食当番を三度ほど経験したが、所謂ただの配膳係だ。とはいえ、キッチンで他に出来ることもない。留まれば留まるだけ、空腹を刺激されるだけだ。

 使用人の食事は、主人の食事の後と決まっている。さっさとバーナデットに朝食を食べ終えてもらわなければ。


「あ、そうだ!」


 キッチンを出ようと歩き始めたルーファスの背後で、ダニエルが大きな声を上げる。何かトレーに乗せ忘れた物でもあるのか、と振り返ると、意地の悪そうな顔でニタニタと笑っていた。


「今日のシチューには人参が入ってるんすけど、お嬢様は人参が大嫌いなので、なかなか珍しい顔見れると思いますよっ」

「ほう」


 ルーファスはダニエルと視線を合わせてニヤリと笑うと、足早に食堂へ向かう。

 テーブルに食事を並べた瞬間、すまし顔だったバーナデットの顔が分かりやすくしおれる。重たい荷物が肩に乗ったように、ガックリと項垂れた。


「うっ、にんじん……」

「くくっ……!」


 あまりにも露骨な表情に堪えきれず、ルーファスは笑い声を上げる。恨めしそうに睨むバーナデットの視線が、より笑いのツボを刺激した。


「ルーファス、さ、まあ! 不敬ッ!」


 その様子を見ていたのか、窓拭きをしていたミゲルが一目散に走ってくる。気付いた時にはもう遅い。ルーファスは背中に飛び蹴りを食らい、床に倒れ込んでいた。

 


 

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