第8話 補佐官と艦長が出会ったばかりの時の話3

 何とか日報を書き終え、俺は艦長室に向かった。

通路はすでに暗くなっていて、頼りは等間隔で天井に設置されている蛍光灯だけ。

足元も暗いため、転けて日報などの書類をバラバラにしてしまっては大変な事になってしまわないように注意しながら歩く。


(ここが艦長室、か……)


 通路をしばらく歩くと、急に蛍光灯がやけに明るいところに着いた。

立派で重厚感がある扉の上には、小さなネームプレートで『艦長室』と書かれていた。

相手はこの船の最高位、そして俺に眠っていた夢を再び蘇らせてくれた偉大なる人。

絶対に失礼な事はできない。

制服を整え、胸についた補佐官の徽章をまっすぐにした。


「すう……はあ……よし!」


 大きく深呼吸をして、心を落ち着かせた。

そして、意を決して俺は扉をノックする。

扉ももちろん鉄製のため、甲高い音が通路に響き渡る。


ギイィィギシギシ……キートゴン……


 扉は軋む音を立てながら開いた。

閉める時は金属製の扉らしい音を立て、大きな音を立てないように慎重に閉めても重たい音が立った。

そしてその先を見ると……艦長が座り、演台のように大きい机の上の両サイドには大量の書類が積み重なっていた。


「失礼します艦長。日報と書類を持ってまいりました」


「机に置いといて」


「――――っ!」


 艦長は俺をギラリと見て、鋭い声でそう言った。

俺に襲いかかってくる威圧感と恐怖感は半端ではなかった。


「こちらになります……」


 ガクガク震えそうになる脚を必死に堪えながら、俺は艦長のところまで歩み寄り、日報と書類を机の上に置いた。

すると、艦長は区切りが良いところだったのか手を止め、日報を手に取り目を通し始めた。

その時も、艦長の目は鋭く恐ろし感じがした。

全てを見通すかのような雰囲気を醸し出している。


「――――ん。ヴァル・ヴァリッドだったな?」


「は、はい! そうですが……」


「これからよろしく頼む。補佐官は大変だから心して務めることだ」


「はい! 肝に銘じておきます!」


「日報も異常はないから捌けて良し。ご苦労だった」


 俺は艦長に一礼すると、先程の扉へと向かう。

そしてもう一度一礼すると、艦長室から退出した。

 はあ、めちゃくちゃ緊張した……!

みんなから恐れられる理由が分かった気がする。

確かに恐ろしかった。

 しかし、俺が一番驚いているのは艦長が俺の名前を知っていたということだ。

トップに君臨する人に名前を覚えられているなんて、何だか嬉しいものだ。


(それにしても……久しぶりに見れたわけだが、俺が知っている感じじゃなかったな)


 俺が初めて会った時は明るくて気軽に話しやすそうな人だったが、あれは営業スマイルだったんだな……。

本当はあんな感じで、威圧感があっていつも目を光らせているのだろう。

 艦長になる前はどうだったのだろうか?

かなりな鬼教官だったのかもしれない。











◇◇◇










 それからはしばらくは艦長とは、最初と変わらないまま淡々とした会話しかしなかった。

日報と書類を渡したらそれを艦長を見る、それだけだったが……。

俺が補佐官になってからもうすぐ1年が経とうとしていた時だった。

完全に仕事に慣れ、淡々とこなせるようになっていた。


「失礼します艦、長……?」


 いつも通りに一礼して顔を上げると、艦長は机にうつ伏せになっていた。


(もしかして……!)


 もしものことを考え、すぐに艦長のもとに駆け寄った。

俺は非常に焦っていた。

この船のトップに君臨する艦長が倒れたと知ったら、みんなは大騒ぎになる


「艦長!」


「すう……」


「――――!?」


 心配ご無用だった。

艦長から寝息が聞こえたからだ。

俺はその場から崩れ落ちて、安堵の息を漏らした。

これだけの書類を1人でやっているのだから、寝落ちしてしまうほど疲労が溜まっていたのだろう。


「――――」


 俺は立ち上がったあと、日報と書類をいつもの場所に置いた。

そして、ほんのちょっとの好奇心で艦長の寝姿を観察することに。

本当はやってはいけないのだろうが……まあ、相手はぐっすり眠っているわけだし、許されるのでは? という、訳の分からないことを理由に、俺は艦長がぐっすりと眠っているところをまじまじと見ていた。


(こう見ると……やっぱり艦長ってすごく綺麗な人だな)


