第12話 ただの男として生活開始(1)

「何故、この俺がこんなことを……」


 ルーファスは、堪らず呟いた。

 バーナデットが部屋に戻った後、ローマンに案内され、湯浴みをした。着替えにおける弊害となったシャツのボタンは、バーナデットの指示により、ローマンが外してくれた。

 さっぱり爽快な気分で湯浴み場から出ると、使用人用と思わしきシャツとズボンとベストが用意されていた。籠をひっくり返してみても、ルーファスが城から持ってきた衣類は見当たらない。

 仕方なく用意された服を羽織って廊下へ出たところを、仁王立ちしたミゲルに捕まったのだ。


「口ではなく、手を動かしてください。貴方がボタンも留められず、もたもた着替えたせいで、時間が押しているんですよ!」


 ミゲルが洗濯物をせっせと干しながら、籠の前でしゃがんだままのルーファスへ声をかける。ルーファスは不貞腐れた顔のまま、洗濯物を手に取って立ち上がった。


「いいですか。シャツなど皺が付きやすいものは、干す前にパンパンと叩いてください。このひと手間だけで、乾いた時の仕上がりが違うのです」

「ああ」

「ああって、もう! 言ったそばからそのまま干してる! このバカ!」

「誰がバカだ! それならせめて顔だけ男と言え!」

「今は魔法薬の効果により、わりと普通の顔になっているので、顔だけ男ですらないです!」

「ぐっ……」


 ルーファスは何も言い返すことが出来ず、うろたえてしまった。

 髪の長さや癖は変わっていないが、炎のように明るかった赤髪は黒へと染まり、形が良く、睫毛も華やかだった魅力的な瞳は黄色だけを残し、隈の濃い細く垂れた形へ変わっていた。鼻の形も丸くなり、唇はぼってりと厚い。更に黒縁の四角い眼鏡を掛けているため、よく顔を観察したとしても、ルーファスだと分かる人物はまずいないだろう。


 薬を飲んだ後に鏡を見た時は、あまりの醜い姿にショックを受け、発狂しかけたものだ。バーナデットから『体型も変えるべきでしたか?』と問われたが、食い気味で断った。これ以上は精神が耐えられない。


 ミゲルは、してやったりという満足気な顔をしている。それがなんとも腹立たしく、何か言い返す言葉はないかと考えながら、服をひたすら叩く。

 その間に、ミゲルは自分の担当分である籠の中身が空っぽになったようで、風にそよぐ服やベッドシーツを眺めていた。


「おい。終わったのなら、俺の分も干したらどうだ」

「ダメですよ。ちゃんと担当分けをしましたから、その籠はご自身で終わらせてください」


 ぴしゃりと言い切られてしまった。手伝う気は全くないらしい。

 ルーファスは心の中で舌打ちをし、渋々手を動かすこととした。干し終えるまで、ずっとミゲルのダメ出しをする声が響いていた。


「ご苦労様です。きちんと働いているようですね」


 洗濯物を干し終え、急かすミゲルの声に空返事をしつつ、籠を抱えて立ち上がった時だ。背後から声をかけられ振り返ると、昨夜と同じ軍服姿のバーナデットが立っていた。

 ミゲルは洗濯籠をルーファスに押し付け、目をきらめかせてバーナデットへと駆け寄る。


「バーナデット様! お疲れ様でございます!」

「ご苦労様、ミゲル」


 ぽんぽんと優しく頭を撫でられ、ミゲルはとろけるような笑顔をバーナデットに向けていた。ルーファスは、押し付けられた洗濯籠を自分の分と重ね、それを脇に抱えながらバーナデットへ声を掛ける。


「お前、わざわざ男に変身して何処へ行くんだ?」

「わざわざじゃありませんよ。町へ出る時には、常に変身魔法を使用しています」

「何故だ?」

「名目上、バーナデット嬢は体調不良により療養中ですから、意気揚々と町へ出るわけにはいきません。そのため、レヴィル侯爵家の警備担当として、町に出向き、交流や情報収集をしているのですよ」

「ほう、なるほどな」


 バーナデットの回答に頷いていると、唇をひん曲げたミゲルが傍に寄ってきた。なんだ、と様子を見ていると、勢いよく脛を蹴られた。電撃のような強い痛みが走り、ルーファスは耐えられず膝をつく。


「お、お前、いきなり何をする……!」

「使用人の立場で、バーナデット様を『お前』呼ばわりした罰です」

「こん、の、クソガキ!」

「ふんっ!」


 膝をついたルーファスを見下ろしながら、ミゲルは腕を組んで偉そうに鼻を鳴らした。


「仲が良いようで何よりです」

「仲良くない!」


 バーナデットの言葉への返答がピッタリと重なり、ルーファスとミゲルは歯ぎしりをしながら睨み合った。今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな勢いだが、バーナデットは穏やかに笑っている。


「それでは、私はそろそろ町へ出ますので。ミゲル、ルーファス様の事を引き続きよろしくね」

「はい! お任せください!」


 バーナデットは、ミゲルの気合の入った声に微笑むと、マントを翻して去っていった。バーナデットの背中が小さくなっても、ミゲルは手を振り続ける。ルーファスは膝をついた状態のまま、その様子を眺めていた。


「なあ、ミゲル」

「何ですか?」

「お前、妙にバーナデットに懐いている気がするのだが、何か理由でもあるのか?」

「バーナデット様は、僕の女神様ですから」

「はあ?」


 あの基本的に冷笑を浮かべる言葉のきつい女が女神様?

 ルーファスは、驚いた拍子に落ちてしまった顎を上へと引き戻す。ミゲルは、敬慕の表情を満面に輝かせながら語り始めた。


「僕は五歳の頃、親に捨てられ、行くあてもなく彷徨っていました。もう歩けない、と限界を迎えて倒れ込んだ場所が、レヴィル侯爵家の裏庭だったのです。そこで、バーナデット様に救っていただきました」

「親に捨てられた?」

「はい。僕の生まれた土地では、黒髪は不吉の象徴とされていました。生まれた時は茶髪に近かったらしいのですが、年々黒くなっていったそうです。村人たちからの迫害を恐れた父と母は、僕を森へ捨てることを決めました」

「身勝手な親だな」

「あははっ、そうですね。あっ、でもー、身勝手って言葉、婚約者を“身勝手”に切り捨てた貴方が言えたことですかー?」

「うっ……」


 今日何度目かの言葉に詰まるルーファスを見て、ミゲルは意地の悪い笑顔を浮かべた。このガキも、チクチクと痛いところを刺すのが好きなようだ。

 話を戻しますね、とミゲルが仕切り直す。


「僕は元気になったら追い出される、と思っていました。だから、ずっと体調不良のフリをして留まろう、と悪知恵を働かせていたのです。まあ、すぐにバレてしまったんですが」

「あー、だろうな」

「でも、バーナデット様はそれを咎めず、屋敷で働くことを勧めてくださいました。僕の魔力をレヴィル侯爵家のために使ってくれないか、と」

「それが、バーナデットに懐いた理由か」

「そうなりますね。僕を必要としてくれたことがとても嬉しかった。なので、バーナデット様の期待に応えられるように、沢山沢山働くのです!」


 そう声を上げたミゲルは、握り締めた両拳を高く掲げ、小さな体全体に奮い立つ気迫を纏わせていた。ルーファスはその姿を見て、バーナデットが歩いて行った道へと視線を向ける。

 もう、バーナデットの姿は完全に見えなくなっていた。

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