第二章

第9話 陰った朝(1)

「手鏡が無い」


 ルーファスは、枕元を漁って呟いた。朝一番に目に飛び込んできたものが、自分の美しい顔ではなく、見慣れないシンプルな木製の天井であることに現実を突き付けられる。

 自分は、城を追い出されたのだ、と。全て夢であれば良かったのに。

 ごろりと寝返りをうち、再び目を閉じようとしたところで、ベッドの横に備え付けられたベルが大きな音を立てた。

 バーナデットの話によると、各部屋にはベルと受話器が備え付けられており、鳴らした部屋と通話が出来るようになっているらしい。

 枕で耳を塞いでも響いてくるベルの音を鳴りっぱなしにするわけにもいかず、観念して受話器を手に取った。


「誰だ」

「おはようございます、ルーファス様。バーナデットです」

「なんだ、お前か」

「家主に向かってなんだとは何ですか。まったく。昨夜はよく眠れましたか?」

「え? ああ、まあ、そ、そうだな……」


 眠っていたというよりは、気を失っていたという感じだったが、それは黙っておくことにした。


「それは良かった。朝食の準備が出来ておりますので、食堂へお越しください」

「……ああ」

「食堂の場所は、階段を下りて正面の扉です。扉は開けておきますので、迷うことはないかと思います」

「分かった」

「では、お待ちしております」


 用件を伝え終わったバーナデットは、すぐに受話器を置いたようで、ガチャンという音が耳に響く。ルーファスも受話器を戻し、ぼんやりとする頭のまま立ち上がった。



 ◇◆◇



 ルーファスが食堂へ入ると、新聞を読んでいたバーナデットが顔を上げた。バーナデットはオフホワイトのゆったりとしたワンピースを着ており、表情も昨晩のような気の張ったものではなく、とてもやわらかい顔をしている。


「おはようござ……あら、これは酷いですね」

「……うるさい」


 ルーファス自身も今の姿の酷さは分かっていた。元々癖毛気味の髪の毛はとっ散らかり、気絶するように眠ってしまったため、服装も昨日のまま。シャツはよれて強い皺が付いていた。

 一応、部屋を出る前に着替えようとはしたものの、シャツのボタンを外すことが出来なかったのだ。ジャケットに付いているような大きなボタンの付け外しは出来るのだが、小さいものになると途端に指先が上手く動かなくなる。いつも着替えは使用人たちに任せていたため、出来ないままでいても特に問題はなかった。


「まあ、まずはお掛けください。朝食にいたしましょう」


 バーナデットは、自身が座っている四人掛けのテーブルへ腰掛けるよう促す。ルーファスは、バーナデットから少しでも距離が取れるよう、対角線上の席へ腰掛けることにした。


「ローマン、運んできてもらえるかしら」

「はい、承知致しました」


 バーナデットの横で、姿勢正しく立っていた執事が食事を取りに離れていく。年のわりに肉付きがしっかりしていて、ガタイのいい男だ。バーナデットが王妃教育の一環で城に通っていた頃、何度か見かけたことがあるな、とルーファスは朧げな記憶を辿った。

 暫くして戻ってきたローマンが、料理をテーブルに並べ始める。

 用意された朝食は、肉料理が主食と言われる貴族の食事とは思えないメニューだった。焼き立てのパンと目玉焼き、焼いたハムが数枚盛られたプレート、湯気の立ったトマトベースの豆スープ。

 あまりの素朴さに、ルーファスはつい言葉を漏らした。


「肉が、少ない……」

「必要なタンパク質は、スープにたっぷり入っている豆からも摂取出来ますよ。栄養バランスに問題はありませんので、ご心配なく」


 黙々と食事を口に運んでいたバーナデットが、ルーファスの呟きへ返事をする。

 そういう問題ではない、と思ったルーファスだったが、最後に食事をとってからだいぶ長い時間が経っていることもあり、言い返す気力すらなかった。

 恐る恐るスープを口へ運ぶと、疲れ切った体を労わるような優しい味が舌に沁みた。

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