緋の魔女様の眷属
しばらくして、受付の男性がひとりのエルフの男性を連れてきた。
「ギルドマスター、こちらです」
「はいはい。まったく、どうしたって言うんだい。タグが弾けるなんて馬鹿な事……」
エルフの男性は従魔師ギルドのギルドマスターらしい。面倒くさそうにレクトたちの方を見て、そして固まって動かなくなった。いや、よく見れば小さく震えている。
「ど、どうしたんですか、ギルドマスター?」
「あ、いや、なんでもないんだ。この人たちの対応は私がするから、君は受付に戻って」
異変に気が付いた受付の男性が声を掛けると、ギルドマスターは何でもないように取り繕った。が、震えが止まっていない以上、まったく異常を隠せていない。
とはいえ、ギルドマスターがこれほどまでに動揺を隠せないような事態だ。ただの受付にできることなど何もない。男性はわけがわからないまま、ギルドマスターの言葉に従った。
ギルドマスターはというと、引きつった顔に笑顔を浮かべ――ようとして失敗している。
状況はよくわからないが、怯えつつも友好的な態度を取ろうとしていることはレクトにもわかる。ギルドに対して芽生えていた敵愾心も、その様子を見ればたちまちに霧散してしまった。そういう意味では、笑顔を浮かべようとした努力は無駄ではなかったのかもしれない。
「じゅ、従魔の登録でしたよね? その件はどうにかしますので、ひとまず執務室の方へ……」
「わ、わかった」
どうにかこうにかといった調子で言葉を紡ぐギルドマスター。その必死な様相からは決して失敗できない重大ミッションに挑むかのような緊張が伝わってくる。その緊張感がなぜかレクトにも伝染したようだ。二人して、カクカクと不自然な様子で執務室までの廊下を歩いた。
執務室に入って、ギルドマスターがすぐにやったことは渾身の土下座だった。
「本当に申し訳ありませんでした。言い訳になりますが、私どもに攻撃の意思はなく、タグの魔術も予防のためのものなのです。決して、悪意を持って害をなそうとしたわけではなく――」
さきほどまでガチガチだったのに、打って変わって立て板に水と言った様子で弁明を始めた。ギルドマスターとしてはもう後がないと覚悟を決めて、どうにか許しを得ようという一心での行動だ。
レクトからすればわけがわからない。たしかに、従魔師ギルドに反発する気持ちはあったが、まだ具体的な行動を起こしたわけでもないのだ。このように怯えられる心当たりはなかった。
一方で、ルナルにはなんとなく状況が理解できてきた。ルナルは主人のリンデとともに、樹海の外で行動していた時期がある。今から80年ほど前のことになるので、人族に直接の知り合いはほぼいないと言っていいが、エルフならば別だ。エルフは長寿な種族で中には500年生きる者もいる。80年程度ならば当時のことを知っていても何ら不思議ではない。
困惑しきっているレクトにこの場を収めろというのは無理があるし、ギルドマスターはただただ釈明を並べるだけの存在になっている。ここは自分が何とかするしかないと、ルナルは無言を貫くことを諦めた。
「はいはい、そこのアナタ。話がすすまないからとりあえず黙ってちょうだい」
ルナルの言葉でギルドマスターはピタリとしゃべるのをやめたが、今度は平伏したまま動かなくなった。ルナルがしゃべったことを驚くでもなく、こういう反応を示すということはルナルのことを知っていると見ていいだろう。
「とりあえず、そのままじゃ話もできないから立ちなさい」
そういわれてようやくギルドマスターは立ち上がった。その顔にはなぜかやり切ったという満足げな表情が浮かんでいる。少なくとも、ただちに命を取られる心配はないとわかって気が緩んだのかもしれない。が、ルナルに一瞥されると再び顔色が悪くなった。
そちらは一旦放っておいて、ルナルは事情が呑み込めず混乱気味のレクトに声を掛けた。
「そっちのギルドマスターはどうやら私のことを知ってるみたいよ」
「そうなの?」
小首を傾げて尋ねるレクトに、ギルドマスターは恐る恐るという雰囲気で応える。
「私の勘違いでなければ、緋の魔女様の眷属の方、ですよね……?」
「緋の魔女?」
レクトには心当たりのない呼び名だった。ルナルを眷属としているとなれば、リンデのことであることは想像がついたが。
その想像は正しかったようで、ルナルの次の言葉で確認できた。
「ご主人のことみたいよ。その呼び方をするってことは、アナタはあの国の関係者ってこと?」
「いえいえ、滅相もない! 私はキンデリア王国とは何のかかわりもございません! ただ、当時あの国にたまたまいただけのしがないエルフにすぎません」
「何の関係もない者が、そんな呼び方するかしらね?」
ルナルが腕を組んでギルドマスターを見据える。彼の顔色ははっきりとわかる形で悪くなった。
「なんで緋の魔女?」
「んー? おイタをした連中たちにご主人がお仕置きをしたとき、暗闇の中でご主人の緋色の瞳が爛々と輝いてたってとこから付いた二つ名みたいね。自分たちが手を出しておいて、ちょっと反撃を受けた程度で大仰な名前をつけて魔女呼ばわりよ。本当に不快な連中よね」
レクトの問いにルナルが答える。その態度からは呼び名を歓迎していない様がはっきりと見てとれた。ギルドマスターからの顔にはすでに血の気がなくなっている。
「そ、そうでしたか! 不快な呼び方をしてしまいもうしわけございません!」
「……まあ、あなたが付けたわけじゃないだろうし、それはいいわよ。ご主人は呼び名なんて細かいことを気にしないだろうからね」
ここでようやく、ルナルは少しだけプレッシャーを弱めた。さすがに、これ以上続けるとギルドマスターが心労で倒れてしまいそうだ。そうなるとまた話が面倒くさくなる。
一方で、この状況はある意味で都合がいいかもしれないとルナルは思った。ギルドマスターは自分たちがどのような存在かを知っている。手を出したらまずいということは十分に理解しているだろう。それならば、他の人間たちが自分たちにちょっかいを掛けないように手伝ってもらうことも可能かもしれない。
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