 補佐官になってから艦長を間近で見てきたが、これだけ近くで見ると、やっぱり艦長はかなり美しい人だと分かる。

細くて柔らかそうで透き通るように綺麗な青色の髪、子どものように小さな顔……。

そして、彼女の特徴的な吊り目は寝ていても変わらなかった。

 何だか、寝ている艦長を見ていると、まだ12、3歳くらいの少女のように見えてきてしまった。

公園で遊んでいる子どもを見ると、つい顔が緩んでって可愛いなと思ってしまうような気持ちになった。

 あんなに怖いイメージがあるが、艦長がこうしている姿を見てると、本当は普通の女の人と変わらないんだなと思った。

教官が艦長に惚れてしまった理由は、こんな感じで女の人らしい姿を偶然見かけてしまったのだろう。


「う、ん……」


「――――!」


 艦長はビクリと体が跳ねたあと、ゆっくりと顔を上げた。

目を細く開けて、俺の方をゆっくりと見る。


「――――」


「――――」


 しばらく、艦長は俺を見つめたままだった。

まだ目が覚めてないのか、ぼーっとしている。

普段絶対に見せないであろう艦長の姿に、俺は唾を飲み込んだ。


「――――ヴァル?」


「――――!? は、はい……。あの、今日の日報と書類を持ってきたのですが……」


 俺は艦長の声に思わずドキッとしてしまう。

いつもなら低めで鋭さがあるが、今の艦長は異常に高くて子どものような声だった。

こ、これが本来の艦長の姿なのか……?


「悪いけど、お茶入れてもらっても良い?」


「あ、はい……分かりました……。えっと、どこにありますか?」


「そこにある」


 艦長はゆっくりと左側を指差した。

指を辿ると、そこにはガラスコップとポットが置いてあった。

なるほど、起きるとすぐに紅茶を飲む癖があるのか。


「分かりました」


 俺はそこへ向かい、紅茶を作り始める。

ポットの中はすでにお湯になっていて、すぐに入れられるようになっていた。

紅茶の葉っぱはティーパックで、コップに入れてお湯を注ぐだけで完成する簡単なもの。

3分もすれば、あっという間に紅茶が出来上がる。


「艦長、紅茶が出来上がりました」


「うん、ありがとう」


 あれ?

もしかして、まだ目が覚めていない感じか?

意外に寝起きに弱いのだろうか。

 艦長はコップを手に取り、ゆっくりと飲み始めた。

普段見せない艦長の姿、そして子どものようにちびちびと小さな口で紅茶を飲む姿に、俺の心臓の鼓動が激しく鳴り響く。


「――――あれ? わたし……。何で補佐官がここに?」


 紅茶を飲み終わった瞬間に目を覚ましたのか、声のトーンがいつも通りに戻った。


「えっと……日報と書類を届けようとしたら艦長がお休みになっていて、紅茶が欲しいとおっしゃいましたので……」


「えっ――――っ!?」


 あ、やっと状況に気がついたようだ。

艦長の顔が一気に赤くなった。


「絶対に……絶対に言うんじゃないぞ!」


「大丈夫です、絶対に言いませんから」


「ニヤニヤしながら言うんじゃない!」


 おっと、思わず顔に出てしまった。

あたふたする艦長を見て、本当に子どもみたいで可愛いと思った。


「――――」


「艦長、1つ申し上げたいことがあります」


「な、何だ?」


「確かに艦長になったばかりで自分1人で何とかしようとする気持ちは分かります。しかし、別に1人で抱え込まなくても良いんですよ? ずっと1人でやっていたら、それこそ艦長が壊れてしまいますよ。あなたはこの船のトップなんですから、それが原因で倒れたと知ったら乗組員全員大騒ぎですからね? だから、他の人に頼ってみては? そうですね……艦長と多く接しているのはわたしですから、いっそわたしを頼ってみてはいかかでしょうか。喜んで艦長の補助を承りますよ。だって、わたしの役職は『全ての補佐をする』ですから!」


「――――! いやしかし……」


「遠慮はいりません艦長。わたしだって補佐官になってそんなに年月は経っておりません。まだまだ慣れないことだってあります。それは艦長だって同じでしょう? お互いに頑張っていきましょう!」


「――――! そうだな……!」


 一瞬だけ、艦長の顔が緩んだ気がした。

どうやら、少し気持ちが和らいだようだ。

最初は初めて同士、助け合いながら覚えていくことが一番早く覚えられると思っている。

補佐官と艦長という役職の違いがあっても、それは関係ない。

俺の仕事は戦艦ヴィードの全てを補い手助けをすること、それが使命だ。

当然、艦長の手伝いをすることも使命だと俺は思った。


「それじゃあ、わたしはこれで失礼いたします」


 俺は艦長に一礼し、艦長室から捌けた。

艦長の手助けをして、少しでも楽になってくれればそれで良い。

それが、補佐官である俺にとっての仕事のやりがいだ。

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